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第32話 クラウスの帰省 絵本の中の物語

 兵士たちが見守る中、クラウスとレオナルドは向き合っていた。


 実はクラウスは、木剣を使うよう言われたとき少し困った。二人の手合わせに木剣を使うことは、あまりないからだ。

 理由は単純――ぶつかり合いが激しすぎて、すぐに折れてしまう。過去に何本も、ぽきぽきと折ってきた。


 だから、授業や模擬戦でもないかぎり、二人の鍛錬はたいてい素手だ。

 レオナルドが「剣術の訓練をしたい」「槍の扱いを練習したい」などと言い出さなければ、武器を使うことはない。


 喧嘩も、もちろん素手で行う。

 彼らの日常の「手合わせ」は、ほとんどが「殴り合い」だった。


 ちなみに授業では、教官から「武器を壊さないことも訓練のうちだ」を言われている。


 それを知らない兵士たちは、「真剣を使いたかったのか?」と誤解している様子だった。



 だが、レオナルドが木剣を構えた。

 それならばと、クラウスも木剣を握り、同様に構えた。


 傍から見れば、合図はなかった。

 けれど二人の中では、確かに同時に戦闘が始まっていた。


 ガキン――ッ!


 二人の剣が、激しくぶつかり合う。決して、木剣が出していい音ではなかった。


 クラウスの剣筋は、アイゼンハルト伯爵家が誇る理想形。

 見ただけで剣術を覚えてしまった天才。

 大きな身体と膂力を持ちながらも、それだけに頼らない。兵士たちが追い求める剣だ。

 重く、鋭く、雄々しい。

 真っ当な“強さ”が、そこには在った。


 対してレオナルドの剣筋は、当然ながらアイゼンハルト伯爵家の型とは異なる。

 しかし、その端正な見た目から想像されるような、典雅な騎士剣でもない。

 実戦的で、勝つことを最優先のした戦い方だった。

 剣をただ振るうのではなく、ときに手を離して軌道を変え、間合いを詰めながら攻撃を仕掛ける。


 騎士の言う「正々堂々」とは程遠い。見ようによっては、卑怯にも思える。

 躊躇なく急所を狙う。

 それは、戦場で鍛え上げられた剣そのものだった。


 ――にもかかわらず、美しい。


 無駄も、淀みもない。ただただ速く、柔軟で、巧み。

 極限まで磨き抜かれたその剣は――獰猛でありながら、美しかった。

 レオナルドの太刀筋は、見る者を魅了した。


 二人は、やがて魔術も用い始めた。


 レオナルドが、剣を振るいながら〈氷槍〉を放つ。

 発現したのは、クラウスの背後。完全な死角だ。

 だがクラウスは一瞥もくれず、〈障壁〉で受け止めた。まるで、それが来ると最初から分かっていたかのように。



 魔術とは、体内に宿る魔力を発現させ、その性質をもとに物質や現象を自在に操る技術である。


 通常は術陣の展開や詠唱など、いくつかの段階を経る必要があり、発動までに数秒を要する。

 そのため、魔術は後方支援として用いられることが多い。


 また、詠唱や術陣を省略して魔術を成立させるには、深い理解、極めて緻密な魔力制御、加えて、詠唱を行うとき以上の集中力が求められる。


 そして魔術の発現は、“魔力支配が及ぶ範囲”でしか行えない。“魔力支配が及ぶ範囲”とは、自身の魔力が確実に届き、制御できる領域を指す。

 体内魔力を用いる以上、距離が開けば魔力が途中で霧散してしまうのは当然の理ことわりだ。

 ゆえに、自分の手元から離れた位置での発現は、極めて困難とされている。


 だが彼らは、杖も使わず、剣を振るいながら無詠唱魔術を扱った。

 しかも、レオナルドの〈氷槍〉に至っては、クラウスの背後という“手元から遠く離れた位置”で発現した。


 それが、ごく当たり前のことのように。


「あり得ない……」


 兵士の一人が、思わず声を漏らした。

 彼は下位貴族の出身で、貴族学院を卒業している。多少ではあるが、自身も魔術を扱える。

 だからこそ、目の前の光景が飲み込めなかった。


 学院でも、一学年に数人いれば多いとされた“無詠唱魔術”。


 詠唱を省くことで生まれる数秒は、命を左右する戦場において、大きな意味を持つ。前線に立つ者ならば、それを身を以って知っている。

 しかし、それほどの価値がありながら、その高みに到達できる者はほんの一握りだ。

 無詠唱魔術とは、選ばれた才能が、正しく努力を積み重ねた末にのみ辿り着ける極地である。


「剣を振るいながら、遠距離に無詠唱魔術を発動するなんて……」


 現実に焦点が定まらないかのように、今度は『あり得ない』と紡ぐことすらできなかった。


「……理論上は可能だ」


 兵士長が呟いた。淡々とした語り口は、どこか重みを帯びていた。


「長けた者なら、指先や顔の横などから魔術を放つこともある。剣に魔術を纏わせ戦う者も、幾人か名が挙がるだろう。術陣をあらかじめ展開していれば、その地点から魔術を発現させることもできる。それと同様に考えれば、距離を隔てた場所から魔術を放つことも、理屈の上は可能だ」


 その声音は、整然とした説明とは裏腹に、「実際にそれを成せる者など、ほぼ存在しない」と語っていた。


「それに閣下は、我々の背後から〈障壁〉を張り、守ってくださるだろう」


 先ほど「あり得ない」とこぼした兵士が、反論しかけた。

 〈障壁〉は広範囲を覆うこともできる術式だ。遠距離発動ができることも、まだ理解できる。

 だが、攻撃魔術は近距離からの発出が基本だ。

 この〈氷槍〉を、それと並べて語るのは無理がある。


 けれど、言葉は続かなかった。

 誰よりも冷静であるはずの兵士長が、誰よりも呑まれているように見えたからだ。


 レオナルドは、剣と〈氷槍〉を自在に操りながら、クラウスへと迫る。

 クラウスはその攻撃を〈障壁〉で防ぎ、身体を反らして避け、ときには剣で受け止めた。


 二人の動きは速く、鋭く、まるで先を読み合っているようだった。

 一手一手に技と本能が混ざり合い、空気が軋むような錯覚さえ覚える。


 その光景は、まるで――絵本の中の物語のようだった。

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