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第8話 「天使、知恵、恐怖」




天王城の廊下。


透とハロックは、並んで歩いていた。


高く静かな天井、左右には透き通るような蒼いガラス窓。差し込む光が、床に白金の模様を描いている。




「それで天王って呼ばれるの、むずがゆいんだよね〜…なんかこう、肩こるっていうかさ〜」




隣を歩くハロックは、ひらひらしたスカートを揺らしながら、口調だけは軽い。




「……けどまあ、国は背負ってるしね。私がフラついてたら下が困るもん。しゃんとしなきゃって思ってるよ」




「らしくないな。てっきりキャピキャピしてるだけかと思ってた」




「でしょ〜?てか酷くない?」




ハロックは少し笑ってから、透の方に視線を向ける。




「……けど、トオルの方が“らしくない”って言われそうじゃん。


 無理して笑ってるの、バレバレだよ?」




「は?俺は別に無理してないと思う…けど」




「ふ〜ん。なら、もうちょっと素直になってみなよ。ほら、ちょうどよかった」




そう言って、ハロックが足を止める。




透の目線の先──


白が、そこに立っていた。




月のような、冷たい白。


風にそよぐ、銀色の髪。


そして背中には、静かに羽ばたく純白の翼。




まるで、廊下そのものが音楽を聴いているような錯覚。


そこにいるだけで、空気の質が変わるようだった。




「紹介するね。私の幹部、“歌姫”セレナ・フェルリナ。


 たぶんトオルと相性いいと思うよ?」




透は何も言えなかった。ただ、その静かな存在感に目を奪われていた。




「セレナ、この子が“トオル”。私が気に入っててちょっと不器用な子」




セレナはゆっくりと近づき、胸に手を添えてお辞儀をした。




「あ、お初にお目にかかります、トオルさん。


 天王軍幹部、セレナ・フェルリナと申します」




その声は、まるで歌声のようだった。


話しているだけなのに、透の心臓が、少しだけ乱れた気がする。




「……ああ。よろしく」




「じゃ、私はこれで〜。セレナの言葉、ちゃんと聞いときなよ?」




ハロックは、ひらひらと手を振って歩き去っていった。


残されたのは、静寂と、透と──“歌姫”だけだった。




白く磨かれた廊下に、ふたりきりの気配が残る。


 天王の足音が遠ざかってからも、透はなんとなく口を開けずにいた。


 正面にいるセレナ・フェルリナもまた、穏やかな笑みを崩さず、黙って透を見つめていた。




 やがて──




「……トオルさんって、本当に“厄災の器”なんですか?」




 その声音はまるで、昼下がりの風のようだった。


 何の責めもなければ、疑念もない。ただ、透自身の言葉が聞きたかった、というように。




「……あぁ。たぶん、な」




 答える声は小さかった。


 どこか遠くを見るようにして、透は言葉を繋ぐ。




「中に“いる”って言われた。あの扉と一緒に、ずっと前から。俺も……はっきりとはわからないけど」




「……怖くないんですか?」




「怖いよ。いつ乗っ取られるかもって、ステラにも言われたし」




 短く息を吐いた。冗談にするには重たすぎて、黙ってしまう。




 だが──




「でも、トオルさんは“今”自分でいようとしてるんですよね」




「……?」




「厄災が“中にいる”というより……まだ“中に閉じこめられてる”のではないかと、わたしは思います。


 その強さを、どう使うか。どう守るか。選べるのは、やっぱりご本人しかいないんです」




 言葉は淡々としていた。


 けれど、その一語一語が、胸の奥にゆっくりと染み込んでくる。




「……なんか、不思議な人だな」




 思ったままを口にすると、セレナはふわりと微笑んだ。




「よく言われますよ、“不思議”って」




「たとえば……俺が自分を失いかけたら、止めてくれるか?」




「はい。もちろんです」




 即答だった。




「なにで?」




「歌で、です。わたしの“神曲魔唱デヴァイン・アルマ”は仲間を守るためのものですから」




 そこから自然と、魔法の話になった。




「“固有魔法”って、どんな感じで自覚するものなんだ?」




 透の問いに、セレナは一瞬考えたあと、首を傾げるようにして言った。




「生まれたときから、もう“そう”だった──みたいな感覚です。


 最初から“歌えば力が出る”とわかっていたというか……他の方法を知らなかった、というか」




「じゃあ……俺のも、もしかしたら?」




「トオルさんの扉も、たぶん……ただの“道具”じゃないですよね」




透の中に、あの日の記憶が蘇る。


 コンビニから出てすぐのところで見つけた“あの扉”。好奇心のままに開けてしまった“あの扉”。そこから始まった、この異世界での全て。




「たぶん、“俺にしか開けない扉”なんだと思う」




 そう呟いたとき、セレナの表情が少しだけ柔らかくなった。




「きっと、それが答えなんですよ」




 沈黙。けれど、それは不安ではなく、静かな理解の間だった。




「ひとつだけ……よろしいですか?」




「ん?」




「これからもし、不安になったり、心が揺れたりしたら……


 そのときは、“誰かを信じて”ください。


 ご自身ではなくても、大丈夫です。トオルさんには、もう隣に誰かがいるはずですから」




「…………」




「お一人で背負う必要は、ないんですよ」




 その声は、まるで歌の一節のように心に残った。




 透はゆっくりと息を吸って、吐き出した。




「……お前の歌って、そういうとこにも効いてるんじゃ?」




「うふふ。……冗談ですか?」




「半分な」




 二人の間に、ほんの少しだけ静かな笑みが重なる。




◇ ◇ ◇






アヴィアに戻った透はすぐには広場にも部屋にも向かわず、


 どこかで見覚えのある、魔王城の一室の前で足を止めた。




 ──聞こえたのだ。


 男の声。それに重なる、ステラの声。




「……いえ、それでは計算が狂いますね。


 それでは、“あの扉”は……?」




「使い道は考えてある。ただ──」




(誰だ? ステラの……知り合いか?)




しかし、この声は──機械のように歪み、滑らかで、何かが狂っている。




 透はそっと、扉に手をかけ、音を立てないように隙間を開いた。




 ──その瞬間、目に飛び込んできたのは。




 黒のスーツを着た、異形の“男”だった。




 いや、“男”と表現するしかないが──


 その頭部は明らかに、人の形ではなかった。




 円を幾重にも重ねたような渦。


 それは電波の波のようであり、あるいは脳内を直接揺らすノイズの塊。


 目も口も、顔らしきものも存在しない。


 なのに、声だけが、空間に直接「挿入されて」くる。




「……ですからね、それは“愚か者の選択”と言うんですよ」




(……な、なんだあれ)




 ぞわり、と背筋を冷たい感覚が撫でた瞬間。




「……入れ」




 ステラの声が、迷いなく透を撃ち抜いた。




 ばれた──


 観念して透は、扉をゆっくり開き、その場に踏み込んだ。




 中には、ステラと、さっきの“渦の男”だけがいた。




 ステラは椅子に腰かけたまま、淡々と語る。




「こいつは“使徒”だ。お前の中にいる“厄災”と同じくな」




「は……?」




 思考が追いつかない。


 使徒……?コイツが?




「“知恵の使徒”」




 ステラがその名を呟いたとき、“男”が動いた。




 ぬるりと立ち上がるその動作は、関節の感覚すら存在しないかのようで。


 だが、彼ははっきりとこちらを向いていた。




 存在しない目で、透を見た。




「はじめまして、トオルさん。わたくしは“グウィン”と申します。


 “知恵の使徒”、つまりは世界の裏側で記憶を管理する存在です」




「……お前、喋れるのか」




「もちろん。ですからね、知りたいことがあれば、何でもお聞きください。


 たとえばあなたの“死ぬ時期”とか、“厄災が目覚める条件”とか──


 あ、こういうのはまだダメです? ステラさん?」




「言うな」




 ぴしゃりとステラが牽制するも、グウィンはどこ吹く風。




「わたくし、知識の倉庫みたいなものなんです。


 ルールさえ許せば、何でも開示できる。便利でしょう?」




「……ああ、めっちゃ腹立つ」




「おや、それは光栄ですね」




 全く表情がないくせに、満面の笑みを浮かべているような声だった。




「ステラ、お前……こんなやつと何の話を……」




「こいつは“厄災の使徒”に関して知っている。


 お前のこともな。……だから話していた」




「ふふふ。わたしはただ、興味があっただけですよ。


 “厄災を収めた人間”がどんなものか──観測したくて」




 グウィンの周囲に、僅かに電波のような波がゆらりと広がった。


 気づけば、声が耳の中ではなく、“脳内”で再生されていた。




「あなたがいつ壊れるのか、あるいは“運命を逆流させる”か──


 非常に興味深い記録になるでしょう。ね、トオルさん」




 ぞっ、と身体中の神経が逆撫でされるような感覚に襲われる。




 だが、それでも透は、まっすぐに言い返した。




「……ふざけてんのか、てめぇ…!」




 すると──




「いえいえ。わたくしはいつだって真面目です。


 ですからね、“そのうち役に立つかもしれない”とだけ申し上げておきますよ。


 それまで、どうか壊れずにいてください」




 ぐるぐると渦巻く頭部から、ゆっくりと背を向ける。




「……では、またいずれ。“記録対象”として、再会する日まで」




 グウィンの身体が、電波のノイズのように崩れて──


 静かに、その場から消えていった。




「……あれが“知恵の使徒”だ」




 ステラがそう呟くと、ようやく部屋に沈黙が戻ってきた。




「……ヤベぇのに興味持たれた…」




「それがお前の立場ということだ」




 静かに告げられたその言葉は、透にとって冗談に聞こえなかった。



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