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064 霧に惑う、そして確信


「迷ったかもしれません。今、自分がどこにいるのか全然わかりません」


 深い霧に包まれた大庭園で、俺は視聴者に向けて呟いた。


 あれから、ゾンビっぽい魔物を二体倒した。

 動きも緩慢で、シャドウバインドを使えば容易く倒すことができたが、似たような構造物が続く大庭園で俺は自分の居場所を見失ってしまった。

 霧惑い大庭園の名前は伊達ではなく、例えば遠くに外周の壁が見えるとか、特徴的な構造物が見えるとか、そういうことがない。よほど注意して橋や石像なんかの構造物の位置をチェックしていても、この階層で自分のいる場所を正確に把握するのは難しいだろう。


「ポイントもないので周辺地図と交換することもできませんし、なんとか出口を目指そうと思います」


 そう呟きながらも、俺の内心は冷静だった。

 霧惑い大庭園が、迷子になりやすい場所だということは、リフレイアから聞いて知っていたからだ。

 つまり、狙ってやったことだ。視聴率を上げるために。


「外周の壁にさえたどり着ければ、壁沿いに進むことで階段を見つけることができるかもしれません。とりあえず、それを見つけるのを目標とします。この階層は、ダークネスフォグを使っても魔物がこちらに気付くので、戦闘からは逃れられません。けっこうピンチかもしれませんが、できる限りがんばります」


 どういう魔物が出るのかも知らない中、たった1人で迷宮内で迷子になるなど、紛うこと無き自殺行為だ。

 30分後には死んでいたとしても決しておかしくはない状況。

 それがわかっていても、急激に伸びていく視聴者数を見れば、これが正しいことなのだと確信することができた。

 ナナミの命を得る代償なのだから、当然賭けるべきは命でなければ釣り合うことはない。


 ダークネスフォグで姿を隠しながら、広大な庭園を進んでいく。

 空は薄明かりを維持し、第二層とは正反対だ。普通の探索者ならば、こちらの階層のほうが戦いやすいというのは理解できる。


 ――あぶないよ

 ――気付いて


 出口を求めて歩いていると、どこからともなく声が聞こえた。

 次の瞬間、横合いから強烈な衝撃――


「うぐっ!? なっ、なんだ――」


 運良く籠手で受けることでモロに食らうことだけは回避できたが、地面をバウンドしながら転がされ、冷たい石畳の地面が容赦なく服や、その下の肌を削る。

 攻撃を受けた左腕に強い痛み。もしかしたら骨が折れたかもしれない。


 顔を上げると、そこにいたのは木だった。

 いや、木の魔物だ。

 擬態していて気付かずにすぐ横まで近寄ってしまっていたらしい。


 わさわさと枝を動かし、のそのそと動いてくる様は、正直あまり強そうではないが、サイズは大きく力も強い。

 実際、俺はたった一撃でかなりのダメージを負ってしまった。


「……まさか、あんな木のバケモノみたいなのがいるとは思いませんでした。防具をほとんど着けていないので、骨が折れたかもしれません」


 それでもまだ俺は冷静に喋るだけの余裕があった。

 喋りながらも、左腕はズキズキと強烈に痛みを訴え、擦り傷からは赤い血が流れ続けている。

 そんな肉体の警鐘とは裏腹に、心のどこかでは「これでいい」「良いハプニングだ」という声がしていたのだ。


 俺は使い物にならない左腕をそのままに、短刀を構えた。

 相手は巨大な木のバケモノ。

 どこに関節があるのか、枝を腕のようにし、その枝先は鋭く尖り、突かれれば無事では済まないだろう。

 土から這い出てきたのか、それとも元々そういう造形なのか、根の部分をタコのように動かし、もぞもぞとこちらに向かってくる。


「ダークネスフォグが通じない相手は初めてです。視覚ではなく、別のなにかでこちらを認識しているんだと思います」


 冷静ぶって喋っていても、冷たい汗で全身が濡れていた。呼吸が荒くなる。


「シェードシフト!」


 自分自身に半分掛かった闇の分身が出現する。

 ほんの目眩まし程度の術だし、視覚に頼らない相手に意味があるのかは謎だが、無いよりはマシだろう。


「ファントムウォリアー!」


 闇の戦士が出現し、バンバンと喧しく盾を剣で叩き注意を引く。

 幸い、音には敏感なタイプなようで、そちらに多少注意が逸れた。


 俺は大きく回り込み、木の魔物の背後を取った。

 すぐさま術を行使。


「シャドウバインド!」


 闇の触手が枝を縛り上げた瞬間に、短刀を突き刺す。


「硬いッ!」


 肉体を持つ魔物とは違い、相手は木そのものだ。

 そこに、短刀を突き刺すのは至難。そもそもの腕力が足りていないのだ。

 ガツガツと、攻撃するが、到底弱点まで剣を到達させることはできない。

 そうこうしている間にも、バインドが解けていく。


「サモン・ナイトバグ!」


 ナイトバグを召喚し、距離を取る。

 片腕では無理だ。


 俺はシャドウストレージから、ギルドで買った中級ポーションを取り出し、傷口にぶっかけた。

 戦闘の興奮によるものか、痛みはすでに感じていなかったが、痺れは取れていく感覚がある。

 左腕は中癒のスクロールでも使わないと治療できないかと思われたが、ジワジワと感覚が戻ってきた。

 不幸中の幸いか、折れてはいなかったようだ。


「グドモオオオオ」


 無数の虫たちに幹や枝を削られた木のバケモノが、咆吼をあげ、ガサガサと枝を揺らす。


「な……なんだ……?」


 周囲から新しい気配……いや、明確に鳴き声らしきものが聞こえてくる。


「まさか、仲間を呼んだのか……?」


 その予想は当たっており、巨大な棍棒を握りしめた大男が2体、のそのそと霧の向こう側からこちらに向かってくるではないか。

 一体の魔物に手間取れば、こういうことは十分ありえると分かってはいたが、理解はしていなかった。


(逃げるか――? だけど……)


 幸い、動きはあまり速くない魔物達だ。

 術をばら撒きながら逃げれば、問題なく逃げ切れるだろう。


 ――逃げる。その選択肢は当然ある。

 ――だが、そんなことをしてどうなる?

 俺は、ここに決死の覚悟で1人で来た。

 視聴率を獲得して1位を取ると決めた。

 その覚悟はこんな程度でケツをまくるほど軽いものじゃないはずだ。

 1人で来た。わざと迷子にすらなった。

 それは窮地で逃げる為などでは断じてない。

 この状況を求めて、ここまで来たのだ。


「なんとか左腕は動くようになりました。3体は多いですが……やります」


 決断すれば、頭の中で何かが切り替わったように覚悟が決まった。

 いったん木のバケモノは無視して、大男のほうへ駆け出す。


(あいつはダークネスフォグが通じる)


 一気に闇の範囲を広げ、シャドウバインドで動きを封じた一瞬に身体ごと飛び込み、短刀を弱点に突き刺す。

 それを、二体連続で行い大男を始末した。

 自分でも驚くほど、身体が動いた。

 死を意識したことで、集中力が増したのかもしれない。


 カランと落ちた大男の精霊石をそのままに、木のバケモノに向き合う。

 どれほど硬い魔物だろうが、所詮、相手は木だ。


 ファントムウォリアーで注意を引きつけ、俺自身は背後に回り込み、シャドウバインドで動きを封じてから攻撃。

 一度の攻撃に3つも術を使うのは、なかなかキツいが、これ以外にやり方を知らなかった。

 リフレイアがいたら、ダークネスフォグだけでも十分戦えることを考えると、やはり1人というのは無理があるのだろう。

 だが、そんなことは最初から百も承知だ。

 無理だからやるんだ。

 無理だからいいのだ。


 木のバケモノは3回目の攻防の果て、精霊石に姿を変えた。

 俺との相性が最悪の魔物だったが、おかげで瞬間視聴者数は4億人を突破している。

 悪くない。


「少し傷を負ってしまいましたが、良い戦闘経験が積めましたね。では、次に行きます」


 俺は虚勢を張ってでも、平気そうな顔をした。

 精霊力の使いすぎで、身体は熱くなり始めている。

 そう何度もこんな戦いを続けることは不可能だろう。


 その後、出口を求めて歩き回りながら、ゴブリン(大)を15体、ゾンビもどきを8体、小悪魔を5体、大男を5体倒した。

 木のバケモノはあまり出ないようで、あれ以外には出現しなかった。


 それ以外の魔物は、結局の所ダークネスフォグが有効であり、あれが有効であれば相手の戦力を大幅に削ることが可能。俺は落ち着いて命を刈り取るだけでいい。もちろん、相応の思い切りは必要だろうが、その経験はかなり積んでいる。


 魔物を倒すことで、少しずつ精霊力を取り込み身体能力が上がっていく実感もあった。


「だいぶ闇の精霊術を使った戦い方もわかってきたように思います。さらに強い魔物が出れば、わかりませんが、リフレイアが3層でも通用すると断言する意味がわかった気がします」


 喋りながら、前に見た記憶がある10段程度の階段を降りる。

 そのまままっすぐ歩いた先に、2層への上り階段がポッカリと口を開けていた。

 迷子になっていたのは事実だが、実は俺は方向感覚にはかなり自信があるほうだった。

 常に、どの方角から自分が来たのかがわかっていれば、本格的な迷子にはならない。


 だが、視聴者からすれば、運良く階段まで戻ったように見えるだろう。


「出口です! よかった……。そろそろ限界だったんですが、これで生きて帰ることができそうです」


 実況しながらも、我ながら白々しいなと感じていた。

 俺など大根役者もいいところなはず。めざとい視聴者にはバレてしまうかもしれないが、まあ、実況そのものはオマケみたいなものだ。

 結局は行動で示すしかないのだから。


「それでは、本日の一人探索をこれで終了します。明日からは、またパーティでの探索となりますので、よろしくおねがいします」


 そう実況を締めて、俺は闇を身に纏い迷宮を駆け抜けた。

 正直に言えば、迷子になって知らない階層をさまようのは、肉体的にも精神的にもかなり疲れた。

 それでも俺がこんなことができるのは、あの森で「死がすぐ側にある感覚」をずっと味わってきたからなのかもしれない。

 とにかく今日は、奮発して美味しいものを食べよう。


 今日の探索は、ほとんど闇の中からの実況であり、あるいはそれほど面白くはなかったはずだが、最終的に視聴者は五億人を超えていた。

 暫定総合順位はこれで14位だ。


 やはり、俺の見立ては間違っていなかった。

 俺が命を賭けることが起爆剤となり順位を大幅に上げたと見ていいだろう。


 ――そして、この結果は、それだけ俺が死を願われているということの証明でもあるのだ。


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