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第85話  旅のしおりは鋼の香り



 あれから、一週間経った。


 結局、まだルクラエラ旅行は未決行。

 いろいろ準備をしてたら――というより、必要なものをネットで注文していたら――だらだらと予定が延びてしまったのだ。

 まあ、もともと急ぐ旅行でもないから問題はない。ルクラエラへ行く目的は、観光3割、装備品探し4割、お導き3割といったところで、どれも焦ってどうにかしなきゃいけないようなものではなかったからな。


 さて、「異世界で旅行に行く」となると、「日本で旅行に行く!」というのとは全く事情が異なる。

 コンビニがあるわけでもないし、金があれば必要なものが手に入るというわけではないからだ。

 むしろ、手に入らない物のほうが多いくらいだろう。

 ホテル――というか宿――に付属するアメニティグッズなども、あてにはできまい。前に泊まっていたエリシェで最高級の宿でも、浴衣などは置いてなかったのだし、ルクラエラのような鉱山で働く荒くれ者の街では、最低限の物があればラッキーくらいに考えていたほうが良さそうだ。さすがにベッドぐらいはあるだろうが、風呂などは期待できまい。

 だから、そういう事も見越して準備をしなければ。

 旅先で「うわぁ、パンツの換えがない!」とかなったら最悪だしな。


「……エリシェで旅行カバンは買ったし、あとはみんなの下着類と着替え。日数分となると、案外カサバるな……。タオルと……歯ブラシと石鹸、シャンプーもあったほうがいいか。トランシーバーも届いたし、あとは……」


 午前中、屋敷の居間で旅行に持っていく品をノートにリストアップしていると、ダイニングのほうでオリカと作業していたマリナが顔を出した。


「主どの、主どの。ちょっと良いでありますか?」

「いいよ。どうしたん」


 ノートから顔を上げる。

 デへヘと頬を緩ませたマリナが後ろ手になにかを隠している。


 屋敷でのマリナは、当然ヨロイなどは身につけておらず、俺が用意した洋服ユニ◯ロや、適当に買ってきた古着などを着て過ごしており、ナチュラルに可愛い。

 洗いざらしの白いブラウスなんか着ちゃって、胸がはち切れそうになってて凄い。

 果たしてこれは狙っているのか、それとも天然なだけなのか判別は実に難しい。

 実に難しいが、別になにを着ててもこの胸のサイズだと扇情的になるのは仕方がないのかもしれない。

 すごいぞ! 乳袋は本当にあったんだ!


「主どの、ついに完成したので見てほしいのであります。じゃ~ん」


「じゃ~ん」と古臭くマリナが見せてくれたのは、先週使い道が決まったレースを材料にして、編み上げられた花と月をモチーフにしたコサージュだった。

 つまり騎士隊の「記章」である。

 記章のデザインは各人にお任せで、胸にコサージュみたく付けようという話になっていたのだ。どうやら、マリナはオリカと一緒にこれを造っていたらしい。


「おお! きれいにできてるじゃん。マリナって案外器用だよな」


 そう。

 マリナはドジッ子くさい属性を匂わせてるくせに、けっこう器用なのだ。店で布の裁断もきれいにこなすしな。


「ちゃんと花と月になってるし良い出来だ。俺は外注に出しちゃったけど、これならマリナに頼めばよかったかな。職人とはいえ、おっさんが作ったのより、マリナの手作りのほうがいいし」

「そっ、それなら主どのの分も作るであります!」

「いや、もう注文しちゃってるからなぁ。嬉しいけど。そんじゃ、なんだったらディアナの分を作ってやってくれ。どうせ、あいつ不器用だから、10分くらいやって放り投げただろ」

「……姫の分はすでにマリナが半分ほど作ってるであります」

「そ、そうか。……まあ、それも従者の仕事だよ……。たぶん」


 とっくに放り出していたようだ。期待を違わぬ残念エルフよ……。


 ちなみに当のディアナ姫は、庭で日光浴ならぬ精霊浴をしている。

 旅行の前にたっぷり精霊力を蓄えておかなきゃということらしいが、どう見ても昼寝をしているようにしか見えない。

 ムニャムニャと気持ちよさそうによだれまで垂らして――絶対昼寝だよコレ!


「それでは姫の分も完成までがんばってくるであります」

「おう、がんばれ! でも昼過ぎには出かけるからな」

「了解~」


 さて、俺も持ち物をちゃんと決めちゃわないとな。

 ディアナとマリナの分も俺が用意しなきゃだし……な。

 なんか、自分以外の旅行のもの(パンツとか!)を用意してるのって、奴隷とご主人様ってより、なにか別のもののような感じがあるね。

 ま、二人とも俺のお姫様だよ!





 ◇◆◆◆◇





 ルクラエラに行くにあたり、トランシーバーと鋼材を取り寄せた。


 トランシーバーは、ディアナの精霊通信がエルフ同士の限定的な通信手段といえど、やはり便利で、ならばやはり通信は重要ということで用意してみた。

 携帯電話やPHSと違い、トランシーバーならば異世界でも問題なく使用できるだろう。たぶん。

 トランシーバーは二つ注文した。日本では違法となる周波数にも繋げてしまう海外製が安かったので、それを。

 異世界で違法周波数もヘッタクレもないからな。


 あまり詳しくはないが、ラジオ局のチャンネル周波数が決まっているように、こういった無線機器には「使用して良い周波数」が決められているのだそうだ。普通は「使用してはいけない周波数」、例えば、緊急通信用周波数などには繋げられないように作られているのだ。

 だが、それは日本製か、認可された海外製の話で、ネットで売られている並行輸入品などはその限りではない。日本では違法、というか即逮捕となる周波数にも余裕で繋げてしまう。

 その代わりというか、性能に対して値段がやたら安い。一概には言えないだろうが、4分の1くらいの値段だろうか。


 しかし最近の? トランシーバーはすごい。

 送受信範囲なんて、せいぜい数百メートルくらいかと思っていたら、59キロメートルほどカバーしてるとか(カタログスペック値だから眉唾だが)。

 少なくとも、緊急用でエトワに持たせておけば、屋敷とエリシェくらいなら交信できるだろう。使い勝手がよければ、複数個そろえてもいいな。

 電池でOKというのも心強い。



 鋼材は、そのまんま、鋼の板材である。


 鉱山街ルクラエラは、鍛冶の街としても有名らしい。だからこそ、装備品を手に入れる為に行くのだ。良い物があったら、エリシェで店でもやるのかってくらい買い付けても良いし、オーダーメイドで作ってもらってもいい。刃物好きの心をくすぐりまくりである。

 だが、せっかく行くのだから、材料をこっちで用意して作ってもらうのもまた一興と俺は考えた。日本の製鋼技術は世界一。異世界の魔法金属にはかなわないかもしれないが、普通の「鋼」という分野では絶対に負けないだろうからな。

 玉鋼は手に入らないが、それに近い鋼は普通に手に入るのだから……。


 ところで、最近は異世界に夢中でやっていないが、俺の趣味はナイフ作りだ。

 ナイフ作りと聞くと、難しいものと思う人も多いかと思うが、実際にはそれほど難しいものではない。

 ……いや、厳密には作り方によるか。

 一般のカスタムナイフ愛好者の作成方法では、それほど難しくないというのが正しい。


 我々の行う作成方法は、近代ナイフの父と言われる、R.W.ラブレスが生み出した、ストック&リムーバル法というものだ。

 これは一言で言えば、鋼の板からナイフを削り出すという作り方で、極端な話、材料とヤスリさえあれば作れる。現在でもカスタムナイフビルダーの9割以上が、この方法でナイフをせっせと削りだしている最も普及した方法だ。

 日本人が「刃物を作る」と聞くと瞬間的に思い出すであろう、刀鍛冶がハンマーで鉄を叩く光景、すなわち「鍛造」は、ナイフ作りでは基本的に目にすることはない。

 もちろん、その技法で作るナイフもあるが(一般的に和ナイフと言われている)、素人ができるようなものじゃない。刃物好きとしては一度はチャレンジしてみたいものではあるが。


 で、まあそういう趣味があり、カスタムナイフ仲間の中学時代の教師のツテもあり、鋼材を比較的安価に手に入れることができる環境にあるのだ。

 なので取り寄せた。普段使わないような、鍛造用の鋼材を。


 さすがに剣を数本作れるだけの鋼を注文したのは、やりすぎだったかもしれないが、後悔はしていない。

 だって、忘れがちだけど、鍛冶師の天職もあるし、あこがれの鍛造を自分でやれるチャンスかもしれないんだからな!


 さらに、旅行先が鉱山ということでマスクと飲料水のペットボトルを薬局で買っておいた。

 原始的な方法で採掘と精製をやっているというと、いかにも公害が厳しそうだからだ。


 今回買ったマスクは簡易マスクだが(いちおう活性炭入り)、あんまりヤバそうだったら長居はしないほうが良いかもしれない。

 製鉄の為にバンバン木炭だの石炭だの焚きまくり、粉塵だの粉塵だの大気中に漂いまくりじゃあ、健康被害で命がヤバい! になりかねない。

 なんなら簡易マスクでなく、もっとプロ仕様みたいのでもよかったかもしれないな。


 水は、さすがに飲料水として川から水を汲んでくるということもないだろう。井戸水まで汚染されてるってことはないと信じるしかない。

 ――だが、やっぱちょっと心配なので2リットルのを5本ほど用意しておいたのだ。

 どんどん荷物増えちゃうな。


 ちなみに、ちょっと調べたんだけど鉱山の排水による水質汚染はかなりヤバイ類のものが多いらしく、ちょっと本当に心配。

 宿は絶対に『水瓶』があるところにしておこう……。

 なんなら自分で『水瓶』を買ってもいいな。

『水瓶』ってのは、水が無限に出てくるマジックアイテムのことで、高級な宿屋とかに置かれている。最初のころ泊まっていた宿屋にはあったが、そこ以外では見たことがない。かなり高価な品なのだろう。


 それ以外では、こないだの魔法の地図クエストの報酬である、ゴールド。すなわちピュセル精霊貨の換金をした。

 換金は商工会議所で、シェローさんに委託した。

 俺が持って行くとなると怪しすぎるが、シェローさんなら「見たことのない変わったモンスターが出て、苦戦したが倒したらこれが出た」で通る。実際、それで大きく間違ってはいない。

 ギルドのトビー氏はだいぶ胡散臭そうな顔をしていたそうだが、換金には応じてくれたものだ。

 しかも、額がデカいからと精霊石で換金してくれた。これはうれしい。


 精霊石はおよそ金貨20枚の価値があるので、金貨の代わりとして、というか、事実上の貨幣として扱われるケースもよくあるのだとか。

 どちらにせよ精霊石は買おうかと思ってたんで、ちょうどよかった。


 ピュセル精霊貨5枚、金貨で250枚分。

 これを、精霊石10個と金貨50枚に換金することができた。

 最初、ピュセル精霊貨は3枚だけ換金して、2枚は残そうかとも思ってたがやめた。

 精霊石に換えれるなら、それに越したことはない。



 オークションは、ひとまず商品をすべて引き上げておいた。旅行中も出しておこうかと思っていたが、質問に対しても返答レスできないし、どうしても誠意に欠きがちになるからね。


 エリシェの店は先週から、<来週は休みます>と張り紙を出しておいたので問題ないだろう。

 旅行はもちろんエトワも連れて行くし(社員旅行だからね!)、親御さんの了承もとっておいた。

 弟子とはいえ、まだ13歳の子供だからな。


 あとは、ルクラエラまでの移動手段だが、自前の馬で行くには人数に対して馬の数が足りない。

 うちに3頭、シェローさんのとこに1頭。

 旅行にはシェローさんは行かないので、馬に乗ってっちゃって良いものかどうかという問題もある。

 いずれにせよ4頭じゃあ、何人か2人乗りしてかなきゃならない。ルクラエラは近いが、それでも無謀くさい。

 まあ、これはレベッカさんと相談するか……。


 そうして、旅行の準備は地道かつ着実に進んでいった。

 旅行って計画して準備してる時が一番楽しいよなー。





 ◇◆◆◆◇





 次の日、いつもどおりの戦闘訓練を午前中いっぱいこなした。


 旅行は明日から2泊3日の予定。

 訓練納めというのは大袈裟だが、熊モンスターとの戦闘があってから、全員、訓練のモチベーションが上がっている。

 そうでなくても、そろそろヒトツヅキのシーズンなのだ。

 俺もシェローさんに手伝いを頼まれているし、やるからにはモンスターに遅れをとるわけにはいかない。


 エレピピもほとんど毎日訓練に参加している。

 筋肉痛にならないのかな? と思ったが、考えてみたら俺の時も天職による効能か筋肉痛にはならなかったのだし、きっと平気なんだろう。

 5倍効率なのに筋肉痛なんかになってる暇ないでしょという大精霊さまの配慮なのかもしれない。


 訓練後のランチタイム。いつもの気楽な雑談だが、やはり話題はルクラエラのことが多くなった。


「いやぁ、ルクラエラでは鍛冶が盛んだって聞いたんで、刃物用の鋼材仕入れちゃいましたよ。持ち込みの素材で剣とか打ってくれるんですかね?」


「鉄鉱の街に遊びに行くのに、わざわざ材料用意してくのー?」


「ええ。まあちょっとしたロマンを果たしに……。ドワーフさんの鍛冶技術はかなりのものでしょうし」


 天職がある世界だからな。日本の職人がなんぼすごいと言っても、5倍効率で修練した奴にはなかなかかなうまい。


「ジロー、あそこのドワーフは新規の客に剣を打ってくれるかはわからんぞ」


 と、シェローさん。

 なんと。聞き捨てならない話。


「ルクラエラはいちおうは国営の山だからな。廃鉱や新しい鉱脈なんかは、開かれてるとこもあるんだろうが、基本的には採掘も精錬もむこうの役人が仕切ってるはずだぞ。当然、ドワーフも腕の良い職人は御抱えだろう」


「そ、そうだったんですか……?」


 うわぁ、いきなり頓挫した! 安くない額の鋼材を、片手じゃ運べないくらいの量買ってしまったのに!


「誰かの紹介があれば別だろうがな。トビーのとこで聞いてみるか?」


 トバイアス氏はちょっと……。

 うーん、……困ったな。


「他には……。そうだな、ひょっとすると、ミーカー商会の親父が紹介してくれるかもしれん」


「ミーカー商会というと、ずっと前に僕のナイフを買ってくれた、あの?」


「そうだ。あそこはエリシェの鍛冶屋の他に、ルクラエラの鍛冶師とも付き合いがあったはずだからな。俺の剣の鍛え直しを頼んだ時も、ルクラエラでやったと言っていた。特に腕の良い職人がいるようだな」


「いいじゃない……」


 腕の良い職人!

 我々、物欲ボーイズがついつい心曳かれちゃうフレーズである。「職人謹製のオーダーメイド一点物」とか言われれば、それだけで無条件降伏したくなる魔力があるのだ。


 ということで――

 食後は店に顔を出す前に、ミーカー商会へ突撃することになった。




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