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044 乾杯、そして夜の入り口



 酸味と甘み、なにより独特の香り。


「これってお酒?」

「え? ダメでした? ここの美味しいでしょう?」

「いや美味しいけど……う~ん」


 いや、いまさら酒がダメということはない。ないのか?

 ここまで来たら郷に入れば郷に従えということか。

 もう一口飲んでみる。

 甘くて飲みやすい。

 それほど強くない酒だと思う。

 そもそも、ほとんど飲んだことないからよくわからないが……。


「あの、この間はちゃんと名前も聞けませんでしたので、お名前……教えてくれますか?」

「ヒカルだ。黒瀬ヒカル」


 あれ? なんだっけ。名前言わないほうが良かったんだっけ。

 ……いや、別にいいのか。名前くらい。


「ヒカル……。良い名前ですね」

「そうかな。女みたいな名前で、あんまり好きじゃないんだけど」


 ただでさえ体格良くなくてナヨナヨしてるのに、名前まで女ぽくてずっと嫌だった。

 車の名前を付けられた妹たちよりはマシかもしれないが。


「ヒカルは、この辺りの出ではないですよね? 私はシルティオンの出で……あ、光の大聖堂と言ったほうが通りが良いかもしれませんが」


 全然知らないが、たぶん大精霊でも祀ってるんだろう。


「ふぅん、だから光の精霊術を使うのか」

「そうです。私、こう見えても聖堂騎士見習いなんですよ?」


 ふふん、と胸を反らせるが、それが凄いのかどうだかわからない。


「あれだけ強くても見習いなのか?」

「ええ、精霊術のほうが上手くないと正規騎士試験には、なかなか……」


 光の大聖堂を守る騎士なのだから、全員が光の精霊術に精通してないとダメってことなのかな。

 それなら、俺は闇の聖堂騎士になれそうだ。

 いや、闇だったら聖堂ってことないか、暗黒騎士かな。

 ふふ。


「ちょ、なんで笑うんですか。確かに、私は見習いとしては歳もいってますし、そろそろ正規騎士試験に受からないと後がないのは確かですけども!」

「ああ、悪い。別にリフレイアのことを笑ったわけじゃないんだ。こっちのこと」


 なんだか頭がポワポワしていい気分だ。

 地球のことも、視線のことも、笑い声のことも気にならない。

 輝く光そのものみたいな人といっしょにいるからなのかな。

 そんな人が、俺のことが好きだって言ってくれたからなのかな。


 しばらくして、料理が運ばれてきた。

 大皿いっぱいに盛られた肉! 野菜! パン!

 どれもオーブンで焼いたもののようで、香ばしい匂いを放っていて食欲をそそる。


「すごい量だな。美味しそうだけど」

「ええ~? ヒカルもけっこう食べるんじゃないんですか? 位階高いんでしょう?」

「位階ってなに?」

「なぜ知らないんです? ヒカルって謎ですよね。闇の精霊術の使い手ってだけでも珍しいのに」


 肉やら野菜やらをもしゃもしゃ食べながら聞いたところによると、位階というのは魔物を倒すことにより、精霊力を取り入れて強化された度合いのことなのだそうだ。


「レベルみたいなもんか。それなら、俺、めちゃくちゃ低いよ。ほとんど魔物倒した経験ないし」

「レベルってのがなにかわかりませんけど、位階が低いなんて嘘ですよぉ。一瞬でマンティスを殺してたじゃないですか。私、感動したんですよ?」

「あれはリフレイアが弱らせてたからだよ。運も良かったし」

「運でマンティスは倒せませんよ。オーガよりずっと強いんですよ? 本来なら四層で出るような魔物なんですから」

「じゃあ、相性が良かったんだな」


 オススメなだけあって料理は美味しかった。

 フルーティな甘塩っぱいソースに、ジューシーな何かの肉。野菜も甘みがあってうまい。

 いつも屋台で安い串やら、肉まんらしきものやら、そういうのしか食べてなかったから、なんだか凄く美味しく感じる。

 妹たちは「異世界には品種改良した食物なんてないんだから、ぜったいマズいものばっかりだよ。ただし魚介は除く」とか言ってたけど、あてにならないものだ。


「……こんなちゃんとしたもの食べたの、久しぶりだ」

「そうなんですか? ここ、そんな高い店じゃないですよ?」

「お金もなかったけど……一人だったから。そうか、人と食事するのも、こっちに来て以来なんだな」


 誰かと一緒に食事を摂る。

 日本にいたころには、当たり前のことだった。

 いつも難しい話を言い合ってうるさい二人の妹。

 父さん母さんはいないことも多かったけど、ナナミがうちに来ていっしょに食べることもあった。


 こっちではずっと一人だ。

 世間話をする相手すら一人たりともいない。

 地球からの視線は敵意に満ちていて、いつも俺は誰かに笑われている。


 向かいに座り、お酒の影響か少し頬を染めたリフレイアが、優しく微笑み首を傾げる。

 敵意など微塵も感じない、親愛すら感じるそのまなざし。


「ちょ、ちょっと、ヒカル!? なんで泣いてるんですか!? え、ええ?」

「泣いてる? あ……ごめん、ホントだ。はは、なんでかな」


 知らず、涙が流れていた。

 ほとんど知らない人の前で、こんな風に泣いてしまうなんて、情けなくて嫌になる。

 でも、一度流れ始めた涙は、なかなか止まってはくれなかった。


「ごめん。こうして、人と飯を食うの……ほんとに久しぶりでさ。料理も美味しかったし……俺、誘ってもらえて嬉しかったんだと思う。最初、逃げちゃった俺が言うのも変だけど」

「え、うん。それは別に……先に助けてもらったの私だし……こんなことで喜んで貰えたなら、嬉しいけど」

「最初は、お礼なんて……って思ってたけど……、ありがと。嬉しいよ」


 自然と笑顔が零れた。

 まるで日本にいたころみたいに安らいだ気分だった。


「あっ、あははー。それなら良かったです。ちょっと暑いですね、この店」


 手でパタパタと顔を扇ぐリフレイア。

 確かに少し暑いかもしれない。お酒を飲んだからかな。


 その後も談笑しながら、食事は続いた。

 お酒も美味しくて、わりと何杯も飲んでしまった。

 本当に久しぶりに、人間に戻れたような気がする時間だった。


 店を出る頃には、すっかり夜の帳が下りて、往来も疎らになっていた。


 いつもなら、迷宮に潜っている時間だが、ポワポワと気分が良い。どうやら酒に酔っているらしい。なるほど、大人が酒を飲みたがる気持ちがわかる。

 嫌なことを忘れて、なんだか楽しい気分だ。


「じゃあ、リフレイア。もう会うこともないだろうけど、今日は本当に嬉しかったよ。聖堂騎士だっけ? 試験、がんばれよ」


 俺はリフレイアに別れを告げて歩き出した。

 あんな美人と二人で食事をすることなど、もう二度とないだろう。

 こんな俺を好きだと言ってくれた。

 それが、命を助けられたことによる気の迷いなのだったとしても、ここで別れれば、その記憶はずっと俺の中で残っていくのだ。

 また、明日からは暗い迷宮に潜る日々が始まるけれど、良い思い出が出来た。


「ちょ、ちょっとちょっと、ヒカル待って下さいよ。まだ、お礼終わってませんって。っていうか、これからですから。これからこれから」


 グイッと腕を引っ張られて、つんのめりそうになる。

 振り返ると彼女は、酔ってヘラヘラしているようにも、緊張で無理をしているようにも見え、ぎこちなく笑っていた。

 けっこう酔っているようで、顔を耳まで赤くしている。


「もう十分貰ったよ。これ以上なんて貰えないって」

「いえいえ、我がアッシュバード家の家訓は『受けた恩は必ず返しなさい』ですから。命を助けていただいた礼が、食事だけなんてことあるわけないじゃないですか」

「んなこと言ってもなぁ……」


 そう話しながらも、かなり強引にグイグイと引っ張られて、どこかへ連れ去られそうになっていた。

 一瞬、ちらりと、飯を食わせて油断させてから役所的なところに突き出して――というストーリーが過ったが、彼女に騙されるのなら、騙されてもいいような気にすらなっていた。


 連れて行かれたのは予想外の場所だった。


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