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033 リフレイア、そして闇を祓って


(倒せた……)


 自信があったわけじゃない。

 あの子が死ぬと思ったら、自然と動けたというだけだった。


(おお……?)


 身体の中に精霊力が入り込んで、力が漲るのを感じる。

 まるで、倒した魔物の力の一部を取り込んでいるかのようだ。


 リフレイアと呼ばれていた女性は、尻餅をついて闇の中――おそらく、その中にいる俺――を見つめている。

 ひとまずの危機は去ったと見ていいだろう。

 俺は、マンティスから出た宇宙を閉じ込めたような精霊石――おそらく混沌の精霊石だろう――だけをシャドウバッグへ入れ、姿を消すことにした。

 俺の姿はほとんど見られていないはず。


 声も視線も感じず魔物を倒すことができたことに、達成感を覚えていた。

 もしかすると、まっとうな探索者として生きていけるのかもしれない。


 ――結局。

 俺はただずっと闇に潜んでいるだけの「居心地のいい地獄」から抜け出したかったのだろう。

 マンティスを倒せたのだから、これからは死体漁りをせずとも生きていけるかもしれない。

 そんな希望を胸に、踵を返し歩き出した。

 彼女の腕前ならば、1階層に戻るのは容易いはずだ。


 魔物も倒せて、美しい人も助けることができた。

 その前には宝まで手に入れている。

 今日は良い日になりそうだった。


「ま、待って下さい……!」


 背後からの懇願するような声で俺は足を止めた。

 彼女は、戦闘を終えた今でも上気した頬を赤く染め、その相貌は怖いほどに美しい。

 深く関わることで、妙なことに巻き込まれそうな予感があった。

 まして、彼女は様を付けて呼ばれていた。装備だってキッチリと白金色の板金鎧を身に着けている。

 迷宮にたむろする一山いくらの探索者とは違う人種であることは明確。


「あ、あなたは誰なのですか……?」 

「誰でもない。一人で帰れるだろう?」


 行きがかり上、助けはしたが、だからといって関わるつもりはなかった。

 こうしている間にも、地球から好奇の視線は送られ続けているのだから。

 彼女が美しければ美しいほど、彼女すらも彼らの視線を浴びることになってしまう。


「い、いえ……。帰れないかも……」

「あんたの戦闘力なら、マンティス以外ならどうにでもなるんじゃないか?」

「迷子になってしまいます……」


 俯いて、少し恥ずかしそうにそう言った。

 ここは1層への階段からほど近い場所だが、マップがなければ距離はあまり関係がないかもしれない。

 一人で散々迷ったあげく、体力が尽きて――というパターンはありえる。いくら強くても、オーガとオークの混成パーティに襲われれば、逃げることもままならないだろう。最悪、またマンティスと出遭ってしまう可能性もある。

 とにかく、グレープフルーの時と同じパターンだ。

 地理に明るいのは従者のほうだったのだろう。


(しょうがないな……)


 乗りかかった船だった。

 どうせ、もう存在は知られたのだ。ダークネスフォグの中にいれば、姿を見られる心配はない。

 ここに放置して寝覚めの悪いことになるよりは、いいだろう。


「じゃあ、1層まで送る。精霊石拾っちゃいなよ。あんたたちが倒したんだろ?」

「あ、いえ。助けていただいたので、石は差し上げます。ぶしつけですが、貰っていただけますか?」

「いいのか? じゃあ、貰っておく」


 散らばった精霊石は、おそらくオークの群れのものだろう。 

 数は15個くらい。

 正直、かなり助かる。


「行くか。1層への階段までだぞ」


 精霊石をシャドウバッグにしまってから、闇を纏ったまま彼女に近付き手をとった。闇の中ではこうしなければ先導することもできない。

 戦闘時の凜々しさはなりを潜め、少しボーッとしているが、これは極限の戦闘をした直後だからだろう。


(熱い)


 限界ギリギリまで戦闘を続けていたからなのか、彼女の手はヤケドしそうなほどの熱を発していた。

 彼女は、少し驚いた顔をして、そのあと口元を緩めて頬を染めた。

 俺はそれを見なかったことにして、少し強引に歩き出す。

 二層はごみが落ちていないから、闇の中でも躓かず歩くことができるだろう。

 魔物をスルーしながら歩けば、一層への階段はすぐ近くだ。


 グレープフルーと同じく、彼女との縁もそこで終わる。

 そのはずだ。


「あ……あの……。せめて、お名前だけでも教えていただけませんか……? この街の探索者なんですよね……?」


 道中、おずおずとそんなことを聞かれたが、「もう会うことはないから」と固辞した。

 美人に名前を聞かれて、つい答えそうになってしまったことは否定しないが、変に恩に着られても困る。

 闇の精霊術だって見られているのだ。リスクは排除しておきたい。


「もし恩に感じているのなら、俺と出会ったことは誰にも言わないで欲しい」

「は、はい! それは必ず!」

「……頼むぞ」


 とりあえず口止めできたことに安心して、少し気が抜けていたのかもしれない。

 一層への階段まであと数十メートルというところまで来ていたからというのもあったし、ダークネスフォグがあれば、姿が見られる可能性はないと過信していた。


「着いた。もう階段の前だから、あとは気をつけて帰ってくれ。もうヘマするなよ」


 俺は彼女から手を放し、闇を纏ったまま姿を消すつもりだった。


「あの……もう一度だけ、お姿を見せていただいてもよろしいですか?」

「ん? いや、俺のことは忘れてくれ」

嫌です・・・。……ライト」


 だから、彼女が唐突に唱えた術に対しての反応が遅れてしまった。


 突如現れた光球に闇が祓われていく。

 俺はまぶしさで目を開けていることもできない。


「なっ、なんだ……?」

「良かった……術が効いて……。あのまま別れることになったら、きっと私、一生後悔していました」


 彼女は俺の前に立ち、恍惚とした表情でまっすぐに俺を見つめていた。

 空中にフワフワと浮かぶ光の球が、周囲の闇を消し去り、辺りを優しく照らしている。


「ご存じありませんでした? これは光の精霊術『ライト』。周囲を照らすだけのつまらない術ですが――今日は最高の仕事をしてくれました」


 俺は絶句していた。

 命を助けたのだから、こんな嫌がらせのような真似をしてくるとは想像もしていなかったのだ。


「お名前……教えていただけますか……?」

「教えない……! なんなんだ……あんたは。なんでこんな真似をする……?」

「だって……こうでもしなければ、お顔もわかりませんし……お礼もできないじゃないですか? 命を助けていただいたのに」


 さらりと、そんな風に言った。

 もしかしたら、関わってはならないタイプの人に関わってしまったのかもしれない。

 そんな予感がしたが、まさに後の祭りだ。


「礼を失してしまったことは謝ります。私は光の聖堂騎士見習いのリフレイア・アッシュバード。受けた恩は必ず返すのが、我がアッシュバード家の家訓。命を救っていただいたお礼は近日中に必ずさせていただきます。お名前は……その時に教えてくださいね?」


 彼女はウインクしてそう言い残すと、サッと踵を返した。

 輝くようなプラチナブロンドの髪を揺らして、一層への階段を上っていく。


 俺はそれを呆然と見送ることしかできなかった。


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