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第31話 クラウスの帰省 所在なき者の居場所

 クラウスはというと、レオナルドに連れ帰られるようになった当初、どうにも所在がなかった。

 というのも、レオナルドはクラウスを連れてくるだけ連れてきて、クラウディウスの姿を見つけるや否や、「じゃあ俺は閣下と話してくるから」と、さっさとクラウスを放してしまうからである。


 クラウスを振り返りもせず、柔らかな笑顔で「閣下」と親しげに父のもとへ向かうその背中に、クラウスは「すごいな」と思った。

 自分を堂々とアイゼンハルト伯爵家へ来るための口実として使いながら、まったく臆することのない親友のその姿に、クラウスはいっそ清々しさすら覚えていた。


 マルグリットは、時間が合えばクラウスを呼んでお茶をした。それを何度か重ねるうちに、クラウスは以前よりも母と話せるようになった。

 軍人学校での生活について尋ねられたり、幼いころの思い出話をしたり。

 こそばゆくも、温かい時間だった。

 だが、母も忙しい。毎回、茶をするわけにもいかない。


 だからはじめの頃、どう過ごせばいいのか分からなかった。

 逆の立場なら、レオナルドは本を読んだり、レポートを書いたりして時間を潰しただろう。

 けれども、クラウスにはどちらもできない。


 レオナルドとしては、勉強をしていてほしかった。

 しかし「クラウスを実家に連れてくること」が建前である以上、さすがにそれを強いることはしなかった。


 暇を持て余したクラウスは、身体を動かしたくなった。なんとなく、一人で部屋にいるのは嫌だった。

 学校でも、一人のときは校内をうろついたり、校庭で運動したりしていた。


 だけど訓練場に行けば、兵士たちの邪魔になるかもしれない。

 彼らはクラウスのことを怖がってしまうのだ。


 どうしようかと悩みながら屋敷の中をうろうろしかけて、ふと思う。これも使用人の邪魔になるかもしれないな、と。


 自分の家なのに、居場所が分からない――彼は、そんなふうにショボンと困っていた。


 クラウディウスとの用事を終えたレオナルドは、そんなクラウスを見つけた。

 探していたのではない。書庫へ向かう途中だった。


 自分の家のように堂々と歩いていたその親友は、しょぼくれた様子のクラウスに「何をしているんだ」と尋ねた。

 クラウスは、今の気持ちを率直に伝えた。


 するとレオナルドは、「ここはお前の家だろう」と言った。

 ここはクラウスの家で、使用人や兵士はこの家に仕えている。なのになぜ、お前が遠慮する必要があるのか――と。


 クラウスは、すぐには納得しなかった。


 彼にとって、他人は軽んじていい存在ではない。

 それに、使用人たちが仕えているのは、あくまでこの“家”だ。クラウス“の”使用人ではない。


 レオナルドはクラウスの返答に眉間に皺を寄せ、ため息をついた。

 普段なら外でこんな顔は見せない。

 だがここでは、レオナルドは「クラウスの親友」なのだ。このくらい感情を見せる方が、ちょうどいい。


 彼はクラウスに「訓練場に案内しろ」と言った。


 クラウスは、レオナルドなら場所も知っているし、屋敷内を勝手に移動しても平気だろうに――と不思議に思った。

 しかし、「いいから連れて行け」と命じられ、そのまま案内することにした。


 移動のあいだ、意図を尋ねようかとも思ったが、別に困るわけでもない。

 クラウスは「まぁいいか」と思って、そのまま歩いた。


 訓練場に着くと、やはり兵士たちが訓練をしていた。



 ――アイゼンハルト伯爵家の兵士たちは、“騎士”ではない。

 一般に、貴族家や王侯貴族に仕える私兵は“騎士”と呼ばれる。名誉と誓いの証として、そう称されるものだ。


 だが、彼らは異なる。

 本来、“騎士”という呼び名が誉れであるにもかかわらず、それを求めない。

 その在り方の表れが、彼らの“仕える対象”だ。


 彼らはクラウディウスに仕え、「閣下」と呼ぶ。しかし、そこに在るのは個人への忠誠ではない。

 彼らが仕えるのは、“伯爵家”でも“その家の当主”でもなく、“王国の盾”である軍事貴族、その象徴である。

 我が命は王国の盾として使われ、我が魂は王国の盾と共にある。

 個人でも家でもない、その象徴のもとに生きる彼らは、“兵”であることに誇りを持っている。



 そんな彼らの訓練の様子を眺めながら、レオナルドはキラキラとした笑顔とよく通る声で、クラウスに訊いた。


「今はどんな訓練をしているんだ?」


 ――見れば分かる。クラウスはそう思った。

 移動中、「まぁいいか」と質問をしなかったせいで、彼はレオナルドの真意をいまだ把握していない。

 戸惑っているうちに、場の責任者である兵士長が彼らのもとに来て、訓練内容を説明し始めた。


 レオナルドは、その流れの中でごく自然に、「自分たちも訓練に混ざっていいか」と尋ね、相手に頷かせた。

 こういう技術を見るたびに、真似できないな、とクラウスは思う。


 クラウスは当惑しながらも、レオナルドと共に訓練に混ざった。


 軍人学校に入るまで、クラウスはいつも、距離を置かれていた。

『王国の盾と共に在る』という矜持を抱く者でも、その覚悟のもと鍛え上げた者でも、クラウスの力を前にすれば、そっと目を逸らした。

 まるで“同じ人間ではない”とでも言いたげな、静かな恐れが、そこにはあった。


 でも、この日は違った。


 優れているのが、クラウスだけではなかったから。

 レオナルドが、クラウスと同じだけのことを、平然とやってのけたから。


 美しい貴公子が、クラウスと同じ訓練をこなす。

 しかも、息を乱すこともなく。


 唖然とする兵士たちの前で、休憩時間に入ると、レオナルドは軽い調子でクラウスに言った。


「皆休憩で訓練場も空いているわけだし、手合わせでもするか」


 そして彼は、まだ目の前の光景をうまく理解できていない兵士たちに、柔らかな笑顔で声をかけた。


「構いませんか?」


「真剣は渡せないけど、木剣なら」


 兵士たちは、自分たちの監視下でもあるので問題が無いだろうと、許可を出した。


 そして、クラウスとレオナルドの二人はぶつかり合った。

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