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第36話 クラウスの帰省 舞台を降りて

「分かった、ありがとう」

「お邪魔しました」


 クラウスとレオナルドはそれぞれそう言って、その場を後にした。



 二人はクラウスの先導で、簡易洗浄場へと向かう。


「あそこの魔術具、温度も水量も調整できねえけど、いいよな?」

 道すがら、クラウスが記憶を頼りに問いかける。


 簡易洗浄場は、兵士たちの衛生管理のために設けられた場所で、屋敷内の浴室とは違い、浴槽もくつろげる空間もない。

 シャワーらしき水の噴出口があるだけの、質実剛健な造りだ。


 クラウスは『いいよな?』と言いながらも、軍人学校で似たような設備を使っているので、レオナルドは大して気にしないだろうと思っていた。実際、「あぁ、構わない」と返ってきた。



 訓練場とはさして離れていないため、洗浄場にはすぐに着いた。

 レオナルドは周囲を簡単に見回し、そして訊いた。


「下水スライム層は? 使用水量での管理か?」


 唐突な問いに、クラウスは一瞬きょとんとした。


「ん? ……いや、確か屋敷の地下に流れるはずだから、使用水量での管理はしてないはずだけど……」


 スライム層とは、汚物や排水を処理するための設備だ。

 アイゼンハルト邸のスライム層も、一般的な貴族の屋敷と同様、地下に備えられている。

 洗浄場の汚水も流路管を通じてそこへ流れるため、個別での管理などしていないはず……とクラウスは遠い記憶を手繰り寄せた。

 そして、なんでいまそれ訊くんだ、と疑問に思いながらも、答えた。


「なら問題ない」


 レオナルドはあっさりそう言うと、無造作にシャツを脱ぐ。

 それを傍に置いた次の瞬間、空中から水が降り注ぎはじめた。まるでシャワーのように。

 ――魔術で水を発生させ、髪と身体を洗い始めたのだ。


「あ」


 思わずクラウスが声を漏らす。

 だがレオナルドは、素知らぬ顔で言った。


「これなら、水量も勢いも調整できる」


 平然と魔術でシャワーを再現する親友に、クラウスは呆れとも感心ともつかない顔を向ける。


「軍人学校じゃ、魔術具の使用回数とスライムの栄養状態を結びつけて管理してるからできない方法だが……こういうときは便利だ」


 軍人学校では、水の使用量が厳しく制限されている。

 水の魔術具の使用回数と井戸水の供給量、それぞれに上限が設けられ、その限られた範囲内でやりくりすることも訓練の一環だ。


 さらに、使用した水――つまり発生した汚水と、それによるスライム層への影響を照らし合わせることで、スライムへの理解を深める教材にもなっている。

 魔術で勝手に水を生み出し、それを汚水として流してしまうと、照合の前提が崩れてしまう。

 そのためレオナルドは、軍人学校ではこれをやらなかった。


「汚水の処理方法も考えてみるか。乾燥もできると便利なんだが。そうしたら学校でもバレずに使えるな」


 そんなふうに、とんでもない技術を披露しながら常識外れのコメントをする親友に、クラウスは呆気に取られた。

 そして、バレなければ勝手に水を使うつもりなのかと、ぼんやり考えた。



「汚いと気持ち悪い」という人間らしい感覚。

 そして、それ以上に――徹底的な合理性が、レオナルドにこの魔術を編み出させた。


 病を防ぎ、貴族としての印象を損なわないようにするためには、常に清潔であることが求められる。

 ならば、好きなときに身体を洗えたほうがいい。


 そう考えた末に、彼はこの魔術を作り上げたのだ。



 クラウスが「こいつはやることも発想も規格外だなぁ」と、ぽかんと口を半開きにしていると、それを見たレオナルドが言う。


「お前もできるだろ」


「はぁ?」


「だから、お前だってできるだろ」


 ……やろうと思えば、できる。

 言われてみるとたしかに、クラウスはレオナルドの“擬似シャワー”がなんとなく真似できそうな気がした。



 レオナルドは、自分で言っておきながら、クラウスの「できるな」の顔に苛立ちを覚えた。


 手元以外からの魔術の発現は、レオナルドとて習得に時間を要した。

 しかもこの魔術は、既存の攻撃魔術を応用して編み出した、完全な自作だ。

 シャワー用の魔術具を分解して術陣構造を調べ、何度も試行錯誤を繰り返した末に完成させたものである。

 それを簡単に『真似できる』と思われるのは、腹が立つ。


 その苛立ちを込めて、レオナルドはクラウスに思いきり水をかけてやった。


「それで十分だろ」


 クラウスは、『当たると怪我を負う攻撃』には『なんとなく避ける』が発動される。

 だが、レオナルドのそれには害がなかったため、反応できなかった。

 結果――びしょ濡れになった。


「十分じゃねえよ!」


 クラウスは驚きながら、そう叫んだ。


 ぶるぶると頭を振り、犬のように水を飛ばす。

 むすっとしながら視線をやると、レオナルドが少し不機嫌なことに気付いた。


 何故不機嫌なのかは訊けば教えてくれるだろう。だけどいまはそのタイミングじゃない。そんな気がした。

 そこでクラウスは、とっさに話題を変えた。


「軍人学校でもこれできたら便利だよな」


「残念ながら、スライム層の異変対処の仕事は、それなりに多いからな。生徒が学ぶ機会を減らすわけにはいかない。……変異種が大繁殖して壊滅した村の話、この前の授業でもあっただろ」


 空気を変えようとしたところ、勉強の話題に移ってしまった。クラウスは内心「しまった」と唸った。

 あと、『汚水を処理できるようになるまでは“擬似シャワー”を使わない』という選択が『バレるから』以外に『生徒の学習機会』まで考えた上でのものだと知り、真面目なのかなんなのか迷った。


有機物栄養を与えすぎるとスライムが変異することくらい、貴族では常識だが……」


 貴族家では、定期的に保守点検を行う。

 これはある程度の危険が伴うため、専門の管理人が雇われており、費用もそこそこかかる。


「公共、もしくは私設でも“街”が管理しているスライム層しか使ったことのない平民も多い。どれくらいの人数で、どれくらいの期間使えば危険が生じるのか――それを“体験として”学ばせる必要がある。仕方のないことだ」


 レオナルドの言葉を受けて、クラウスはふと、先日の教室での光景を思い出した。


「アイザックとか驚いてたよな。都市の公共スライム層の管理官が国家資格持ちで、高給取りだって話に」


 あのオッサンが、そんなに偉いのか。そんな難しい仕事をしてるのか。そんなに稼いでるのか。

 クラウスは、教師の話に逐一目をまん丸にしていた友人の顔を思い出す。




 アイザックはクラウスとレオナルドの共通の友人だ。課題で同じチームになることが多く、親しくなった。

 クラウスにとっては、自然に。レオナルドにとっては、計算で。


 平民で、入学当初は二人に遠慮がちだったが、今では気兼ねなくふざけ合える間柄だ。


 軍人学校に入り、村に仕送りができるようになることを期待されて、辺境の地から送り出された。

 人懐こく、実地課題で知り合った「オッサン」――王都のスライム層管理官の一人とも、初対面とは思えないほど気さくに話す男である。



 クラウスは思い出し笑いを浮かべながら口を開く。


「あいつ、あのあと『俺でも管理官目指せるかなぁ』とか言ってたぞ」


「軍人学校に入っといて、よくそんなこと言えるな……」


 レオナルドはため息と共に、呆れたように言った。


 どうでもいいような会話を交わしながら、二人は十分に汚れを落とし、体を拭いて屋敷へと戻っていった。


 その頃には、昼間のしょぼくれは、クラウスの顔に残っていなかった。

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