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032 マンティス、そして闇からの一歩



「リフレイア様、逃げて下さい!」

「あなたたちこそ、逃げなさい! こいつは私が引きつけておきますから……!」

「でもッ……」


 裂帛の剣戟が響く。

 高速で振り回されるバカデカい長剣。

 そして、それを難なく捌く、薄墨色の鎌。


(よりによって、あいつか……)


 周囲には魔物の精霊石がいくつも散らばっている。

 おそらく何体もの魔物に襲われ、それを倒した直後にアレに出くわしたのだろう。


 こいつを見るのは3回目だが、実際に戦っているところを見るのは初めてだ。

 第二階層、最強の魔物「マンティス」。

 カマキリの魔物としか言いようがない容姿をした怪人で、腕の先端は鋭く巨大な鎌。筋骨隆々な人間の上半身を虫のような4本脚で支えており、二メートルあまりの体格も相まって見るからに危険な魔物だ。二層で出る他の魔物とは一線を画した存在感を誇る。


 しかも、こいつはかなり感覚が鋭敏でダークネスフォグの中に隠れていても、俺のことを知覚して後を追ってくるような奴だ。おそらく呼吸音や足音なんかに反応しているのだと思う。

 だから俺もこいつに出会った場合は、いちいち一層まで戻ることにしているほどである。階層を跨ぐことはできないようで、階段を昇って追跡されることはない。


「リフレイア様でも、マンティスの相手は無理です……!」

「じゃあ諦めるんですか!! いえ、そんなことより早くッ――」


 逃げて――と、激しい戦いの中、女性は指示を飛ばしていた。

 従者と姫のような一団だ。

 従者とおぼしき三名の女性はすでに満身創痍に近く、武器こそ手に持ってはいるが、傷だらけでマンティス相手には戦えそうにない。三名のうちの一人に至っては、フラフラと立っているのもやっとという様子。

 カマキリ男の相手をしている女性だけが、長剣を振り回し互角以上に戦えている。


 従者たちはマゴマゴしているが、どのみち、あの大剣の女性が戦わなければ、どうにもならないだろう。逃げる相手をみすみす逃がすほど、あのカマキリ男が甘い相手だとは思えない。


 ギィン、ギィンと金属と金属が擦れ合う音を響かせ、遠心力の乗った大剣の一撃がマンティスの鎌を削る。

 まるで独楽のように、しなやかに身体を回転させながら、連続で必殺の一撃を打ち込んでいく。

 俺は闇に隠れ、ただその戦いを見ていた。


(――綺麗だ)


 ともすれば、場違いな感想だっただろう。

 だが、俺は素直にそう感じていた。


 美しい戦い方だった。

 彼女の軽やかな動きに合わせて、少し癖のあるプラチナブロンドの髪が翼のように広がり、飛び散る汗さえも輝いていた。


 薄暗がりの中で浮かび上がる彼女の白い肌が、攻撃の度に残像を残す。

 生と死が入り交じり、剣戟の響き一つ一つが、生命の炎となり熱を発していた。

 俺は完全に見惚れてしまっていた。


(――こんなに美しい人がいるのか)


 この異世界に来て、俺は初めて感動していた。

 闇と死に支配された灰色の空間で、彼女の色彩だけが浮き上がり燦然とした輝きを発している。


「くっ……! あなたたち……! では、助けを呼んできてください! わかるわね!」


 裂帛の気合いと共に打ち出される剣。

 だが、彼女の攻撃はマンティスには上手く通じていないようだった。

 マンティスは彼女の攻撃をあざ笑うかのように、受け流している。


(徐々にだが……押され始めているな)


 いずれ、この剣戟は破綻する。

 彼女が負けることで。

 外側から見ていることで、わかってしまった。


 当事者である彼女もまたそれを理解していたのだろう。

 助けを呼んでこいというその命令は、いつまでもマゴマゴしている従者たちを逃がすための方便だったに違いない。


「わ、わかりました! 必ず呼んでまいります……!」

「頼みます……!」


 従者たちが、我先にと駆けていく。

 おそらく本当はとっとと逃げたかったが、役目やら立場やらで逃げられなかったのだろう。

 階段までの道は、偶然だが俺が通ってきたあたりで、魔物の姿は見られなかった。問題なく1階層までたどり着けるだろう。


 リフレイアと呼ばれた女性は、従者たちの後ろ姿を見て柔らかく笑った。


「さあ、彼女たちが逃げ切るまで……私と踊ってもらいましょうか……!」


 さらに力を込めて、裂帛の気合いと共に大剣を打ち込んでいく。

 悲しく。

 力強く。

 死の輪舞曲ロンドは続く。


 俺は息を止めて、その姿を見詰めていた。

 正確には、呼吸すら忘れるほど彼女から目を離せなかった。


 数十、数百の剣戟の果て、彼女の剣がついにその手から離れて、マンティスの凶刃が彼女に迫った時に行動を起こしてしまったことも、ほとんど無意識からのことだった。


 視線も――

 笑い声も――

 何も聞こえてこない。


 ダークネスフォグを解除し、一歩進み出る。

 闇から突如出現した俺に、マンティスが注意を向けるか向けないかの刹那――

 俺は精霊術を発動させた。


「シャドウバインド」


 マンティス自身の影から生まれ出でた何十もの闇の触手が、リフレイアに振り下ろされるはずだった凶刃を縛り付ける。


「サモン・ナイトバグ」


 手のひらをかざし、間髪容れずに次の術を行使。

 深い闇から召喚された漆黒の甲虫たちが、縦横無尽に飛び回り、身動きの出来ないマンティスの身体を削る。

 マンティスの注意が明確に俺に向けられたのを見て、即座に次の術を発動。


「シャドウランナー」


 影で出来た人影があらぬ方向へと走り、こちらへ注意を向けたマンティスの気が一瞬逸れる。

 俺はそれと同時に、グッと脚に力を込めた。


「シェードシフト!」


 影でできた分身と共に、俺は腰から短剣を引き抜き駆け出した。


「ダークネス――フォグ!」


 シャドウランナーに気を取られ、俺から注意を外していたマンティスを、一寸先すら見通せぬ漆黒の闇が包む。


 こうなってしまえば、後は簡単なことだった。

 あれだけの剣戟を繰り広げた後だ。魔物にも消耗があったのだろう。


 俺の姿を認識できない相手に、背後から脊椎へ一撃――

 マンティスは断末魔の悲鳴すら上げず、精霊石へと姿を変えた。


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