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第24話 クラウスの帰省 初めての案内

 マルグリットは、レオナルドとクラウスの三人でお茶をしたがった。

 だがクラウスは、母親との距離感を測りかねているうえに、思春期という年齢もあり、母親と親友と三人でお茶を飲むのは気が進まなかった。


 そこで、「レオナルドに屋敷を案内する」という名目で、その場を離れた。

 そして言葉通り夕食までの時間、クラウスはレオナルドに屋敷を案内した。


 母に悪いことをしただろうか、と考えつつも、同時に「誰かに屋敷を案内するなんて初めてだ」とも思った。


 なんだか不思議と、入学前までずっと過ごしてきた屋敷を、少し新鮮に感じた。


 相手がレオナルドなので、作法だとかは気にしなかった。というより、クラウスは家を案内する際の作法そのものを知らなかった。

 なので、屋敷の中をただ適当に歩いた。


 新鮮に感じはしたものの、特段面白いものがあるわけでもない。このあと、レオナルドとどう過ごそうか――そんなことを考えていた。

 だが、レオナルドは様々なものに興味を持った。


 アイゼンハルトに所属する兵士の訓練の様子から、屋敷の構造、果ては飾られている絵画や所蔵する書物についてまで質問をした。

 クラウスは、訓練や建物の造りについては答えられたが、絵画や書物の話になったときには、「母とレオナルドでお茶をさせておけばよかった」と本気で思った。


 一方、レオナルドからしたら、それだけの熱量になるのも致し方ないことだった。


 まず、兵士の訓練。

 軍人学校でも確かに、最前線の「兵」としての側面も学ぶ。

 しかし、アイゼンハルト伯爵家の兵たちの様子ははるかに泥臭い。訓練にもかかわらず、そこには現場の空気が――「死」を知る者の空気があった。練度も桁違いだ。

「軍の家」を守るつわものたちが、そこにはいた。


 また、屋敷の構造。

 レオナルドにとって、「軍の名門」であるこの屋敷は、自分の生家や今まで訪れた邸宅とはまったく異なり、非常に興味深かった。

 攻め込まれたときを想定しているのか、それとも他の意図があるのか。そのうえで、貴族家としての優雅さを損なっていない。

 王都の屋敷でこれほどまでに考えられているのなら、領地の屋敷はどのようなものなのか。


 そして絵画。

 名家の子として育ち、芸術品にも教養を持つレオナルドからしても、ここに飾られている絵画は見応えがあった。

 流行りの画家の作品ではなく、歴史あるアイゼンハルト家だからこそ所持しているような由緒ある絵画たち。

 できることなら、その背景や来歴をもっと詳しく知りたかったし、「なぜこの場所にこの絵を飾ったのか」といった、飾る側の意図も訊ねたかった。


 何より――書物には目を見張った。

 レオナルドの家にも本は多くあったが、アイゼンハルト家の書架には「軍」に特化した文献が並んでいた。

 軍人学校でも見られないような専門的な発行物や、紙に書かれたレポートをそのまま綴じたような実務資料。

 手に取った一冊には、三代前の当主が前線で行った戦術展開が、緻密な地図とともに記されていた。

 書庫の空気が、まるで戦場の熱気を思わせるほどに濃かった。


「一泊のつもりだったが、もう少し滞在して読み漁りたい」と思うほどには、レオナルドの興味を惹いた。


 同時に、こんなにも不用心に俺を招き入れていいものか――と、少し不安にもなった。


 自分の家とは、守るべきものの優先順位がまるで違う。

 政を司る家が最も重んじるのは、権威と交渉の場としての格式だ。

 だがこの家は、戦いが始まってしまった“後”を前提にして作られている。


 常に戦場にあり、民を守るために存在する軍――。


 アイゼンハルトが軍の頂点に君臨し続けてきたのは、決して血統固有の魔術のおかげだけではない。

 その価値観と能力を、幼いころから当然のように“与えられる”環境があるからこそ、育つのだ。

 この家に生まれた者たちは、ただの貴族ではない。

 生き方そのものが軍人であり、王国の盾なのだ。


 レオナルドは一人納得し、静かに頷いた。



 アイゼンハルト家の使用人たちは、表情にこそ出さないものの、二人の少年のやり取りをあたたかく見守っていた。


 たしかに、彼らはかつてクラウスの力を恐れた。

 幼い頃から人並外れた――人外とも呼べる身体能力と魔力を持つクラウスは、彼らにとって理解を超えた存在だった。


 だが、嫌悪したわけではない。

 勉強が嫌いで逃げ回り、ときに大声をあげることはあったが、クラウスは決して意地悪をする子ではなかった。むしろ、使用人に気を配るような、優しい子だった。


 使用人が怪我をしていると、兵のための塗り薬を取ってきて叱られた。

 悪いことをしたと思えば、すぐに「ごめんなさい」と謝った。

 誰かにおびえられても、怒ることなくその場をそっと離れた。

 ――その優しさを、ちゃんと見ていた。


 庭の花を踏んでしまったと泣きながら、助けてあげてと庭師に願った。

 おやつを食べると「ちょっと足りない」という顔をした。

 勝手に剣を扱って折ってしまい、「どうしよう」と困った。

 ――クラウスは純粋で優しい、子供らしい子供だった。


 立場の違い、そして何より“畏れ”があったからこそ、寄り添えなかった。しかしそれでも、クラウスを嫌ったことはない。


 クラウディウスから厳しい躾を受け、兄たちとうまく関われず孤立していたクラウス。

 そんな彼がいま、楽しそうに友を案内している。そしてその友もまた、クラウスに柔らかな笑みを向けている。


 十四歳の少年たちのそんなやりとりを、使用人たちは心の中で、そっと、あたたかく見つめていた。

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