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031 宝珠、そして叫喚



「ふぅ。かなり綺麗になってきたな」


 俺はなぜか二階層の掃除を続けていた。

 グレープフルーを気の毒に思ったから――最初は、それが理由だったのだが、単純に迷宮が綺麗になっていくことに達成感があったのだ。


 迷宮の第二階層である「飢獣地下監獄」の構造についても、かなり詳しくなった。

 2層はかなりの広さだが、地図がなくても迷うことはないだろう。

 魔物の群れがたむろする大部屋や、風呂のようになっている綺麗な水が出てくる水場、監獄の外という扱いなのか、庭園のような場所など、最低でも第一層と同程度の広さはあるだろう。


 それだけの広さを掃除していくのは、ほとんど趣味の領域に近い行為だった。シャドウバッグはバッグの中身がごちゃごちゃになることがなく、基本的に入れた物は個別に管理することができた。ある程度いっぱいになったら、2層の中でもアクセスの良い小部屋に積み上げておいた。どこに捨てればいいのかよくわからないし、とりあえず猫の獣人がケガをしなければいいのだから。

 棚からぼたモチ的に、シャドウバッグの位階レベルも上がっていた。何度も出し入れしていたからだろう。


 出現する魔物も一通り見たと思う。

 小さい小鬼はゴブリンというらしい。戦闘中の探索者がそう呼んでいるのを聞いた。

 犬と人間のハーフみたいな魔物はコボルト。

 棍棒を持った大男はオーガ。

 豚と人間のハーフみたいなデカい魔物はオーク。


 どれもどこかで聞いたことがある名前だが、これは翻訳の都合でそうなっているだけかもしれない。地球の人間が視聴する関係で、翻訳をローカライズする。よくあることだ。

 逆に俺にはローカライズ前の「異世界語」での魔物名を知る術がない。自動翻訳は非常に便利だが、すべてが勝手に日本語に翻訳されるので、その前を学習できないのだ。

 もし神の気まぐれで自動翻訳が切れたら、いきなりバベルの塔の如く、言葉が全く通じない男ができあがってしまう。

 ……まあ、今のこの生活ではあまり困らないかもしれないが。


 ちなみに一番強い魔物は、オークでもオーガでもなく、稀に一体で現れる危険なやつだ。

 俺も2度しか見かけたことはない。


(今日は空振りかな……)


 死体がないこと自体は良いことなのだろうが、俺の生活的にはピンチだ。

 かといって他の生きる方法も考えられない。

 最終的には、開き直って魔物と戦うしかなくなるのかもしれないが、それには、せめて、もう少し注目度が下がって、人々が俺のことを忘れて視聴者数が激減するまで待ちたかった。


 おそらく、俺以外の転移者たちは刺激的な生活や冒険で、視聴者を集めているはずだ。

 そうすれば、俺がちょっと魔物と戦ったくらい、誰も気にもとめなくなる。

 ――きっと……そのはずだ。

 だからそれまでは、まだしばらくこの生活を続けよう。


(…………ん? こんな所に扉なんかあったか)


 第二層をいつものように闇に紛れて移動していると、唐突に目の前に薄く輝く扉が出現していた。

 飢獣地下監獄は、まさしく巨大な監獄であり、鉄格子のない牢屋とでもいうべき小部屋はいくつでもあるが、扉は存在しない。

 少なくとも、俺が見た範囲には扉などなかったはず。

 だが、現実に怪しい輝きを発する扉がいきなり姿を現したのだ。


(なんだ……?)


 謎だ。

 とてつもなく怪しい。

 だが、放置するのも惜しい気もする。

 怪しい扉ではあるが……開けてみたい。


(……使うか)


 グレープフルーにポーションを使ったことで、クリスタルの使用くらいならいいかという気分になってきていた。

 視聴者数もわずかずつだが減ってきている。そのことが少し俺の心を軽くしていた。

 メッセージの数は相変わらず増え続け、未開封が3000を超えている。

 そちらは自分の中で存在を抹消し、見ないことにしている。


 1クリスタルを使用し、扉に向かってアイテム鑑定を行う。

 扉がアイテムとして認識されるかどうかは賭けだったが、うまくいった。


『宝物庫の扉: 神獣リリムーフが気に入った探索者へ贈り物をするために設置する扉。贈り物をされた者だけが認識し中に入ることができる。中の珠玉オーブを取り外に出ることで扉は消滅する。珠玉の譲渡は神獣の怒りを買う。ゆめゆめ注意されたし』


「お宝って、これのことなのか!」


 少し前に、猫獣人リンクスのグレープフルーから聞いたやつだった。

 てっきり、宝箱がそのへんに落ちてるのかと思ったが、そうではなかったらしい。


 説明を見て安心した俺は、扉の中に入った。

 中は簡素な個室で中心の台座の上に、握りこぶし程度の玉が置かれていた。


(宝石みたいなもんかと思ったが……ガラス球って感じだな)


 この段階では、中身が何かはわからない。

 つまり、これそのものが「宝箱」なのだろう。外に出て、初めて開封できるのだそうだ。


「……ありがたいな」


 金欠の俺にとって、たとえ中身がどんな物だったとしてもお宝だ。

 迷宮を掃除していたのを見ていた神獣が、ご褒美をくれたということなのかもしれない。

 どういうものが出るのか想像もできないが、少しは生活に余裕ができたらいいな。


(せっかくのお宝だ。一度外に出るかな)


 まだ早い時間だったが、一度迷宮の外に出ることにした。

 1階層への階段はすぐ近くだ。

 早く中身を見たかった。


 ――キィン!

 ――ガキィン!

 ――逃げて! あなたたちは逃げなさい!


 遠く、剣戟の響く音と切羽詰まった叫び声が聞こえてきたのは、その直後だった。


 ――煙玉はッ!?

 ――さっきので最後だったんですよ!

 ――臭い袋もありません! ど、どうしましょう

 ――キィン! ギャリン!

 ――逃げなさい! 早く! そうは保たない――

 ――でもッ――


(――近い!)


 そう考えた次の瞬間には、俺は現場へ脚を向けていた。

 第二層である飢獣地下監獄は広く入り組んでいて、他の探索者が魔物と戦っているところに出くわすことは少ない。

 稀に出くわしたとしても、見つかるのを恐れて俺はあまり近付かないようにしていた。

 闇は隠密行動という意味では強いが、見つかってしまえばどうにもならない。

 俺自身の戦闘力はゼロに近いのだから。


 それでも現場に向かったのは、聞こえてきた声があまりにも切迫していたからだ。

 グレープフルーの時のように、何かできることがあるかもしれない。

 自然にそう考えた自分自身がおかしかった。

 自分のことだって、できていないことばかりなのに。 


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