聖堂の**奏(かなで)は、今日も清らかに歌と祈りで闇を払う。しかし、内心は宵(よい)**のことで頭がいっぱいだった。
宵に触れられた頬に走る熱と、彼の瞳の奥に見た「何か」が、癒えることのない傷のように心に焼き付いている。
このままではいけない。自分は神に祈りを捧げ、闇を払うという大事な仕事があるというのに、これでは隙だらけだ。宵のことを考えてはいけない。彼に下心を向けてはいけないと思えば思うほど、彼のことを考え、彼でいけないことを想像してしまう。
「奏様、大丈夫ですか? 顔色が優れませんが」
側近の魔法使いが心配そうに声をかけるが、奏の耳には届かない。
一方、忍び装束で顔を隠し、魔獣に跨って奏の襲撃に向かう宵は、馬を走らせながら舌打ちをした。
レグナスに付けられた頬の傷跡を指先でなぞる。痛みは感じない。しかし、その痕は宵を甘やかな熱で苦しめていた。
レグナスは指先からあらゆる種類の毒を作り出せる。それこそ機嫌を損ねれば、命を奪われるだろう。あの時、レグナスから殺気は感じなかった。その為、身を委ねたのだ。いたずらに毒を仕込まれたとしても、自分なら解毒剤は豊富に持っているし、問題はないと思った。
しかし、どういうつもりだろうか。
彼が指先に仕込んだのは、おそらく媚薬の類(たぐい)であろう。
身体が熱い。
「宵、どうした?」
隣を走る別の魔獣使いが声をかけてくる。
「何でもありません。急ぎますよ」
宵は平静を装って魔獣を走らせるのだった。
「奏様、魔獣の群れが襲ってきます!」
「またか」
よくも飽きずに毎日襲ってくるものだと奏は思った。
慌てる側近に、冷静な奏は杖を持って迎え撃つ準備を整える。
視界の悪い林の中で相まみえることになった魔獣使いと魔法使い達。
宵は魔獣を奏にけしかける。
奏は魔法で魔獣をいなした。
「いい加減にしろ、その攻撃は僕には効かない」
そう、声を上げる奏。
宵は無言で魔獣を召喚し続ける。
「一旦、話し合わないか?」
一方的に仕掛けられている奏は、致命傷を避けている。しかし、他の者を守りながらでは、無理がある。闇の勢力とも話し合いで解決することもあるかもしれない。そう思って毎回声をかけるが、相手の将であろう男は声を発することはなかった。
忍び装束で顔は全く分からない。しかし、どことなく宵に似ていると奏は感じていた。佇まい、身体のライン、そして身のこなし。あの人の面影を感じる。そのことが奏の胸をざわつかせた。
「逃げないで!」
向こうの将が口笛を吹く、撤退の合図だ。
奏は思わず宵に似た男を追いかけた。
「奏様! 深追いは危険です!」
止めに入る側近の声は奏の耳に届かなかった。
どうして追いかけてくるんだ!?
今まで追いかけられたことはなかった。
宵は困惑する。
足場の悪い林の中は罠も張り巡らされており、忍びの自分には庭のようなものだが、上品に聖堂で歌を捧げている魔法使い様には危険過ぎる。
何とか巻こうとする宵だが、相手も負けてはいない。
ペガサスを召喚し、追いかけてくる。
ああ、ほら、木々や罠に引っかかって傷が増えている。
綺麗な顔が台無しになる。
追いかけて来ないで。
「うわっ!」
「奏様!」
大きな罠に引っかかる奏が見えた。
宵は踵を返して、穴に落ちた奏を確認する。
ペガサスは驚いて消えてしまったようだ。
三メートルは高さがあるだろう。
奏は足を痛めた様子だった。
仕方なく穴に入る宵。
無言で奏の足を手当する。
「奏様と呼んだね」
奏がそう、宵に耳打ちする。
咄嗟に呼んでしまった。
「声と、その手際の良さ。そして、この瞳。間違いない。僕が間違えるわけない。宵」
顎をくいっと持ち上げられ、視線を合わせられてしまう。
しまった。言い逃れできない。
「バレてしまっては仕方ありませんね。そうです。私は宵ですよ」
「なんでこんなこと……」
「分かりますか? 光が嫌いだから。俺は闇の人間だ。あんたの歌は耳障りなんだよ。キラキラして眩しくて。目が潰れるかと思う。反吐(へど)が出る」
宵は吐き捨てるように言った。
それでも奏への手当はいつもと同じ丁寧な手つきで優しかった。
奏は頭が追いつかない。
「二度と俺の前に顔を見せるな」
宵は奏を抱えてジャンプで穴を出る。
口笛を吹くと奏のペガサスを呼び戻し、その背中に乗せてやった。
「待って、宵……」
引き留めようとする奏を見ず、宵は自分の魔獣に跨ると、走り去るのだった。