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第11話 「俺はその日から」

「…子供のくせに口悪いんだな…」


「だぁあああああ!? 誰が子供だコラァ!!」


ビリッ、と空気が裂けるような怒鳴り声が森中に響く。

体は小さい。目線も低い。だが声と態度だけは山のようにデカイ


「おいおい……子供ってワードそんな地雷なのかよ」

呆れたように透は頭を掻いた。

そのまま、少しうんざりしながら問いかける。


「……で? お前の名前は?」


すると鮫の亜人は自信満々の表情で胸を張り、牙を光らせた。


「ギルメザ・ザッハーク様だ!! てめぇの三倍生きてるんだぞ! 敬えや!!」


その言葉に、透は盛大に溜め息をついた。


──それから透はこの村の信用を得るため、ギルメザの監視のもとで労働を開始した。


大人の牛二頭分ほどある麻袋を両腕で持ち上げ、青筋を立てながらよろよろと運ぶ。


雨で滑る坂道に足を取られながらも、木材の束を背中に抱え、根性で登り切る。


野菜を洗う亜人たちの水場で、巨大な水瓶を何度も補充しに川へ通う。


筋力でごり押しする力仕事は、身体の節々を悲鳴上げさせるギリギリの負荷。


ギルメザの「もっと早くしろやァ!」という罵声が飛ぶたび、透は歯を食いしばった。


それでも透は倒れなかった。ただ一言も文句を言わず、黙々と働き続けていた。


その姿を少しずつ──

村の亜人たちが、遠巻きに見ていた。




衣食住のうち、「食」と「住」は村長のガルドが用意してくれた


透が寝泊まりしているのは村の端にある小さな納屋を改築した場所。干し藁の布団に、夜風を防ぐ布。粗末だが雨風は凌げる。

食事は日によって違う。亜人たちが交代で用意してくれる。見たことのないキノコや肉の煮込み、果実をすり潰した粥。どれも質素で温かい味がした。


──そして一週間が過ぎようとしていた。


この日もまた、透は土の匂いを纏いながら、村長の家へと向かっていた。足元はふらつき、肩が落ちている。疲労は隠しようがない。

村長宅の縁側で出された湯気の立つお茶が、今はなによりの救いだった。


「……うま……」


口にした瞬間、透の顔が少し緩む。

すると、目の前で湯呑みを置いた老亜人──村長が、笑った。


「お主、ここに来た頃は……顔が土色だったが、今はよう笑うようになったな」


透は肩を竦めた。


「笑ってるつもりはないんだけどな。疲れすぎて表情筋が勝手に動いてんのかもな」


「ふふ、そうかもしれんの」


老いた瞳が、細められた。


「最初はお主のことを信用せん者も多かった。……だが今は違う。

『あの人間は手を抜かん』『頼めば黙ってやってくれる』『バカみたいに真面目だ』──

そう皆が言うようになった」


「……“バカ”って言われてる時点で褒められてる気がしねぇ〜…」


「それでも信頼とはそういうものじゃ。お主は──この村の中に、ちゃんと“在る”。」


少しの沈黙。

湯呑みに視線を落としながら、村長はふと口を開いた。


「あのバカ孫のこと、気になるじゃろう?」


「……まぁな。あいつずっと怒鳴ってるし。たまに疲れてんのか寝てるし」


村長は小さく笑い、続けた。


「あの子の両親は昔、この村を守って死んだ」


透は、湯呑みを持つ手を止めた。


「盗賊の襲撃じゃった。まだ奴が“人間”を信じていた頃の話じゃ。人間の交易商が道を間違え、村に保護を求めてきた。

だが──その人間は、盗賊と繋がっておったんじゃ」


「……」


「親は死に、家は燃え、ギルメザは自分が弱かったと泣き叫んでおった。

それ以来じゃ。あの子は、“怒鳴る”ことで自分を保っておる。バカな口調も、きっと“弱い自分”に戻らないように必死なんじゃろうな」


「……」


「お主のことも、最初は“裏切るんじゃないか”と疑っておった。

だが──それでも毎日、あの子はお主のそばにおったじゃろ?」


「……まぁ。ずっと怒鳴られてたけどな」


「それがあの子なりの“側にいる”という意思表示。可愛いもんじゃよ」


透は黙ったまま、お茶を飲んだ。

少しだけ冷めたその味が、どこか、胸に沁みた気がした。


ガルドの家を出ると、太陽はすでに傾いていた。

静かな村道。土の匂いに、どこか甘い果実の香りが混じる。透は息を吐きながら頭の後ろで手を組む。


「……ん、やっと一息つけたな」


ふと、そのときだった。

前から歩いてきた亜人の一人──毛並みの整った狐のような獣人が、立ち止まる。


「……おい、人間」


透が反射的に構えると、男は──笑った。


「今日は水場の岩、全部どけてくれたらしいな。助かった」


「……あ、ああ……あれ、けっこう重かったけどな」


「あんた、バカ正直だよな。でも、悪いやつじゃねえってのはもう皆わかってる」


男はそれだけ言い残して、肩を揺らしながら去っていった。

透は呆けたようにその背中を見送る。


「……話しかけられた?俺が?」


心の奥で、何かが音を立てた気がした。

積み上げてきたものが、ようやく誰かに届いた。そんな気がした。


その瞬間だった。


「あああああ!? てめぇ何勝手に馴染んでんだよぉ!!!」


耳に痛いほどの怒鳴り声とともに、ギルメザがすごい勢いで駆け寄ってくる。

身に着けている短パンは砂まみれ、手には何故かでかい魚が一本ぶら下がっていた。


「オイコラ!! お前がちょっと役に立ったくらいでみんなが優しくなるとでも思ったのかァ!? あ゛あ゛!? 調子乗んなバカ!! アホ!! 馬面!!!」


「馬要素どこだよ……」


「ちくしょーがぁ! てめぇは何なんだ!? ちょっと岩持ち上げただけで『ありがとう』か!? ずりぃだろうがぁ!!!」


「いや、ずるくはないだろ……努力の結果だぞ?俺の……」


「うるせぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」


ギルメザは魚をブン回しながらわめき散らしたあと、なぜか魚を置いてどこかへ走り去っていった。

残された透は、肩を落としつつも──小さく、笑った。


「……変わってきたな、ほんとに」


それは誰の心も動かさなかったはずの、“外から来た人間”の微かな実感。

だが確かに、ここから何かが変わり始めていた。



────────────────────────



あの日、あの人間が村に運ばれてきたとき──

正直、即刻ぶん殴ろうかと思った。


「なんだアイツ」

「何見てんだコラ」

「うっぜぇ顔してんじゃねぇよ」


たぶん顔に全部出てた。


人間なんてのは信用できるもんじゃねぇ。

こっちが笑えば後ろでナイフを研ぐような連中だ。

言葉も、態度も、笑顔すら信用できねぇ。


だから、あいつが十字架に縛られてたときはざまぁって思った。

ふんぞり返ってやった。


──けど、解放されたあともあいつは何も言わなかった。


文句も、逆ギレも、しなかった。


代わりにしたことといえば、

土を運んで、石を積んで、村の手伝いして。

手ぇ真っ赤にしながら、汗ダラダラかきながら、それでも──


「ありがとなー!」


って言われたら、ヘラヘラ笑ってんだ。


なんなんだよ、あれ。


俺がいくら怒鳴っても、イラつかせようとしても、

「うるせぇな」「疲れてんだよ」で済まされて。

煽ったら煽ったで「はいはいわかったわかった」でスルーされるし。


マジでムカついた。

殺してやろうかってくらいムカついた。


──でも、気づいてた。


あいつ、毎日ギリギリの力でやってた。

重い木材、でかい石、汚れた衣類。

大人の亜人でもきつい作業を、文句一つ言わずに。


──そういうやつだった。


俺はずっと見てた。見えてた。

アイツの足の震えも、背中の汗も、

人が見てないとこでこっそり吐きそうになってんのも。


だからこそ余計にムカついた。

なに正義面してんだよ。

お前みてぇな“いい人”見せられると、こっちがズタボロになる。


俺たちはそうやって必死に“悪く”見せて、

“怖く”して、手出されねぇようにしてきたのによ。

なんでそんな簡単に壁超えてこようとすんだよ。


ずりぃだろ。


……ちげぇけど、

……いや、ちげぇってわかってんだけど──


わかんだよ。あいつの気持ち。


俺も昔はああだったんだ。

誰かに“受け入れられたくて”、

毎日泥にまみれてた。

でも、それを“弱さ”って言われるのが怖くて──


だから、“バカ”になった。


でもあいつは、それでもバカなままで、

“まっすぐ”で、“素直”で、

なんかもう、見てるとムカつくし、情けなくなるし……


……でもちょっとだけ、うらやましかった。


──俺が本当に“なりたかった”やつが、そこにいる気がして。


だから俺はまた怒鳴るんだ。

わめくんだ。


「ちくしょーがぁ!! てめぇなんか大っ嫌いだ!!」


だって──

それ以外、どう接していいか……わかんねぇから




◇ ◇ ◇

「はぁ??人間仲間にすんのかよ!!」



「放っとけんかった。それだけだ」



あの頃の俺はまだ小さかった。

でもジジィが連れてきた“人間”を見て、胸がザワついたのは覚えてる。

どこか影のある顔、痩せて骨が浮いた体、震える手。


「おまえの名は?」


「……サイロス、です」


聞いた名もすぐ忘れた。

そんな奴どうでもよかったからな。

でもジジィはサイロスとかいう男を「家族」として受け入れた。


それは、きっと間違いじゃなかったんだ。

少なくとも、ジジィの優しさは“嘘”じゃなかった。


──数日後、サイロスは消えた。


朝、炊いた飯の匂いに誘われて台所に向かったら、

そこにいるはずの人間の姿がどこにもなかった。


荷物もない。寝床も乱れてない。

でも確かに「いなくなっていた」。


ジジィは何も言わなかった。

……たぶん気づいてたんだと思う。


だけどその日、俺は嬉しかった。


「なー母ちゃん、父ちゃん! あの変な人間いなくなったっぽい!」


「こーら、失礼すぎるよ? でもまぁ……正直、ちょっと怖かったけど」


「まぁそのうち帰ってくるだろ…ギルメザ、今日は熊のスープだぞ〜?」


テーブルの上に煮込んだスープ。

焼いた木の実。手作りのパン。

父ちゃんが取ってきた蜂蜜まであって、久々に贅沢な朝飯だった。


母ちゃんが笑って、父ちゃんが笑って。

俺も笑ってた。


これが続けばいいと思った。


「なーなー! 午後は山登りしようぜ! イモ虫探し勝負だ!」


「ギルメザ、またそんなことを……でも、いいな。行くか」


「私も弁当持ってくよ。あんたの好きな干し肉、作っておくからね」


ああ、忘れねぇ。


忘れられるわけがねぇ。


あの日、最後に笑った母ちゃんと父ちゃんの顔を。


──ギィ……ッ。


外の戸が、鳴った。


「……誰か来た?」


父ちゃんが立ち上がる。

そのときだった。


「うわああああああああああああああああ!!!」


叫び声。

外から、村人の叫び声が聞こえた。

息が詰まるような、悲鳴の連鎖。

ドン、ドン……爆ぜるような音。


戸を開けた父ちゃんが、固まった。


「……ギルメザ、奥へ行け」


「え?なに?なんでだよ?」


「いいから行け!!」


父ちゃんが初めて俺に怒鳴った。

その瞬間、煙が流れ込んできた。


真っ赤だった。

空が、森が、村が。

燃えていた。


炎が唸り声を上げ、家々が崩れ落ちていく。


「ッ!! あ、あれ……人間かっ……!? 剣、持って……!?」


「人間……」


母ちゃんの声が震えていた。

見覚えのある後ろ姿が、家々の火の中を歩いていた。


──サイロス。


「なんで……なんで……!?」


誰も答えねぇ。

ただ、剣が振るわれ、火が撒かれ、村が崩れていく。


父ちゃんが外へ出ようとして。

止める暇もなく、爆発の音と共に姿が消えた。


「父ちゃん!? 父ちゃ──!」


「ギルメザ! 下がって!来ちゃダメ!!」


母ちゃんの声が聞こえた。

けど、その声も、すぐに──


「母、ちゃ……」


……あれから時間が飛んだようだった。

気づいたときには灰の中。

焼けた家。焼けた床。

そして焼けた、手。


俺は、そのそばで、泣きもせずうずくまってた。


「……おい、ギルメザ」


声がした。


ジジィがいた。


真っ黒に煤けて、でも両目はギラギラしてて、

俺を見つけるや否や、肩を掴んできた。


「……遅くなって、悪かった」


「…………うん」


「お前の……父母は……?」


「……死んだ」


俺は、初めてそう言えた。

現実として、受け入れた。

もう帰ってこないって。


ジジィが歯を食いしばったのがわかった。


「……すまん」


「ガルドのせいじゃねぇ」


「……だが、俺があの人間を信じた。結果……こうなった」


何も言わなかった。


ただ、そうなんだと思った。


ジジィはずっと自分を責めてる。

でも俺は──


(……もう、二度と。絶対に、人間なんて……)


そのとき、何かが壊れた。

信じるってことができなくなった。


笑いかけられても、手を差し伸べられても。

「どうせ裏切る」と思うようになった。


トオル。

お前を見てると……昔の人間を思い出すんだよ。

だからムカつく。だから近づきたくねぇ。


でも、もし。


お前がその“信じる”ってやつで、何かを変えられるんなら──


俺は、そのとき……もう一度、信じてみてもいいのかもな。


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