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第9話 「禁忌の記録」



静まり返った城の奥。


図書室よりさらに奥まった、知識の間。




本棚ではなく、“記録”の保管庫。


天井から差し込む柔らかな光が、回転するうずまきの頭部に反射していた。




「……ですからね。これは本来ならば《天王》や《魔王》ですら知らない情報なんですよ」




男の名は、グウィン。


“知恵の使徒”と呼ばれる存在であり、常に穏やかだが、何かを試すような声音が混じる。




「……俺だけにって、また面倒な話か?」




「面倒、ですか? ふふ……それはまあ、聞いてみてから判断していただいても」




透は無言のまま、真っ直ぐにグウィンの“顔”を見た。


……いや、“顔だった場所”を、だ。




「いいでしょう。お話しします」




グウィンの声が、どこからともなく響く。


次の瞬間、後ろの壁が機械仕掛けのように音を立てて開き、そこには9枚の古びた石板が現れる。




「これは、禁忌記録ナイン・シン。長らく封印されていた記録です」




透は眉をひそめた。石板には、それぞれ人の形をした“ぼやけた影”と、背筋を凍らせるような文章が刻まれていた。




「……全部人間か?これ」




「ええ。元は“人間”です。この9人が誰か…貴方がよく知っているはずですよ?」




9つの“ぼやけた影”を見て直感でわかった。あの日、襲撃してきた“アイツら”だ、と




グウィンがひとつの石板に指を伸ばす。




「彼ら9人はかつて……各国を単独で転覆させようとし、捕縛・封印された超級の犯罪者たち」




「……は?」




「“王を殺した者”“神を名乗った者”“街を一夜で消し飛ばした者”……ひとりひとりが、《一国滅亡級》の力と狂気を持っています。“並の幹部”など、まるで相手にならないでしょうね」




石板の文字が、透の目に焼きついてくる。




《狂笑の男》──声に触れた者は正気を失う


《千の刃》──一秒に千の殺意を繰り出す者


《連弾》──魔力の弾を雨のように降らせる戦狂い








「彼らを収監していた場所は、“終淵牢”。本来、二度と外へ出すことのない“世界の底”でした」




「……なんでそれが、今外に?」




「それが誰かが意図的に“封を解いた”としか考えられません。わたしもそこまではまだ追いついていないですし」




「目的は……?」




「“あなた《厄災の器》”、です」




グウィンの声が、微かに重くなった。




「トオルさん。あなたの中に“厄災の使徒”がいるという話は、もうご存じのはずですね?」




「……ああ。ステラ達から聞いた」




「彼らは、それを“奪う”か“壊す”か……もしくは、“覚醒させる”つもりなのかもしれません。ですが──確実なのは、あなたが彼らにとっての“中心”であるということです」




透はゆっくりと息を吐いた。




「だから……他の奴らには、話してないんだな」




「そのとおり。……混乱を避けたいのでしょう? あの魔王様も、天王様も」




グウィンの言葉は、どこか冷めているようで、それでいて楽しんでいるようでもあった。




「わたしは、すべての情報をあなたに渡します。“知る”ことは“選ぶ”ことに繋がりますからね。……どこまで受け止めるかは、あなた次第」




「……チッ」




透は、舌打ちをひとつ。


だが、目だけは逸らさなかった。




「9人の居場所……わかるか?」




透が問うと、グウィンは小さく息を吐いた。




「断片的には、ですね。まるで“猫と鼠”のような追いかけっこですが……ふふ」




そう言いながら、指先で石板を撫でる。指が触れた瞬間、ひとつの影が“ぞわり”と蠢いた。




「とはいえ──」




言葉を切ると、グウィンはひとつ“演技めいた間”を置いて、ゆっくりと語る。




「わたくし、ずっと傍にいる……などとは申しませんよ? 情報は与えますが、守るのは皆さんの“仕事”ですからね。なにせ、わたしは“知恵の使徒”であって“盾”ではありませんので」




「……」




「それにわたしが全てを管理してしまったら──あなた方の成長の芽を、摘むことになりますから。ねえ、トオルさん?」




その声は、丁寧な口調でありながら、底に見え隠れする黒い笑みが隠しきれていない。




「知識というのは時に毒にもなる。だからこそ……“誰に、いつ、何を教えるか”は慎重に選ばねばならない。


わたしが、今この瞬間に“あなた”に語ったことには、もちろん──“理由”があります」




「……理由?」




「ええ、“あなた”は、まだ“選べる”立場にあるからです。誰を信じ、どの手を取るのか……それとも、全てを壊してしまうのか」




最後の言葉だけが、何故か部屋全体にこだまするように響いた。


まるで、誰かの思考に直接語りかけてくるかのような、嫌な余韻が残る。




「では、ごきげんよう──また会いましょう、“器”の少年」




そう言って、グウィンの体が淡い粒子にほどけ、記録の間から忽然と姿を消した。




その瞬間、石板の影が――ゆっくりと笑った。




何も言わず、何も動かず。


それでも確かに、“こちらを見ている”ようだった。






◇ ◇ ◇






「……強くなりたい」




その言葉が、ふいに零れたのはアヴィアの夜だった。


街は仮設の灯りに照らされ、まだ復興の影を引きずっている。だが、透の胸にあるのは──焦燥。




(“いつか乗っ取られる”って……)




ステラの言葉が頭に残っていた。冗談じゃない。自分の中にいる“何か”が暴れだし、誰かを傷つけるなんて――絶対に、いやだ。




(だったら強くなるしかねぇだろ……!)




けれど、どうすれば?




「……人類最強に頼めば行けるんじゃ…?」




自分でもバカだと思った。でも、一度考えてしまえば、もう止まらない。




──そして今。




透は城の一角、訓練場裏に立っていた。静かすぎる夜風が、耳元で唸る。




「……さすがに来ないか」




そう呟いた直後、何かが空気を切り裂いた。




風の流れが変わった。いや、“圧”だ。




「よく来たな、トオル」




重厚な甲冑の音と共に、白銀の男が姿を現す。




ルクス。


“無冠の騎士”。王国騎士団団長にして、“人類最強”の名を持つ存在。




その佇まいはまるで神話から抜け出してきたかのようだった。月光を背にして立つその影は、鋼鉄の像のように無言の威圧感を放つ。




「……ほんとに、来るんだな。お前ってやつは」




「何となく“来るべきだ”と思っただけだ」




兜の奥から響くのは、静かで落ち着いた声。いつもの通り無駄がなく、だがどこか人間味もある。




透は数歩、彼に近づいて頭を下げた。




「……頼む。俺を、鍛えてくれ」




「理由は?」




「強くなりたいから。……“俺の中にいるやつ”に、負けないために」




「なるほど」




ルクスはわずかに顎を動かした。満足げというより、納得したような雰囲気。




「答えは──可だ」




「……!」




「ただし、俺は“教え”はするが、“助け”はしない。ここから先、お前が“折れた”ら、俺は手を引く。理解したか?」




透は唇をかみしめながら、うなずいた。




「わかってる……それでも、俺は──」




「言葉はいらない。行動で示せ。お前の覚悟は、“訓練”が試してくれる」




「……ッス」




返事になっていない返事を返した瞬間、ルクスの甲冑から微かな光が漏れる。まるで“聖なる気配”が立ち上るような、純白の波動。




「訓練は明朝から始める。……時間通りに来てくれ」




「おう」




ルクスはそれ以上何も言わず、静かに背を向けて歩き出した。




透はしばらく、その後ろ姿を見送る。




(……人類最強に頼んじゃったな、俺)




不安と期待が入り混じる胸の奥で、何かが熱を帯びていた。




そしてその足元には、微かに白い羽のような魔力の欠片が、ひとつだけ残されていた。






◇ ◇ ◇




朝焼けと共に、地獄は始まった。


正確には、“人類最強の地獄”だ。




「では始めるぞ、トオル」




静かに、だが確実に“宣告”のような声が落ちる。




「まずは──腕立て伏せ、腹筋、スクワットを各5000回ずつ。5セット」




「…………は?」




一瞬、何かの間違いかと思った。


だが、ルクスの声からは一切の揺らぎもない。機械のような、神のような、容赦のない視線を兜越しに感じた。




「しっかり回数を声に出せ。“カウント”は戦闘時に意識を保つ基礎だ」




「マジかよ……」




地面に両手を突き、腕立てを始める。


1回目。軽い。2回目。まだいける。3回目、4回目──100回目。すでに汗が額から滴っていた。




「……ルクスって、本当に人間か……?」




最初の1セットを終えた時点で、腕は鉛のように重く、足もぷるぷる震えていた。




それでも、ルクスは淡々と次のメニューを指差す。




「次は剣の素振りだ。6000回を3セット。足腰に効かせるんだ、雑に振るな」




「地味に1万8000回!?」




重い木剣を受け取った瞬間、肩が軋んだ。振るたびに筋肉が悲鳴をあげる。


だが、ルクスは何も言わない。ただ黙って、カウントを聞いている。




(耐えろ、俺……!)




時間も回数も感覚も、途中から麻痺していく。


最後の一振りを終えた瞬間、透はその場に倒れ込んだ。




「これで終わ……るわけない、よな」




「当然だ」




ルクスがふと、地面に“地図”を魔法で描き出す。




「次はアヴィア全土の周回だ。……朝日が落ちるまでには帰ってこい」




「いやいやいやいや、マラソン……?」




「心肺機能、脚力、忍耐、地形認識──すべてがここに詰まっている。“走れ”」




ルクスの一言に、透の脳が悲鳴をあげた。




「アヴィア一周って、お前……っ、え、いや、どんだけ広いと思ってんだよ!? 村とか国境とか、いくつあると思って……!!」




「走れ」




問答無用だった。




……そして、


透は走った。吐きながら、転びながら、顔を泥と血と汗でぐちゃぐちゃにしながら。




その道中で、家畜に追われたり、落とし穴に落ちたり、村の子どもに「ゾンビが来たー!」と泣かれたりもしたが――。




それでも、走った。




走って、走って、走って――。


気づけば夕焼けが差し、アヴィアの城門が見えていた。




(帰って……きた)




その場に倒れ込み、意識が飛ぶ寸前――ルクスの声が聞こえた。




「……悪くない。明日は、もう少し負荷を上げるか」




「……え?」




その一言で、完全に意識がぶっ飛んだ。






◇ ◇ ◇




部屋の窓から、やわらかな陽が差し込んでいた。


いつもより静かな空気。けれど落ち着かないのは、たぶん、俺のせいだ。




ステラはいつも通り、椅子に腰掛けて紅茶を傾けていた。


透はその前に立って、何を話すでもなく、ぼんやりと空気の動きを感じていた。




「……トオル」




「ん」




「お前……少し、変わったな」




それは、ふとした問いのようで──


芯を突かれたような言葉だった。




「変わった、か。まあ、訓練とかいろいろあったしな」




透は笑って答えたつもりだった。でも声が少しだけ濁っていた。




ステラはカップを静かに置き、こちらを見た。


その目に、責める色はなかった。ただ、確認するような、そんな瞳。




「……自分の中に別のものがあると気づいたのはいつだ?私たちが伝えた云々は置いといて、だ」




「……」




喉が、少しだけ詰まる。


でも、もう誤魔化す気も起きなかった。




「最初に“扉”を開いた時から……たぶん、ずっと」




「それは……“災い”か」




「……さあな。でも、間違いなく、俺の中にある」




言いながら、胸の奥が、ズキリと痛んだ。


心臓じゃない。脳の奥、もっと奥――言葉にならない場所が軋むように。




ステラは席を立った。


透の前に来て、ほんの少しだけ、顔を近づけて言った。




「……壊れるなよ。お前はまだ、“トオル”だ」




その言葉は、妙に温かくて、同時にぞくりとした。




「俺ってそんなにヤバく見える?」




「“災厄の器”という言葉が、ただの称号なら、そうでもなかった。だが」




ステラは静かに背を向ける。




「今のお前は、それを“現実”にしていきそうな目をしてる。……自覚はしておけ」




部屋に、再び静寂が戻った。






本人も気付かず、他者も気付かず。


透の中で少しずつ、なにかが。黒いものが。脈を打ち始めた




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