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第16話 「品定め」


 「ぅええええええぇっっ!!」

 ミナミのギャン泣きはまだ止まらない。鼻をすすりながら、透の腕を掴んだ。


 「ご、ごめんなざいィィ!! わだし、盗もうとしたの今回が初めてで……! 元は冒険者だったのっ!! でも冒険者ギルドの依頼なんて、もう死ぬの怖くて行きたくないし!! 所持金も底ついて、残ったのが盗賊しかなくてェ!! 髪だってそれっぽく見えるように切っただけでェ!!」


 透は思わず目を閉じ、深く長く息を吐いた。

 「……はぁーーーーー……」


 その横でギルメザが、「ア゛ァ!? じゃあ最初っからやってんじゃねーよッ!! 死ぬのが怖いとか知ったこっちゃねーんだよッ!! うるせぇェェ!!」と暴れようとするが、透が片手でギルメザの口をガッツリ押さえている。

 「ン゛ーーーーーッ!!」

 ギルメザの口元はもごもご動きっぱなしだ。


 ラグとキールは透の前に出ると、深々と頭を下げた。

 「すまねぇ……オレ達も一緒に悪さしようとした……ほんとにすまねぇ……」

 「オレら……もうあいつに引っ張られてしか動けねぇんだよ……」


 透は首を振り、ポーチの奥から金貨の袋を取り出した。ルザリオからもらった金貨の残りはもうほんのわずかだ。袋の口を開いて中を覗き込み、ひとつ息を呑む。

 「……まぁ、ちょっとだけなら分けるよ」


 ぽん、と金貨をいくつか差し出す透を見て、ミナミは瞳を潤ませ、まるで人が変わったようにぺこぺこと頭を下げた。

 「ごっ、ごめんなざいィィ!! ありがどぉぉぉぉ!!!」

 地面に額を擦り付ける勢いだ。


 「ただし、タダじゃねぇぞ」

 透はぴしゃりと言った。ミナミが泣き顔を上げる。

 「は、はいィィ!!?」


 「その代わり、試練の水路の手助けしてくれ」


 ミナミの顔が一瞬で固まった。ピシィッと凍り付く音がしそうな勢いだ。

 「し、試練の水路……?」


 「そう。周りぜんぶ墓だらけで、死因まで刻んであんだよ。パーティー二十一人で挑んで全滅とかも普通にある。どんだけヤバい場所かわかるだろ」


 「……ッ!!」

 ミナミは目を見開き、すぐに金貨を透に突き返した。

 「無理ィィィ!! やっぱりいいです!! ありがとうございましたァァァ!!」


 そう叫び、全力で走り出そうとするミナミの肩を、ラグとキールが同時にがしっと掴んだ。

 「オラ戻れ! せっかく助けてもらったのに!」

 「いい加減にしろ!」


 「ア゛ァァァ!! ガタガタ抜かしてんじゃねーぞッ!! 今度泣きやがったら今度こそブッ飛ばすかんなッ!!」

 ギルメザはまだ口を塞がれながら、凶悪な目でミナミを睨みつけていた。


 ──それから数日後。

 透たちは偶然出くわした凶暴化した魔物との戦闘を余儀なくされる。


 「オラァァァァッ!!」

 ラグの斧が唸りを上げて魔物の肩口を叩きつける。

 キールも槍をしならせ、素早い突きを繰り出していた。

 「だぁッ!!」

 そしてミナミは泣きそうな顔で叫びながらも、両手を大きく広げると、空中に緑がかった魔法陣が展開した。


 《旋風穿刃》!!


 風が高速で渦巻き、鋭い刃となって魔物に襲いかかる。

 ザシュ、と切り裂く音と共に魔物が一歩後退し、木々を薙ぎ倒した。


 透は剣を両手で握りしめ、思わず感嘆の声を漏らした。

 「……意外とやるな、お前ら……!」






 湖畔から少し離れた森の縁。魔物の死骸が転がる平原で、透はようやく大きく息を吐いた。

 緊張感が一度解けると、どっと疲労が押し寄せる。


 ギルメザは地面に腰を落とし、膝を抱えて唸っていた。

 「チッ……水がねぇとなんもできねぇとか、クッソがッ……!」


 透は苦笑しながらギルメザを見下ろした。

 「なあ、ギルメザ。さっきミナミに使った魔法、他でも使わないのか?」


 ギルメザの目がカッと見開き、怒鳴り声を張り上げた。

 「ア゛ァァ!? 使いてぇに決まってんだろがよッ!! 水がねぇとなんもできねぇんだよクソがァァァ!!」


 透は呆れた顔でため息をついた。

 「めちゃくちゃ不便だな……」


 「テメェに言われたくねぇ!!」ギルメザはわめきながら、地面を蹴飛ばした。


 透は視線をラグとキールへ向ける。

 「ラグ、キール。お前らは固有魔法ないのか?」


 ラグは首を振った。

 「オレらは無ぇ。固有魔法ってのは生まれつきの運だ。持ってるやつと持ってねぇやつがいる」


 キールも小さく頷き、ぽつりと言った。

 「でも無い奴にも一応いいとこはあんだよ。……その代わり、五感のどれかが異常に発達するんだ」


 「五感?」透は首をかしげた。


 「おう。オレは視覚だ。遠くのもんも細かい字も見えるし、人の動きもすぐわかる」ラグが少し誇らしげに言う。

 「オレは聴覚。森に入ったときからお前らの足音も、動物の鳴き声もずっと聞こえてた」キールがため息をつきながら言う。


 「へぇ……すげえな」透が感心して声を漏らした。

 「で、ギルメザは?」


 「ア゛ァ!? オレは全部最強だっつってんだろがよッ!! ガタガタ言わすんじゃねェ!!」ギルメザがまたしても怒鳴り散らした。


 その瞬間だった。空気がピキリ、と音を立てて張りつめた。


 「……っ」

 透の目が鋭く細められる。周囲の木々がざわりと揺れ、まるで熱風の渦が吹き荒れるように空気が歪む。

 その中心から、するりと一人の男が姿を現した。


 男は二十代半ばほど。背は高く、暗い紫がかった髪が首筋まで伸びている。片目を前髪で隠し、唇はにやけたように吊り上がっていた。鋭い眼光は獣のようで、全身から嫌な殺気が溢れている。


 「……誰だ?」ラグが低く声を出す。


 男は一歩踏み出し、肩を揺らして息を吐くと──次の瞬間、爆笑した。

 「アハッ……アヒャハハハッ!!」

 その笑いは乾いていて、まるで壊れた鐘のように響き渡る。


 透以外、全員がぎょっとして固まった。

 男は腹を抱えながら笑い続ける。

 「はーハハッ! 最高だわ……“トオル”だよなぁ? よくもまぁ、こんな連中連れて旅ごっこしてられるよなァ……!!」


 ギルメザが怒りで顔を真っ赤にする。

 「テメェ……! いきなり現れて何ほざいてやがんだッ!!」


 男はギルメザをちらりと見ただけで、狂ったように笑いながら話を続ける。

 「はーハハッ! ちょうどいい! どんくらい役に立つのか見てやろうじゃねぇか!」


 次の瞬間、男の姿が煙のように掻き消えた。

 透は目を見張った。

 「速っ──!」


 男の拳が、ギルメザの腹にめり込んでいた。


 「ぶッ……!!」

 ギルメザの目が白目を剥き、背が大きくのけぞる。


 「《旋風穿刃》っ!!!」ミナミが叫ぶが、その声の前に男の体がふわりと弾む。

 次の標的はラグ。


 「ちッ──!」ラグが避けようとしたが、男の蹴りが首筋に叩き込まれる。ラグの身体が吹き飛び、地面に転がった。


 「おい!! ラグ!!」キールが慌てて駆け寄ろうとする。

 しかし男の掌が横に払われ、まるで無形の衝撃波のようにキールを襲った。

 「うぐっ──!」

 キールもまた、もんどり打って数メートル後ろへ吹き飛んだ。


 ミナミが震えながら後退しようとする。

 「い、いや……やだ……!」


 男の手が伸びる。風が渦を巻き、ミナミの首を絞め上げるように締めつけた。

 「ヒッ……!!」


 ギルメザが立ち上がり、血走った目で叫ぶ。

 「テメェェッ!! この野郎ッ!!」


 水は無い。しかしギルメザは拳を振り上げ、殴りかかろうとする。

 だが男は狂気的な笑みを浮かべたまま、ギルメザの拳を片手で受け止めた。


 「フッ……遅ぇんだよ、雑魚が」


 ギルメザの拳を握り潰す勢いで捻じ曲げると、今度はギルメザを肩ごと地面に叩きつけた。

 「がはッ──!!」


 透は歯を食いしばり、目を見開いた。

 こいつは──バルマレオに限らず、一部の魔王軍幹部に勝てるほどの力を持つ連中のひとりだ。いや、それ以上かもしれない。


 男は満足そうに笑い、血の混じった息を吐いた。

 「はーハハッ! 面白れぇ!!この程度でアイツを護りきれると思うなよォ!!」


 ラグが血を吐きながら立ち上がり、キールもよろめきながら構え直す。ミナミは顔面を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにし、声にならない悲鳴をあげている。


 透は唇を噛みしめた。

 「全員! 気を抜くな! こいつは──本物だ!!」


 しかし男はニヤリと笑い、ゆらりと後退ると、背後の空気が裂けるように開いた亀裂の中へ足を踏み入れる。


 「今日は遊びに来ただけだ。殺しはまた今度にしてやるよ、トオル」


 最後にそう言い残すと、男の体は裂け目へと消え、空間はぴたりと閉じた。


 地面には、荒い息を吐く仲間たちと、押し黙る透だけが取り残されていた。




 男が去って空間が静まり返った。まるでそこだけ、時間すら止まったかのようだった。

 しかし次の瞬間、爆発するような怒鳴り声が響き渡った。


 「オイィィィィィィ!! トオルッ!! てめぇはよォッ!! なんで今の場面で何もしねぇんだよ!!」


 ギルメザが地面からよろよろ立ち上がり、透の腰帯をぐいっと掴んだ。

 顔は泥と血で汚れ、息は荒い。それでも目だけは爛々と光っている。


 「おい! 聞いてんのか!! さっきの野郎、オレ一人でブッ倒すの無理だっつーのは見りゃ分かんだろが!! てめぇも戦えッ!!」


 透はギルメザの手を静かに引き剥がし、短く息を吐いた。

 「……無理だよ。あんなの相手にしても殺されるだけだ」


 「チィッ!! 言い訳すんじゃねぇッ!! オレだって本気出せば──」


 ギルメザがさらにわめこうとするが、近くで咳き込みながら立ち上がったミナミが、腕に巻いた包帯をぐいっと締め直した。

 ラグも左腕を、キールも額の傷を、自分たちで包帯を巻きながら顔をしかめている。


 透はその様子を見て、肩を落とした。

 「……悪かった。でも、あれは普通じゃない。お前らが戦ってた男──あいつは俺を追ってる連中の一人」


 ミナミが顔を上げる。目の縁は真っ赤に腫れて、泣きはらした跡がくっきり残っていた。

 「ト、トオルさんを追ってる……? そ、その人達って……」


 透は少し息を呑んだあと、ゆっくりと続けた。

 「“使徒”って言葉、聞いたことあるか? ……俺の中には“厄災の使徒”がいるらしい。だから、さっきの男も俺を捕まえるために動いてる。奴らはたぶん普通の人間じゃない」


 その場にいた全員が、息を呑んだ。

 ミナミは震える声で「え……」と漏らし、ラグも目を見開いて透を凝視する。

 キールですら普段より声を張り上げた。

 「厄災の使徒……?聞いた事ねぇけど…使徒が中にいるって……どういうことだよ……!」


 「や、やっぱ無理だってばぁ……!」

 ミナミが膝をついて泣き出し、髪をばさりと顔に垂らした。


 ラグも、苦痛で顔を歪めながら肩を落とす。

 「……そりゃ勝てるわけねぇわな……。あんな化け物が相手じゃ……」


 キールも眉を寄せたまま、包帯をぎゅうっと締めた。

 「オレらの攻撃なんか全部読まれてたしな……。目で追えねぇ速さだった……」


 しかしそのキールが、ギルメザを横目で見て鼻を鳴らした。

 「つーかよ、オレらよりちっせぇくせに偉そうにイキってんじゃねぇよ」


 ラグも「チビなのに声だけでかいんじゃ…な?」と小声で吐き捨てる。


 ギルメザがビクンと肩を震わせ、顔が真っ赤になった。

 「オ、オイィィィ!! てめぇらッ!! 誰がチビだって言ったァァァ!!」


 そのギルメザに、ミナミが泣きながらも顔を上げた。

 「さ、さっきだって……いちばん先に吹っ飛ばされてたくせに……!」


 「なッ……!! てめぇ今なんつった!!」

 ギルメザが青筋を浮かべ、また怒鳴り散らそうとする。


 透は一歩前に出て、三人をまっすぐに見据えた。

 「でも、俺だけ逃げるわけにはいかない。だから、みんなを巻き込んでるのは謝る。でも、どうか力を貸してほしいんだ」


 ミナミがぐずぐず泣きながら顔を上げた。

 「ムリ……ムリだってぇ……! だってトオルさんみたいな人でも戦わないような相手でしょぉ!? あたし達なんかが勝てるわけないじゃんかぁぁぁ!!」


 ギルメザが苛立ちに満ちた目をミナミへ向けた。

 「オイ、泣いてんじゃねぇよクソガキ!! テメェら、まだ根性足りてねぇんじゃねぇのか!? あんなクソ野郎一人にビビってんじゃねェ!!」


 しかし次の瞬間、ギルメザの声が一オクターブ下がった。

 「──だがよ……水がねぇとどうしようもねぇんだよ、オレはよォ……!!」


 透が呆れた目を向けた。

 「お前、さっきから文句しか言ってないだろ」


 「テメェだって何もしてねぇだろォが!!」

 ギルメザは鼻息荒くわめき続ける。

 「オレだって水さえあればあの狂った野郎なんざ水の牢にブチ込んで溺れさせてやれたっつーの!! クソがッ!! 水がねぇからできねぇだけなんだよ!!」


 「言い訳ばっかり……」

 ミナミがぽつりと呟き、泣き顔のままギルメザを見た。


 「テメェェェェッ!!!!!」

 ギルメザが青筋を浮かべ、また怒鳴り散らそうとする。


 ラグがぼそりと呟いた。

 「……とりあえず、死んでねぇだけマシだろ。今はそれしか言えねぇよ」


 透は短く息を吐いた。

 自分がすべての原因なのはわかっている。けれど、止まってもいられない。

 自分の中の“厄災の使徒”と、いつか向き合わなければならないのだから──。




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