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第22話 クラウスの帰省 沈黙の理由

 実は、クラウス宅に「レオナルドが行く」と連絡するまでには、一悶着があった。

 クラウスがもにょもにょと「お前から手紙を書いてくれ」と頼んだのだ。


 文字が苦手なクラウスは、当然、手紙も苦手だ。だが、“苦手”ではあっても、まったく読み書きできないわけではない。


 実家で勉強から逃げ出したり、読み書きが苦手なことを理解されず「怠け者」と呼ばれたりしながらも、それでもクラウスなりに努力した過去はある。最低限、軍人学校に送り出される程度には、身につけさせられていた。


 加えて、入学以降はレオナルドに縛り付けられて勉強を教え込まれた。

 テスト前など、範囲をまとめたノートを音読までしてくれるから、その声を記憶に刻んで、単語と突き合わせていた。


 だから、ものすごく時間をかければ、下手くそでも、誤字があっても、書ける。

 けれど、そんな手紙を送りたくなかった。


 レオナルドは「コイツ何言ってんだ」と思った。


 クラウスの文字が汚いのも、語彙が少ないのも知っている。

 だが、たかが実家への連絡だ。関係が悪かろうが、所詮は事務的な用件である。


「思春期のガキじゃあるまいし、自分で書け」

 レオナルドはそう言い放った。


 ……彼自身は数ヶ月前に十五歳になったばかりで、クラウスもまだ十四歳。十四でも十五でも、思春期のガキには違いない。


 レオナルドの言葉に、クラウスはあからさまに困った顔をした。『困っている』と、顔面に書いてあった。


 ――さて、レオナルドはクラウスに魅せられた男であると同時に、絆された男でもある。

 つまり、こういう顔をされると、弱い。


 彼は頭をかき、ハァとため息を吐いてから言った。


「内容は俺が考えるから、お前が書け」


 本当は『クラウスの文字を真似て代筆してやろうか』とすら過ぎったが、さすがにそれは甘やかしすぎだと考え直す。クラウスの教育に悪いだろう。……友人にしては手をかけすぎだ、とは考えなかった時点で、やはり彼はクラウスに甘い。


 クラウスはそれでも、視線を少し彷徨わせた。レオナルドが言った言葉を、そのまま文字にできるか、不安だった。


 クラウスは記憶力がいい。

 だから、テスト前にレオナルドが口頭で教えてくれた内容を記憶できていた。

 勉強会のあとでこっそりと、レオナルドからもらったノートに書いてある文字と照らし合わせて、答えの“形”を覚えてきた。


 だが今は、そうした時間も、真似すればいい“形”もない。言葉を聞いて"すぐ"に書くのは、彼には難しかった。


 レオナルドは「ここまで言って駄目なのか」とわずかに戸惑った。

 彼が戸惑うのは、基本的にクラウス関連だけだ。

 何をここまで嫌がっているのか分からず、一瞬だけ思案して、もう一度言葉を選んだ。


「お前の手紙は最低限にする。その代わり、俺からの挨拶の手紙も同封してくれ」


 クラウスが思春期のガキである点、実家との関係が悪い点、そして妙なところで繊細である点。それら全てが絡み合って、“なんとなく嫌”なんだろうと推測したのだ。


 ――もし、レオナルドに『学んでも文字の読み書きが困難な人間が存在する』という前提知識があれば、この時点でクラウスの性質に気付けていたのかもしれない。


 貴族階級であれば教育を受けられる。

 教育を受ければ読み書きができるようになる。


 そう認識していたレオナルドにとって、努力してもなお文字が壁となる存在など、想定したことがなかった。故に、残念ながら、彼は気付くことができなかった。


 クラウスは、「短いのなら、『後で書く』と言える範囲なら、書けるかもしれない」と思った。だから頷き、レオナルドに内容を考えてもらい、それを書いた。


 クラウスの努力と、レオナルドの努力。

 この二つが揃って、ようやく、アイゼンハルト伯爵家に向かう準備が整ったのである。


 そして迎えた当日、レオナルドがクラウスを連れてアイゼンハルト家に訪れると、レオナルドの予想通り、マルグリットが出迎えに現れた。

 彼女が言うには、クラウディウスは現在仕事に出ているが、夜には戻るため夕食は同席するそうだ。

 クラウスは露骨に嫌そうな顔をしたが、レオナルドは丁寧に感謝を伝えた。


 レオナルドは、『十四歳の青年』として、『クラウスの友人』として、そして『高位貴族の子息』として、場にふさわしいバランスの取れた微笑みを作った。

 マルグリットもまた、『クラウスの母』として、『アイゼンハルト伯爵夫人』として、優雅な笑みでそれに応えた。


 傍から見れば、実に微笑ましい光景だった。


 使用人たちは、レオナルドの美しい風貌と、気品をまとった穏やかな笑みに思わず「ほう……」と息を呑み、マルグリットの優しく温かな表情に、「クラウス坊ちゃまが、お友達を連れてきて良かった」と嬉しい気持ちを抱いていた。


 だが、二人の間にいるクラウスだけは、感じ取っていた。この和やかに見える空間に走る、ひやりとした冷気を。


 それは、社交という名の戦場の空気だった。

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