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第23話 クラウスの帰省 母の愛と友の理解

 マルグリットは、クラウスを嫌っているわけではない。むしろ、大切に思っている。

 末っ子ということもあり、いくら身体が大きかろうと、顔つきが強面だろうと、いまだにかわいい。


 だが同時に、彼女はアイゼンハルト伯爵家の夫人であり、クラディアンとクラヴィスの母であり、そしてクラウディウスの妻でもあった。背負うべき義務があった。

 ただの"クラウスを愛する母"として、存在するわけにはいかなかった。


 貴族の家から軍の名門に嫁いだ以上、家の秩序を守る必要がある。

 アイゼンハルト伯爵夫人としてふさわしくあらねばならない。

 三人の息子を等しく愛している。だから、平等に接さねばならない。


 クラウディウスに厳しくされているからといって、クラウスだけを特別扱いすることはできなかった。

 ただ「可愛い息子」として抱きしめることは、許されなかった。

 勉学に向き合えず、貴族としてのふるまいができないクラウスを、叱らなければいけなかった。

 甘やかしたくとも、貴族の三男として正しく導かねばならなかった。


 マルグリットは、クラウディウスの「軍人」としての教育方針に口を挟むことはできなかった。

 彼女は「軍人」ではなく、「軍人の妻」だからだ。


 けれど本心では、十四歳になったクラウスの頭を撫で、抱きしめたかった。それは長男にも、次男にも同じだ。

 きっと全員に嫌がられると分かっていても、それでも母としてそうしたかった。それほどまでに、彼らを愛している。


 だが――彼女はアイゼンハルト伯爵家に嫁いできたのだ。

 もしも夫が「この息子を切り捨てる」と言えば、諾々と頷く。その覚悟を持っていた。

 でなければ、名門の秩序を保つことはできない。


 そんな彼女にとって、クラウスが顔を見せてくれたことは、とても嬉しい出来事だった。

 元気そうな様子に、心からホッとした。それに友人を連れてきたことも、彼女の心を静かに満たした。


 しかし同時に、マルグリットは伯爵夫人としての役割を忘れていなかった。侯爵家次男であるレオナルドという少年を、見極めるつもりだった。

 何を目的としてクラウスの傍にいるのか。何故、この家に訪れたのか。性格、能力、そして野心。

 母としてだけでなく、当主の妻として、確かめなければならない。



 一方で、レオナルドもまた冷静だった。


 彼は事前にクラウスから、家族との関係やそれぞれの人物像を、時間をかけて丁寧に聞き取っていた。

 他人を介した噂話ではなく、クラウス自身の言葉で、彼が何をどう思っているのかを知りたかった。

「クラウスの友人」としてアイゼンハルト伯爵家に乗り込むための情報が欲しかった。


 クラウスは訊かれるままに答えた。

 父がどんな人物か、どのように関わってきたか。

 兄たちについては、成長するにつれて距離ができたため、知っている範囲で。


 そして母についても話した。

 クラウスは、母に愛されていることにちゃんと気付いていた。

 だけど、自分の性質ディスクレシアを理解されていないことも、母は父の側につく人間であることも分かっていた。

 だから、どう接すればいいのか分からなかった。


 レオナルドには未だ、ディスクレシアであることは言えていなかった。だから、その話はしなかった。

 だけど、勉強ができなかったこと。怒られたこと。悲しかったこと、そして、寂しかったこと。

 クラウスはそれらを、ぽつぽつと話した。


 レオナルドは、その寂しさに寄り添いながらも、冷静に情報を整理していった。


 ――レオナルドは、正しく優秀な貴族令息だ。物心ついた頃からずっと「独りで立つ」ことを当然としてきた。

 だからこそ、クラウスの背中を見るまでは、"孤独"というものを知らなかった。

 そしていまもなお、「寂しい」も「悲しい」も感じたことがない。


 クラウスの話を聞き「クラウスが寂しかったこと」は理解したし、寄り添おうとは思ったが、共感はできなかった。


 彼なりに整理した「クラウスと家族の関係」は、こうだ。


 母との関係は、いたって普通。むしろ貴族家としては比較的情が深い。噂に聞いていた「軍の名門アイゼンハルト伯爵夫人」の印象よりも、愛情を持っているようだ。

 彼女にとってクラウスが「大切」なのであれば、クラウスの“親友”としての顔は、見せておいた方がいい。


 父との関係は想像通り。

 クラウディウスは「正しい軍人」であり、「合理的な貴族」である。価値観はレオナルドと近い。

 自分の能力や思考を明確に提示すれば、一定の評価を得られるだろう。


 長男・次男については情報が少ない。だが、彼らはアイゼンハルトを継ぐ者と、そのスペアだ。

「クラウスは政治に向いていない」という理解を示し、「クラウスを政治に向かわせるつもりはない」という姿勢を見せておけば波風は立たない。


 もちろん、これは初対面時の振る舞いの方針にすぎない。状況に応じて、都度修正するつもりだ。

 ――この時点で、レオナルドの政治的な読みと準備は、すでにクラウスの兄たちを凌いでいた。


 その冷静さと鋭さは、とても十五歳の少年のものとは思えなかった。

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