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第3話 ダンジョンの気配と、聞こえてきた「言葉」の真実


佐倉は、拠点と水源を確保したことで、少しだけ安堵していた。

だが、それはあくまで一時的なものだ。このダンジョンで本格的に「ホワイトファーム」を立ち上げるためには、まだまだ多くの課題が山積している。

何よりも、このダンジョンに生息する魔物たちの存在が、常に彼の脳裏をよぎっていた。彼らは一体、どんな生態をしているのか。凶暴なだけなのか。


(前世では、上司や顧客の理不尽な要求が最大の脅威だったが、ここでは物理的な脅威が目の前にいる。どちらがマシかと言われると……うーん、微妙なところだな。少なくとも、こっちの脅威は殴れば倒れるかもしれないが、前世の脅威は殴ったらクビだった)


佐倉は苦笑しながらも、警戒を怠らなかった。ダンジョンの奥から響く唸り声や、時折聞こえるガサガサという音。それらは、彼の「顧客満足度最大化プレゼン」や「根回しと情報収集の達人」といったスキルが通用しない、全く未知の脅威だった。


まずは、周囲の「リスクアセスメント」だ。

彼は、拠点となる窪地の周辺、そして小川沿いのエリアを、慎重に探索し始めた。

手には、木から折った適当な枝を杖代わりに持っている。

一歩一歩、足音を立てないように、まるでシステム管理者として未知のバグを探すかのように、彼は感覚を研ぎ澄ませていた。


周囲の木々は、やはり転生時に感じた通り、魔力に汚染され、どこか不気味な姿をしている。

本来なら青々としているはずの葉は黒ずみ、枝は痩せこけている。土壌も、スキルを使った場所を除けば、重く、淀んだ空気をまとっていた。


(やはり、このダンジョン全体が、ひどい「ブラック」環境だ。これじゃあ、魔物が凶暴になるのも無理はないのかもしれない。まるで、徹夜続きでストレスマックスの社員みたいだ)


その時だった。

草むらの奥から、ガサリ、と、ひときわ大きな音がした。佐倉は反射的に身構え、手に持った枝を構える。心臓がドクンと大きく跳ねた。


そこに現れたのは、彼の知識の中にある「魔物」の姿だった。

緑色の肌、剥き出しの牙、そして鋭い爪を持つ、小柄な人型生物。ゴブリンだ。

そのゴブリンは、佐倉の存在に気づくと、ギョロリとした赤い目で彼を睨みつけ、威嚇するように低い唸り声を上げた。手には、錆びた粗末な棍棒を持っている。


「グガアアアァァァッ!」


ゴブリンは、佐倉に向かって真っ直ぐに突進してきた。明らかに敵意を剥き出しにしている。

佐倉は、とっさに後ろに跳んで攻撃をかわした。ゴブリンの棍棒が、空を切る。


(やばい!これが魔物か!どうする、どうする!?)


佐倉の頭は高速で回転するが、前世の彼はデスクワーク専門のエンジニアだ。戦闘経験など皆無に等しい。

必死に逃げようとするが、ゴブリンは素早く、あっという間に距離を詰められた。


その瞬間、佐倉の脳裏に、ゴブリンの感情が、まるで直接語りかけてくるかのように流れ込んできた。


『グゥ……グゥ……(腹が、減った……)』

『グガッ……(何か……食えるもの……)』

『グルルル……(こいつ……何か持ってる……食い物……)』



それは、言葉として明確に聞こえたわけではない。

だが、佐倉の脳内で、その感情と意図が「理解できる言葉」として変換されたのだ。

飢え。切望。そして、目の前の人間が「食料」であるという認識。


(え? こいつ、飢えてる……? それに、俺が食料に見える……?)


佐倉は困惑した。その感情は、彼が想像していた「凶暴性」とは、どこか異質なものだった。


その時、彼の脳裏に、新たな「声」が響き渡った。


『ユニークスキル【共感の響き(エンパシーボイス)】を獲得しました。魔物を含む、言葉を持たない、あるいは未知の言語を話す生物の「感情」や「意図」、そして「言葉」を、使用者の脳内で理解できる形に変換します』


『発現契機。極度のストレス下において、相手の真意を理解しようとした際。あるいは、相手の「苦しみ」に心底から共感しようとした際に覚醒します』


(これ、まさか、前世の「顧客満足度最大化プレゼン」や「根回しと情報収集の達人」が、異世界で進化しちゃったのか!?)


佐倉は驚きを隠せない。相手のニーズを的確に把握し、最適な提案をする。

それは、まさに彼が前世で培ってきた「コミュニケーション能力」の極致だった。

それが、まさか魔物にも通用する、いや、魔物の「本音」を読み解けるスキルとして発現するとは。


ゴブリンは再び棍棒を振り上げた。佐倉は、その動作を間近で見て、同時にゴブリンの思考を読み取った。


『グゥ……(早く……食わないと……)

『グググ……(倒して……食料……)


そこには、純粋な「飢え」と「生存本能」しか見えない。

彼が想像していたような、残虐性や悪意は感じられなかった。


佐倉は、とっさに叫んだ。


「待て! 待ってくれ! 俺は、お前を傷つけるつもりはない! お前が欲しいのは、食料、だろう!?」


ゴブリンは、佐倉の言葉が理解できたかのように、棍棒を振り上げたまま、動きを止めた。ギョロリとした赤い目が、困惑したように瞬く。


佐倉は、ゆっくりと、しかし確実に、懐から先ほど収穫したばかりの、真紅のトマトを取り出した。

そのトマトは、ダンジョンの淀んだ魔力とは対照的に、生命力に満ちて輝いていた。


「これだ! お前が欲しいのは、これじゃないのか!?」


ゴブリンの赤い目が、トマトに釘付けになった。

その瞳の奥に、強い食欲と、かすかな戸惑いの感情が読み取れる。


『グル……(なんだ……これ……?)』

『グガ……(匂い……いい匂い……)


ゴブリンは、警戒しながらも、ゆっくりとトマトに鼻を近づけた。

その様子は、まるで初めて見るご馳走を前にした子供のようだった。


佐倉は、その瞬間、ある突拍子もないアイデアを思いついた。


(飢えている魔物たちに、この絶品の作物を与えれば……。そして、彼らが「定時」という概念を理解すれば……)


「これは、ビジネスチャンスだ!」


佐倉の目に、かつてブラック企業の新規事業立ち上げに燃えていた頃のような、いや、それ以上の輝きが宿った。

この「ブラック」なダンジョンで、魔物たちを「従業員」として迎え入れ、理想の「ホワイトファーム」を築く。それは、前代未聞の、そして途方もない計画だ。

だが、佐倉には確信があった。この『共感の響き』と、彼の「ホワイト化」への執念があれば、不可能ではないと。


ゴブリンは、佐倉の手からトマトを受け取ると、警戒しながらも一口かじった。

その瞬間、ゴブリンの目が見開かれた。


『グ、グガアアアァァッ!!!(う、う、うまい!!!これ、めちゃくちゃ美味い!!!!!)』


その感情は、佐倉の脳内に衝撃的なほどの喜びとして響き渡った。


佐倉は、ゴブリンに向かって、満面の笑みを浮かべた。


「どうだ? 美味いだろ? もし、お前が俺の仕事を手伝ってくれるなら、こんな美味いものが、毎日、好きなだけ食えるんだぞ!」


彼の言葉は、ゴブリンには理解できない。

しかし、彼の脳内では、ゴブリンの感情が確かな喜びと興奮に満ちているのが感じ取れた。


「さあ、俺と一緒に、このダンジョンを『ホワイトファーム』にしないか? そして、みんなで、定時で上がろう!」


佐倉の呼びかけに、ゴブリンはトマトを口いっぱいに頬張りながら、戸惑いつつも、何かを決意したかのように、力強く頷いたのだった。


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