「んん? 宿?」
「え、ええ。安宿ですけど」
「へぇ~」
連れてこられたのはリフレイアの宿だった。
ん? なんで宿に?
「こっちです、こっち。宿の人に見つかる前に、入っちゃいましょう」
すごい力で腕を掴んだまま、ずんずんと階段を上っていくリフレイア。
俺は、為すがままそれについていった。
頭はポワポワのまま、いまいち状況が理解できない。
あるいは彼女も酔っているのかもしれなかった。
突き当たりの部屋の扉を開き、俺を押し込むように中に入れると、彼女は後ろ手でカギを掛けた。
部屋は俺が借りている部屋より、若干上等といった程度だろうか。
リフレイアは金持ちのように見えたけれど、実際はそこまででもないのかもしれない。
彼女は部屋のランプに火を付けると、ベッドに腰を下ろした。
ゆらゆらと揺らめく儚い灯火が、リフレイアの美しい肢体を怪しく浮かび上がらせる。
「……お礼……と言いましたが、実は私、あんまりお金を持っていないんです」
「そ、そっか。なら無理しなくていいんだぞ」
「いえ、お礼はしたいんです。それで……その……こういうのしか、思いつかなくて……」
言いながら、シャツのボタンをひとつひとつ外していくリフレイア。
躊躇いながら脱いだシャツの下は、薄絹のスリップのみの姿。
その白く豊かな胸の稜線が露わになり、俺は目をそらした。
まさか、こういう展開になるとは思ってもいなかった。
急激に酔いが醒めていくのを感じる。
嬉しいという気持ちより、戸惑いが先にきている。
「リフレイア。俺はこっちに来て日が浅い。そういう礼の仕方は、こっちじゃ一般的なことなのか?」
「いえ……一般的ではない……と思います。でも、これに価値があることは、なんとなく知ってましたし……。あっ、でも経験ないから、その……うまくできるかわかんないんですけど……」
瞳を潤ませ、そんなことを言うリフレイア。
声も、肩も、指さえ震わせながら、それでも俺に身体を向けて、覚悟はできているというかのように誘う。
「確かに価値はあるだろうな。リフレイアの相手なら、金貨何枚でも……いや、値段なんて付けられないんじゃないか」
「そ、そんなには価値ないと思いますけど……でも、そう思っていただけるなら、嬉しい……。それに私、ヒカルのこと、いいなって思ってるのホントですから」
スリップの肩紐に指を掛け、瞳を閉じた。
俺は彼女の横に座り、その手を止める。
「……そもそもの話だけど、あの時、リフレイアを助けたの、俺が勝手にやったことなんだよ。助けてくれと頼まれてもいないし……いや、それどころか、人が戦闘中だった魔物を横取りしたとも言える」
横殴りは、MMORPGではマナー違反とされる行為だ。
当然、この世界はゲームではないが、こじつけが必要だった。
「い、いえ、私は従者たちに助けを呼んでくるよう頼みましたし、ヒカルが助けてくれたことは、間違いようのない事実ですから」
「じゃあ仮に、俺が助けたんだとしよう。それじゃあ、これからも人に助けられたら、こんなことを続けるのか? 今回は俺だったけど、別の男だったら躊躇せずお前を抱くだろう。お前は探索者じゃないのか? こんな娼婦みたいな真似をして」
「そっ、そんな……娼婦だなんて……!」
「そうだろうが。どこが違うんだよ」
異世界で説教なんて――と思ったが、こればっかりは言っておかなければならなかった。
彼女はバカだ。ちょっと頭良さそうな見た目をしているが、残念ながら短慮で浅慮で、自意識過剰で、そして、底抜けにお人好しだ。
俺は、頭の成長も見た目の成長も早かった妹たちの大胆さにいつもヤキモキしていたから、こういう子を放っておくことができない。
見た目は一人前かもしれないが、だからこそ、言っておいてやらないとならない。
なにより、俺は頭にきていた。
「……だって……他に思いつかなかったんだもん。それに……私、ヒカルならいいかなって思ったし……。闇の中から現れて……カッコ良かったから……」
下を向いてボソボソと言い訳するリフレイア。
命を救われた相手だから、ちょっと良く見えたのだろう。暗かったし。
背を丸めると胸の谷間が強調されて心を揺さぶられるが、彼女にはちゃんと理解してもらいたい。
「リフレイア。探索者なんてのは、助けて助けられてやってく商売なんだよ。いちいち、そんなもんに貸し借りなんて考える必要なんかないんだ。もし、どうしても礼がしたいなら、それこそ飯を奢るくらいで十分なんだよ」
探索者の心得なんて、本当は知らない。
だけど、迷宮という戦場で人間同士が助け合うのは当然のことだろう。俺たちがやっているのは「狩り」だ。狩人が助け合うのなんて普通のことのはずだ。
「でもでも……家訓で借りた恩は返さなきゃって……」
「だから、その恩を返す手段の話。身体で返すなんて頭のイカれたやつの発想だぞ。もしお前が誰か探索者を助けて……そいつが美少年だったとして、恩を身体で返すとか言い出したらどうするよ?」
「蹴っ飛ばす……」
そのまま下を向いて押し黙ってしまう、リフレイア。
こういう説得は難しい。本当の意味で理解して貰えたかどうかわからないし、俺が必ずしも正しいというわけでもない。
あくまで、自分自身の価値観を押しつけているだけという側面のほうが強い。
「……俺も男だから、気持ちが揺れないかって言われれば、そりゃ揺れるよ。リフレイアは綺麗で、魅力的だから。……でも、こんな風にお礼での形でなんて、嬉しくないよ」
言いながら、自分でもどうしたもんかとわからなくなる。
リフレイアは俯き黙っている。
俺は深呼吸して、ステータスボードを出した。
俺自身も頭を冷やす必要があった。
(視聴者……増えてる。この場面だって見られてるんだもんな……)
リアルタイム視聴者数がいつの間にか2億人を超えていた。
ここ最近の水準からいくと、10倍ほどか。
リフレイアと過ごした時間は楽しかった。
おそらく、彼女が美人だからとか、そんなことは些末事で、単純に俺は人恋しかったのだろう。
一人は寂しかった。
いっしょに笑い合ってくれる人が欲しかった。
でも、それは弱さだ。
今はまだ酒に酔っていて、この状況に現実感が伴っていないけれど、きっと明日の朝になれば自分のしたことを後悔するに違いなかった。
俺と関わることで、リフレイア自身も見られてしまう。
それは彼女の尊厳すら踏みにじることだ。
「……とにかく、俺はリフレイアと食事できただけで十分に気持ち受け取ったから。まだ探索者続けるなら、こんなことは二度とするなよ」
実際、彼女が変われるのかどうかはわからない。
ただ、これで彼女との縁も切れるだろうという確信だけはあった。
あれからずっと黙っているが、きっと彼女は怒っているのだろう。誰だって、こんな説教はされたくない。
俺は結局、自分の身勝手で彼女を傷つけただけなのだろう。
でも、それでいいのだ。
もともと住む世界の違う相手だ。
俺はベッドから立ち上がった。
このまま立ち去れば、それで終わりだ。