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第10話 「別れと出会い」


白い空が広がっていた。


朝焼けの名残はまだ、雲の端にうっすらと滲んでいる。




城の上階から広がる光景を、透は黙って眺めていた。


アヴィア──かつて異世界に足を踏み入れた自分を受け入れてくれた、不思議な都。




街並みの隅々に魔力の気配がある。人の声、鳥の声、風の音。


けれどそのどれもが、透の背を静かに押してくるようだった。




「……そろそろ、だな」




誰に聞かせるわけでもなく、呟く。




背後で扉が開く音。


振り向けば、ステラがいた。


長い黒髪を束ねることなく風に任せ、金の眼差しでこちらを見据えている。




「行くのか」


「……ああ」




会話はそれだけだった。


けれど、何も言わないその表情が、どれだけの想いを含んでいたかは、痛いほど分かる。




そこへ、誰かが駆け寄ってきた。




「お〜っす、朝から真面目じゃん」




軽い調子の声。ハロックだ。


袖を揺らしながら、空気すら読まない歩調で隣に並ぶ。




「ま、トオルなら大丈夫でしょ〜。ちょっと危なっかしいけどね〜?」




「うるせぇよ〜」




「うん、そういうとこだよね〜……でも、まぁ。がんばって?」




ハロックは笑っていた。


その笑顔の奥には、言葉にしない想いが幾重にも張りついているようで、透は視線を外す。




そのまま城を出て石レンガで出来た道を歩き、門の前へ向かう。


門まで半分か否かの距離でルクスが待っていた。




全身を白い鎧で包んだ姿。兜の奥の表情は見えない。




「トオル、これを持っていくといい」




そう言って差し出されたのは一本の剣。


鈍色の刃に、銀の装飾が施されている。




「お前に合うよう調整してある。魔力流入で刃が変化する。斬撃も、突きも、投擲も対応できるぞ」




「お、おう……すげぇな」




「当然だ。俺が選んだんだからな」




受け取った瞬間、剣がかすかに震えた。


“持ち主”を受け入れるかのように。




「……ありがとな」




「礼は強くなってから言え。あと、ちゃんと生きて帰ってこい。その時は…うまい飯と稽古を用意しといてやろう」




ルクスはそれだけ言って、すぐに踵を返す。


どこか背中が寂しげに見えたのは、透の気のせいだったのかもしれない。




そして門の前。


ハレビアとクリスティアも、既にそこに立っていた。




ハレビアは相変わらずの笑顔だ。




「いやぁ、トオルくん。賭けの匂いがするな〜?君がこの旅でどう変わるか、すごく興味があるよ」




「……なに賭けてんだよ」




「命より重いものさ。ふふ、なんてね」




クリスティアは言葉少なに、透の手元をじっと見つめる。




「剣の扱いには慣れろ…死にたくなければな」




「……わかってるよ」




風が吹いた。




城門が開かれる。


その向こうは果てしない北の大地。




透にとって“未知”の世界。




透は、一歩を踏み出した。




剣を背負い目を細める。


固有魔法、ネクサスゲートを多少使えるようになった今、透には選択肢がある。




だがこの旅だけは、自らの足で進むと決めた。




「じゃあな、お前ら。また会うときはちょっとくらい強くなってると思うから楽しみにしといてくれよ〜」




「へぇ〜、フラグじゃないよね〜?」と天王ハロックがからかい、


「……せいぜい壊れるな」と異淵王クリスティアが呟き、


「健闘を祈るよ」と魂賭王ハレビアが手を振った。




ステラは壁に寄りかかり最後まで何も言わなかった。


けれど、目は確かに透を見ていた。




透は一度だけ振り返り、そして歩き出した。




旅立ちの空は、白く澄んでいた。


だがその先に待つものが穏やかなものである保証など、どこにもない。




透の視線の先。


その遥か北、雲の向こう──




何かが待っている




◇ ◇ ◇






風の香りが変わった。


アヴィアを離れて二日。草原を抜け、岩地を越え、透は“旅”という現実に足を踏み入れていた。




足元の地面は乾き、日差しは強く、だが吹き抜ける風だけはどこか優しかった。




道中、いくつかの小さな集落があった。


その度に、かつて魔王軍幹部のルザリオから渡された数枚の金貨——透にとっては“お小遣い”以上の価値を持つ物が役に立った。




「ったく……ほんとに便利だな、金ってやつは」




透は呟く。


金貨一枚で宿、食事、そして——馬車だ。




現在、彼は馬車の荷台に揺られていた。


道の端をゆっくり進むこの乗り物は、彼の足よりも遥かに確実に、前へと進んでいく。




「……さて、次の村はどこだ?」




彼が尋ねると、馬車を引いている“男”がぼそりと答える。




「この道の先にゃ、ドワーフどもの村があるよ。金属の匂いがすりゃ、もう近い」




「ドワーフ?」




「鍛冶と酒の種族さ。無口で頑固だが、腕は確かだ。あんたのその剣、メンテするなら悪くない連中だぜ」




「へぇ……そりゃ助かるな」




透は、自分の背にある剣をちらりと見る。


ルクスから渡されたそれは、まだ戦場の匂いを知らない。


けれど、遠くない未来──その刃は否応なく血に染まる。




「もう一つ、少し先になるが……亜人の村もある。獣人どもさ。商いもしてるらしいが、よそ者には厳しいって噂だな」




「獣人……」




透の視線が、馬車の先をとらえる。


道は続く。風が揺れる。太陽は高い。




「……行ってみる価値はある、かもな」




「気をつけな。こっから先は国の保護なんざねぇ土地だ。魔物も出るし、盗賊もいる……生きて帰れりゃ儲けもんだぜ」




男の言葉は冗談とも本気ともつかない。


透は苦笑を浮かべる。




「そりゃあ、どっちも慣れてる」




馬車はゆっくりと、土を踏みしめる音を立てて進んでいく。


陽は高く、だが風の音にはどこか重さが混ざり始めていた。




それは次に待ち受ける出会いと、血の予感を孕んで。






「ここまでだな」




馬車が止まった。


荷台の布がめくれ、透は顔を出す。すでに日が傾き始めている。




「道が狭すぎて馬車じゃ進めねぇんだ。亜人の村はあの山の向こうの森の奥だ」




男が指さす方には、獣道のような小道が続いている。


その先、緑に飲まれた影の濃い森が口を開けていた。




「……ここから歩きか」




「せいぜい数キロだ。まぁ、無事にたどり着けりゃな」




「ありがとな」




男はにやりと笑い、手綱を引く。


「幸運を祈るぜ」と背を向けて、ゆっくり馬車を走らせていった。




◇ ◇ ◇




獣道を歩く。


風が木々を揺らす音だけが、耳に残る。




透は背負った荷物を背中にずらしながらどこか楽しげな表情を浮かべていた。




「……こういうの初めてだな」




異世界に来てから命の危機も戦いも絶望も味わった。


でもこの道にはまだ“殺気”がない。




ただ静かに、緑が揺れている。




──日が暮れる。




空が紫から藍へ、そして墨のような夜へと変わっていった。




やがて、森の奥から淡い光が見えた。


小さな蛍火のような……いや、それよりも大きくて、ゆっくりと瞬いている。




「……あれが村……?」




透は歩みを速める。




森に入る。


葉がこすれる音。草のざわめき。動物の気配。




でも、そのすべてが──




幻想的だった。




光は、木の間に浮かぶように並んでいる。


空中に散らばる宝石のように、青や緑に揺れている。




木の幹には紋様が刻まれていた。魔法のような図形が光り、道を示していた。




「すげぇ……なんだここ……」




まるで異世界の中でも、さらに別の空間に来たような──


そんな浮遊感が、透を包む。




「……神秘的だな……」




口から漏れた言葉は、誰にも届かない。


けれどその言葉は、確かに彼自身の感動を表していた。




だから──




背後からの気配に気づくのが遅れた。




「っ……!?」




振り返る間もなかった。




ごっ、と鈍い音。


視界が傾ぐ。




崩れる身体。


仰向けに倒れ見上げた夜空は青白い光に染まっていた。




そして──




プツッ




意識が途切れた。






◇ ◇ ◇






──静寂。


だが何かが始まった。




透が目を覚ましたとき、そこは──“十字架”に括り付けられていた。






「……っ、あ?」




目が覚めた。


でも、起き上がれなかった。




両腕と両足が、ガッチリと固定されている。


まるで処刑用の十字架のような頑丈な木製の拘束具に透は括り付けられていた。




目の前には空。




いや、空というよりも──


村の空。そして、その向こうにある……数十の視線。




「……な、んだよこれ……」




完全に村のど真ん中だった。


石造りの広場の中心。


家々に囲まれたその場所にただ一人、晒されるように立たされている。




ざわ……ざわ……と、低く亜人たちの声が広がる。




「やっぱ人間だ」「また盗賊か?」「顔つきが違ぇよ」


「しらばっくれてんだろ、どうせ」




透の目の前に、一人の亜人が近づく。


虎の耳と尻尾を持った大男だ。斧を肩にかけ、獰猛な目で睨みつけてきた。




「おい、人間。てめぇ名を言え。何者だ。どこから来た。何しに来た」




「……あぁ? ちょっと待て、順番に言えよ……!」




「うるせぇ!お前がここにいるだけで俺たちは危険なんだよ!」




怒鳴り声。




「この間、盗賊どもが襲ってきたばかりだ! 同じ人間だ、無関係って言い張るつもりか!?信じられるか!? あァッ!?」




透は叫び返そうとするが、拘束のせいで腹部に力が入らず、うまく息ができない。




──その時だった。




「おいコラァ!! 何ギャーギャー騒いでんだよッ!」




怒鳴り声が響いた。


子供のような高めの声だが、荒んでいる。喉を焼いたような掠れた金切り声。




亜人たちが一斉に振り返る。




「うっせーんだよ全員ッ!処刑でもすんのかコレ? あ゛!?」




現れたのは──




小さな体の鮫の亜人。




見た目は完全に“足と腕が付いてるだけの鮫”。大きな鋭い歯をニタァと見せて笑っていた。


足音は重く、肩で風を切るような堂々とした歩き方。




「なんだよ人間じゃん。しかも顔つきヤバ、ビビりすぎだろお前」




その鮫の亜人は透に近づいて顔を覗き込むようにした。


目はギラついている。まるで獲物を前にした捕食者のように。




「てめぇさ、盗賊の仲間じゃねぇんだろ?だったらさ──言えよ、ぜってぇに違うって。黙ってんじゃねぇぞ?」




「……いや、俺はマジで関係ねぇって……ってか、なんで子供が……」




「だれが子供だってェ!? あ゛あ゛!? 殺されてぇのか!?」




ギャアアと怒鳴る鮫の亜人。


その横から、ようやく杖をついた亜人の老人が近づいてくる。




「こら、暴れるでない。言葉を選ばんかバカ孫め」




「はァ? 言葉ぁ? こいつが黙ってっからだろーが、ジジィ!」




老人はやれやれと首を振ったあと、透の正面に立ち、静かに名乗る。




「儂はこの村の村長、ガルドという。……人間よ、お主の名前を言え。そして目的を話すがよい」




──透は深く息を吐いた。




「……透だ。殻崎 透。通りすがりでここに来ただけで……盗賊とは無関係だ」




「トオル??ふーん……。言葉のトーンは嘘つきじゃねぇな」




鮫の亜人がじろりと睨む。




「よし! じゃあさ! 試しにぶん殴ってみる?もし反撃してこなかったら仲間ってことにしてやんの!」




「お前の頭ん中どうなってんだ……」




結局、村長の静止と“鮫のガキ”の気まぐれにより、透は解放されることとなった。




ただし──




「いいか、オレがずっと見張ってっからなァ! 変なマネすんなよ!? マジで即噛み千切るから」




この口の悪い小さい鮫の亜人が“監視役”として同行することになった。




その背にはまだ短いが──


しっかりと殺傷力を持つ、鋭い背ビレが光っていた。




透は思った。




(……ろくでもねぇ村に来ちまった)




だが、それはまだ序章だった。


この村で、彼が目にするものは──もっと、深く、重く、えげつないものだった。





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