「…………寝れない」
結論から言うと、寝られなかった。
身体は疲れているのに、少しウトウトするくらいで、目が覚めてしまう。
やはり木の上で寝るなんて、現実的ではなかったということなのか。
時刻は23時。それでも4時間くらいは休めた。
空には月が輝いており、森の中にあって月光が差し込み幻想的な風景を作り上げている。
闇の主もこれなら出現しないだろう。多分。
「歩くか」
地図を確認すると、残りは320キロメートル。
なんだかんだ43キロメートルも歩いてきた。フルマラソン一回分だ。
「ダークネスフォグ」
闇を重ねて歩く。
どこにどういう危険があるかわからないから、なるべく術は使うようにしていた。
しばらく危険な生物と出会っていないからか、慎重さが欠けてきているのを自覚していた。あの大猿のような派手な脅威だけが危険ではない。
どこからか弓で射かけられるかもしれない。
魔物の集団と遭遇するかもしれない。
底なし沼にハマるかもしれない。
毒草で肌が腐るかもしれない。
軍隊アリに生きたまま囓られるかもしれない。
いきなり崖が現れて前に進めないかもしれない。
可能性はいくらでもある。
知らない土地、知らない世界。
なにがあるか、本当の意味でわからないのだ。
「……といっても、魔物は出ず……か」
出ないほうがいいのに、何も出ないことで逆に不安が増していく。
あの大猿のような強大な魔物と、また遭遇してしまうのではという不安だ。
だからといって、足を止めたりはしないが。
「満月……か。月の満ち欠けが地球と同じなのかな」
神は『地球と似た世界』だと言っていた。少なくとも異世界人である我々「転移者」が普通に生存できる程度には似ている世界ではあるのだろう。
気温や大気濃度成分や重力は言うに及ばず、月さえも(そしておそらく太陽も)同じようなサイズでそこにあるのだ。これは、もう一つの地球とでもいうべき近似だ。
もちろん、転移者たちがこの世界に送られる際に肉体になんらかのチューニングを施された可能性はある。
スキルやギフト、ステータスボードもそうだが、これらは地球では考えられなかった恩恵であり『地球の自分』と『この世界の自分』が同一人物であるのか、正直疑わしいところだ。
「ダークネスフォグ」
言葉一つで、深い闇をさらに深い深い闇が覆い尽くしていく。
こんなことができる理由が「世界」にあるのか「個人」にあるのか、おそらくは両方だろうが、いずれにせよ俺自身は精霊力を扱える存在へと作り替えられていると考えるのが、自然であろうと思う。
闇の中を歩く。音さえも遮るこの闇の霧の中では、まるで夢の中を歩いているかのようだ。これが現実で、あるいは次の瞬間には魔物に喰い殺されている可能性があるだなんて、それこそ夢のようにしか感じられない。
(麻痺し始めてるんだよな……。この異常な事態に……)
とはいえ、俺はまだ生きている。
あの「ヒント」は確かにこの上なく有効な「生存への糸口」だった。おそらく、神からしてもすぐに転移者が死んでしまっては面白くないのだろう。
この森では、確かに夜に行動する魔物は少ないようで、お守り代わりに闇魔法を使う程度で、あの大猿以来ほとんど危険無く歩けている。
もちろん、運が良かっただけという可能性もあるが……。
そんなことを考えながら歩き続けていると、月の光が幻想的に差し込む森の中で、ほのかに光を放っている部分がある。月の明かりではなく、それそのものが発光しているような光。パチパチと瞬き、まるで線香花火のようだ。
「なんだろ……。蛍かな……?」
近寄ってみると違った。
「花……?」
大きな木の傍らに一株だけ。一株に二輪の青と白の可憐な花が咲いている。
そして、その花が不思議な輝きを発しているのだ。
「……こんな花、昼間はあったかな」
どこから魔物が飛び出してくるかわからない緊張感のなか、かなり周囲に気を配って歩いてきたはずだが、こんな花なんて咲いていた記憶はない。
昼は目立たず、夜になると咲くタイプの花なのだろうか。
「光る花か……。摘んでおけば後で売れたりするのかな」
森を無事に抜けられたとしても、それから先の生活のことを考えると暗澹たる気分しかない。ポイントも結界石で使い切るのは明白だし、無一文だし、武器もないし。
それを考えると、この森で少しでも生活の足しになるものを手に入れておく必要があるのかも。結界石は売れるかもしれないが、いくらになるかなんて見当も付かないわけだし。
……生きるか死ぬかの状況で、そんなことを考えても仕方が無いのかもしれないが、片手間に拾えるものなら拾っておいて損はない。
「……とはいえ、毒があるかもしれないか? 毒耐性を持ってるといっても、少し体調崩すだけで詰む状況なわけだから、慎重にいくか」
幸い、花が咲いている場所は土が軟らかく、周辺を落ちていた枝で掘って根ごと掘り出すことができた。
花は不思議と引っこ抜いても光を放ち続けている。
おっかなびっくり花を手に取った次の瞬間――
『おめでとうございます! 異世界転移者であなたが一番初めに特級レア素材を入手しました。初回ボーナスとして、3ポイントが付与されます』
突然、声が脳内に響き渡った。
「ッびびった……。心臓止まるかと思った……」
いきなり声がするから本当に心臓に悪い。まして、こんな真夜中の森では。
ステータス画面を開くと、確かに3ポイント増えていた。どうやら、この花が「特級レア素材」とかいうもので、特殊なボーナスが発生したようだ。
事前に、そういうボーナスがあるという話は聞いたことなかったから、隠し要素みたいなものなのだろうか。
「3ポイント……。ポイント……!? クリスタルじゃなくて!?」
こんな風にポイントが増えるなんて、想像もしていなかった。
クリスタルでいえば、90個分である。大盤振る舞いもいいところだ。
とにかく、3ポイントは途方もなく大きい。今の俺には命そのものと言ってもいい。
想定外の3ポイントを得たのはいいが、この花の詳細は不明だ。特級レア素材というくらいだから、なんらかの効能があるのは明白。良い効果ならいいが、もしかすると、悪い効果である可能性もある(考えたくもないが、魔物を寄せ付けるとか)。
俺は1クリスタルを消費して『アイテム鑑定』を使うことにした。
アイテム鑑定によって、どの程度の情報が得られるかのテストにもなるし、将来のことを考えれば、この投資は絶対に必要だ。
ステータス画面から、アイテム鑑定を選ぶ。1クリスタルを使用。
『蒼月銀砂草 :通常 (深い森で満月の夜にのみ現れる二輪草。自ら輝く姿から暗い中でも見つけやすいが、精霊力の局地的純化により発現するため、発見自体が非常に困難。精霊力により光を放つ性質であり、土から引き抜いても枯れることがなく、不死の象徴として好事家の間で高値で取引されている。乱れた精霊力を整える効能があり、根を煎じれば精霊骨繋索失調性麻痺の特効薬となる。特級レア素材)』
つまり薬になる珍しい草ってことらしい。
枯れない上に、かなり高価なもので間違いないようだ。
俺はシャツの袖を加工した袋に、花を入れた。
サンゴスグリはもう全部食べてしまったので、また調達しなければ。
残ポイント 9
クリスタル 11