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第35話 クラウスの帰省 戦場は舞台

 さて、はじめは事の流れに戸惑っていたクラウスだが、今はとても楽しかった。

 彼にとって、行なわれているのが喧嘩でも手合わせでもなかったからだ。


 そのどちらかの場合、レオナルドは本気で急所を狙う。

 しかし今日は違う。遠慮なく急所に攻撃が向いてはきたが、そこに殺気はなかった。

 それに今日は、いつもより“獰猛”だった分、かえって狙いが分かりやすかった。

 雰囲気とは裏腹に、危険を感じなかった。


 つまり、レオナルドの戦い方が、“遊び”だったため、クラウスは楽しくなったのだ。


 ……“ワンプロ”をご存知だろうか。犬にとっての社交的な行動であり、じゃれあいの一種だ。

 クラウスにとって、いま行なわれてるのはワンプロだった。


「遊んでもらって楽しい」


 レオナルドは、クラウスのライトグリーンの瞳から、そんな感情を読み取った。


 一方、レオナルドにとってこれは何か。――パフォーマンスである。

 それも、「兵士たちへの示威」と「クラウスの安心」の両方を狙った、綿密な演出だ。


 通常の手合わせならば、レオナルドは吠えたりしない。もっと静かに殺す気でいく。〈氷槍〉以外の多彩な魔術を織り交ぜ、その命を狩りにいく。

 しかしそんな手の内を、わざわざ他所の兵士に見せる必要はない。


 いま彼は「本気の少年」として“魅せる”ために拳を交えていた。


 兵士たちの中で、クラウスを“化け物”ではなくすため。

 そしてクラウスに『ここは遊んでもいい場所だ』と教えるため。


 そのために、彼は舞台を整え、舞ったのだ。


 “演出”のために泥に塗れたし、殴り合ったのだからダメージも受けた。だが、怪我はしていない。

 つまりこれは、彼にとって、日常のトレーニングと同程度の負荷に過ぎなかった。


 なんなら、『いい運動になった。今日の分のトレーニングも兼ねられて効率が良かったな』とさえ考えていた。


 ――さて、どうやって終わらせるか。


 レオナルドは頭の隅でそんなことを考えながら、「レオナルドの勝利」で終わらせる道筋を閉じ続けるクラウスに、心中軽く笑う。


 さっきまでのしょぼくれた顔はどうした、このバカ犬め。


 クラウスのために始めた“遊び”なのに、楽しそうにじゃれ返されると、その単純さが可笑しくて、つい笑ってしまう。

 ここが軍人学校の訓練場ならもう少し付き合ってやってもいいのだが、アイゼンハルト邸でだらだらとは続けられない。そろそろ締めくくる必要がある。


 もちろん、負けてやるつもりはない。

 彼はこれを「パフォーマンスかつ訓練」と定めたが、その範囲内で――本気で勝ちにいっていたのだ。


 ……だがまぁ、ここが落とし所か。


 レオナルドは、わざとクラウスの拳を喰らった。

 その勢いを借りて、大きく吹き飛ばされたように見せつつ、ダメージを殺しながら転がる。そしてその途中で、折れた木刀を拾った。


 クラウスは「レオナルドがわざと、ダメージを最小限に抑えながら攻撃を喰らったこと」を理解した。

 そして過去の手合わせでの経験から「何か仕掛けてくる」と判断した。


 木刀を手に持ったのなら、あれを武器として向かってくるか、それとも投げてくるか。


 クラウスは、無意識下で“考えた”。

 これまでのように“反射”で対応するのではなく、レオナルドの攻撃に備え、構えた。つまり、動きを止めた、ということだ。


 レオナルドの、思惑通りに。


め!」

 兵士長の声が、訓練場に響く。

 クラウスは驚いた。レオナルドはパンパンと砂埃を払った。


 ――第三者の目から、今の光景を振り返ってみよう。

 レオナルドは、思い切り攻撃を受けた。派手に吹っ飛ばされてしまうほどの打撃だ。きっと大きなダメージを負ったはずなのに、いまだ立ち上がろうとしている。

 一方でクラウスは、まだ構えを解いていない。戦いを続けるつもりなのだろう。


 攻防が途切れた、この瞬間。

 我に返った兵士長がすべきことは、何か。


 手合わせを止めることだ。


 少年たちが止まれないのなら、場を預かる大人が止めるしかない。

 ここで「クラウスの勝利」と口にしなかったのは、レオナルドへの配慮であると同時に、当の本人がピンピンしていたからだ。


 なお、吹っ飛ばされたはずのレオナルドがあまりに平然としていたことで、一部の兵士たちは目を見開いた。


「……我々の休憩中、という話でしたから。これ以上休憩を長引かせることはできません」


 レオナルドはそれに「そうですね。すみません、長々と訓練場を独占してしまいました」と柔らかい笑顔を返した。


 当然ながら、兵士長が止めるところまでレオナルドの計算だ。


 レオナルドは、「レオナルドの勝利」で終わらせる道を諦めた。

 だが、自分が「負ける」つもりもなかった。

 かといって、「今日はここまでにしようか」と“ただの”引き分けとして終わらせるのも、勿体無い。


 そこで、せっかくなら、兵士たちに止めさせてやろうと考えたのだ。

 クラウスとレオナルドが「彼らの言葉を聞く“少年”」だと分からせてやろうと考えた。


 対してクラウスは「そういえば兵士たちの訓練中だったな」と思い出し、兵士長とレオナルドの言葉をそのまま受け取り、訓練の邪魔をしてしまったことを反省した。


 耳を垂れしゅんとする犬のようなクラウスに、レオナルドは「クラウス、さすがにこのままじゃ帰れない。シャワーは借りられるか?」と尋ねた。

 クラウスは単純な犬なので、しゅんとしたことを忘れ、「おう」と返し、屋敷に戻ることにした。――が、兵士長がこう言った。


「坊ちゃん、その状態で屋敷に上がるのはどうかと……。訓練場に併設している施設で、簡単にでも汚れを落としてからの方がいいですよ」


 クラウスはパチクリと目を瞬かせた。

 その話し方が、幼い頃に語りかけてくれた時と同じだったから。


 ふと兵士たちの方を見ると、彼らも困ったようにしながらも、笑っていた。

 いつもみたいに怖がっている雰囲気はなかった。

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