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第34話 クラウスの帰省 化け物と少年

 部屋に入るにはどうすればいいか? 扉を開ければいい。


 だが、その扉には鍵穴が存在せず、視認さえできなければどうだ。そしてその錠前に触れ、構造を解くチャンスが一瞬だけだとしたら?


「魔力が空間に固定されているなら、その結合を崩せばいい」


 この言葉は、それと同じだ。「どうやって?」の部分が欠けている。



 そもそも、魔術に干渉するなど、普通はできない。

 なぜなら、術は術者の魔力によって構築され、外部から手を加えることが極めて困難だからだ。


 もっとも、例外もある。

 術が構築しきる前に、魔力を制御不能にすればいい。

 魔力に魔力で干渉し、術式の流れを乱すことで霧散させるのだ。

 ただし「魔力で干渉する」には、ごく至近距離にいるか、極めて精密な魔力操作が必要とされる。現実的には、不可能に近い。


 故に人々はこう言う。

 魔術を防ぐには、魔術をぶつけるほかないのだと。


 たとえば〈炎矢〉に対して〈氷槍〉を撃ち合わせ、打ち消すことがある。攻撃魔術同士であれば、相性や魔力量、術の構築技術によっては相殺できる。


 〈障壁〉も、ある種それに近い。

 衝撃を与え続けて結合を解くという行為は、魔力をぶつけ合って相殺しているとも言える。


 しかし、攻撃魔術と〈障壁〉では根本的な性質が異なる。


 攻撃魔術は“移動”する。

 空気を燃やす矢のように、あるいは凍らせる槍のように。移動し、対象にぶつかって魔力を“働かせる”。


 対して〈障壁〉は“固定”される。

 移動せず、燃やすことも凍らせることもない。ただ、守るためにだけ魔力が使われている。


 移動や付随する効果に魔力を割り振った攻撃魔術と、すべてを硬さに割り振り、空間に“固定”した〈障壁〉。

 同じ魔力量を注いだとして、ぶつかり合えばどちらが“殺される”かは明白だ。


 加えて、〈障壁〉を使いこなせる者は限られている。

 すなわち、それを展開するのは、魔術に長けた手練ればかりということだ。


 魔術に優れた者が作った、魔術を阻む壁。


 そんな〈障壁〉に対して、『魔力で干渉して結合を崩そう』などと考える者は、まずいない。

 ましてや、剣や拳を交えながらなどという状況で、それを実行に移そうとするなど、学者から見たら正気の沙汰ではないだろう。


 それでも、レオナルドは行った。


 理論立て、実践し、結果を解析し、また実践する。

 彼は、誰よりも〈障壁〉に触れるチャンスがあり、誰よりも“試す”機会があった。


 経験を蓄積し、思考を止めない。やれるまでやる。

 ――レオナルドの得意分野だ。


 そして、彼は一つの方策を見つけた。


 魔術を遠距離から放っても、衝撃は広範囲に分散し、壁に十分な圧力をかけることができない。


 だが、近距離からなら話は変わる。

 釘を打ち込むように、力を一点に集約させれば――どれほど硬い壁であっても、ひびが入る。


 〈障壁〉も同じだ。

 遠距離攻撃では結合を崩しにくいが、近距離で一点に魔力を集中させれば、魔力の結合が乱れ、干渉が可能となる。


 だからこそ、レオナルドは遠隔攻撃ではなく、拳を直接叩きつける方法を選んだ。

 一点に魔力を込め、〈障壁〉の結合を破壊するために。


 彼は拳に、氷の魔力を“手袋”のように纏い、それを硬質に結晶させた。

 移動エネルギーは、自身の膂力で補う。


 そうして〈障壁〉に触れ、固めたエネルギー同士をぶつけ、一点に“裂け目”を作る。

 その裂け目から魔力を流し込むことで、〈障壁〉の結合を崩壊させる。


 これは、至近距離での物理的・魔力的"複合干渉"であり、通常ではまず実現不可能な荒業だった。


 そもそも、壁を殴るという行為自体が身体への危険を孕んでいる。反動で、肩や腰が壊れかねない。


 殴るという動作は全身を使う。

 拳は魔力によって強化されていても、衝撃はそこだけに留まらない。

 肩に圧がかかり、腰に負担が蓄積する。


 硬い〈障壁〉を殴る度に、衝撃は骨へと染み込み、筋繊維を軋ませていく。

 その負荷は確実に積み重なり、レオナルドの動きにじわじわと影響を与えていた。


 だが、レオナルドは拳を振り下ろし続けた。

 これは、「クラウスに並び立つ」と決めた男の執念だ。



 クラウスとて、これまでの手合わせで、ただ殴られ続けていたわけではない。

 レオナルドの攻撃に対応するため、〈障壁〉を改良していた。

 ――感覚で。


「もっとシュッとするか、ギュッとして、ツルっとすればいい」


 ……本人の中では、れっきとした改良案である。


 “シュッと”とは、展開範囲を最小限に絞ること。

 必要な瞬間に、必要な場所だけを。最低限の硬さで守り、魔力消費を抑える工夫だ。


 “ギュッと”は、魔力をより強く圧縮し、硬度を高めるという意図。

 “シュッと”する〈障壁〉とは対照的に、拳を弾く、高密度な魔力の盾に仕上げる。


 “シュッと”と“ギュッと”。

 目の前にある〈障壁〉が「一瞬しか存在しない盾」なのか、それとも「殴れば反動で肩がやられる強さ」なのか。

 これらを組み合わせることで、レオナルドの処理能力に負担をかけた。


 そして、“ツルっと”は表面を滑らかにする工夫。

 丸みを帯びた〈障壁〉は拳の軌道を逸らし、衝撃を滑らせることで正面からの直撃を避ける。


 クラウスはそうした特性を組み合わせた〈障壁〉を展開した。

 知識や理屈ではなく、“感覚”で。考えるのではなく“反射的に”。

 熱いヤカンに触れたら手を引っ込めるように。

 無意識に、最適な〈障壁〉を展開していた。



 兵士たちは、息を呑んで見ていた。

 クラウスは、レオナルドと出会ってから、以前よりも“化け物”になっていた。


 だが彼らは、その“化け物”を、もはや恐れてはいなかった。

 なぜなら、レオナルドがいたからだ。

 対等に渡り合う者がいることで、それは恐怖ではなく、敬意へと変わった。


 まだ身体もできあがっていない少年が、並び立つように技術と魂で戦い抜いている。

 泥にまみれ、吠え、全力でぶつかり合うその姿に、兵士たちはただ恐れるのではなく、心からの敬意を抱いた。


 そして気付いたのだ。

 自分たちはこれまで、クラウスの強さに向き合おうとさえしてこなかったのだと。


 なぜ自分は、レオナルドのようにできなかったのか。

「クラウスには敵わない」と諦め、「彼は化け物だから仕方がない」と、己の弱さから目を逸らしてきたことを、今、悔いていた。



 アイゼンハルトの兵士たちは、強さを尊ぶ。

 しかし、どれほど尊ぶものであっても、あまりに遠すぎれば、拒む気持ちが芽生えてしまう。

 クラウスの才能は、常識では測れない“圧倒”だった。


 ――だが、理解できない強さが、クラウス一人ではなくなった。


 そしてそのもう一人は、“化け物”などと呼べないほど、真っ直ぐだった。


 汗を流し、泥にまみれ、それでもなお勝利を求めて戦い続ける。

 その姿は、美しかった。


 二人は、異なる強さを、等しく体現していた。

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