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第126話  夢より遠い世界



 いよいよパレード当日。


 俺は、後のことをレベッカさんに任せ、日本に一度戻った。法事に出るためだ。

 正直こんなもんに参加したくはなかったが、仕方がない。用事があると親に言ってみたところで、上手い言い訳も思いつかん。

 もうすぐ家を出るつもりだし、ここは無難にクリアしておけばいい。法事に出てもパレードには時間的に間に合うしな。

 というか、日本じゃないんで、そこまで時間に厳密じゃあない。というか厳密な時計が存在しない。


 法事は問題なく進み、仕出し料理を食べて解散となった。

 会食中はいつものことで「就職はどうした」だのなんだのチクチクと親戚に言われたが、俺はあまり気にしなかった。俺には就職よりも大事なものがある!


 法事が終わり、親戚と長話しを始めてしまいなかなか帰りたがらない母親に焦れながらも、なんとか急いで家に戻った。

 急いで着替え、鏡を抜けて馬を走らせエリシェへと向かった。

 現在、午後の一時半。

 かなり遅れてしまった。仕出し料理なんて食ってる場合じゃなかったのだが、途中で抜けられる感じでもなかったのだ。


「急げ急げ……!」


 屋敷からエリシェまでは、馬を急いで走らせれば十分から十五分程度で着く。

 パレードには十分間に合うし、みんなに一声掛けるくらいはできるだろう。

 そしたら今度は先回りして、会場のほうで司会をやる準備をしなきゃならない。


 いや、準備はほとんど終わってるから、主に心の準備だな。

 ミルクパールさんとも、最終打ち合わせをしておきたい。

 だいたいのスケジュールは話してあるけども。


 そんなことを考えながら、走り慣れた道を駆る。

 乗馬もずいぶんと上手になった。

 これなら、日本でも履歴書の特技の欄に「乗馬」と書けるだろう。この先、履歴書を書く機会があるとも思えないが。



「やあやあやあ、ちょっといいかい?」


 もう少しで、エリシェの入り口が見えてくる――というところで、見覚えのある派手な男に呼び止められた。


 忘れたくても忘れられないムスクの香り。

 ポッチャリ体型と貼り付けたようなニヤニヤ笑いが特徴的な商人。


 ディダ・バルバクロである。



 ◇◆◆◆◇



 途中から遠目に気付いていた。遠回りしようかとも思ったが、時間はギリギリ。

 無視して通りすぎるという手もあったが、どうやらポッチャリ商人ことディダは自慢の奴隷戦士を連れていないらしく単身。

 というか、ヘティーさんの話では、なにかを仕掛けてくるとしても絡め手で来るだろうという話だったが……? 


「やあやあ、久しぶりだね。私のことは覚えているかな?」


 一見フレンドリーに話しかけてくるポッチャリ。

 一体何の用だ? まさか、こんな直接単身で待っているというのは想定外だ。 

 絡め手でなにか仕掛けてくるかもしれないという話だったが。……いや、そうだとしてもその目的が不明だ。


 もともと、ソロ家は「ディアナのお導き」をサポートして、それを達成することによって獲られる「エルフ族の至宝」、確か「降誕の明星ジ・アルケミー」とかいう宝物が欲しいという話じゃなかっただろうか。

 このポッチャリ商人がどこまでソロ家と繋がっているのかはわからないが、そもそも、こいつはソロ家のディアナサポート係として立候補した――という話じゃなかったっけ。

 じゃあ、その話をしにきた? いや、ヘティーさんがわざわざ忠告しに来てくれたんだし、なにか悪いことを企んでいるのは間違いないだろう。


 まあ、何の用だったとしても、ここはエリシェの街の入り口だ。

 当然、人通りも多い。立ち話するような場所でもないが、さすがにここなら白昼堂々、襲ってきたりすることもないだろう。

 最悪襲われても魔剣だってある。そうそう簡単にやられるつもりもない。

 時間的にも、30分くらいなら大丈夫だろう。むしろ、ここでこいつをスルーしたほうが後が怖そうだ。


「お久しぶりです、ディダさん。どうしたんですか? こんなとこで」

「んっんー、実はパレードの話を聞いてね。騎士たちが待機しているところを見かけたが、あのドラゴンには驚いたな」

「ああ、騎士隊を見たんですね。でも、まさかパレードをただ見に来たってわけでもないんでしょう?」


 すでに待機している騎士隊は見たらしい。イオンとヘティーさんは、しっかりと鉄仮面を付けて、顔を隠している。ディダの様子からいって、ふたりに気付いた可能性はなさそうだ。

 イオンはさらに髪染めで髪の色まで黒く染めているんで、万全だろう。

 おそらく、ディダが来たことには騎士隊の誰かが気付いただろう。もし、別働隊があったとしても警戒して当たってくれるはずだ。


「もちろん、君に用があって来たのさ」

「俺に?」


 俺にか。じゃあ、俺がパレードの間、足止めしておくというのも手かもしれないのか?

 イオンとの話を考えれば、ここで捕らえたり殺してしまうという選択肢もチラリと脳裏によぎるが、俺には無理だ。 


「前にはあんなことがあったけどね、今日、君の騎士隊を見させてもらって、考えを改めたのだよ。私もこれでも商人だからな。君はこれから商人として、デカくなるだろう。ならば早めに仲良くなっておいたほうがいいとね。どうやらディアナ姫ともうまくやっているようだしな」


 まさかの手のひら返しか? 

 商人としての実利を取ったということなんだろうか。


「……なんか企んでるんじゃないですか」


 俺は馬から降りて言った。

 嘘かもしれないとはいえ、歩み寄ろうという相手に対して馬上からでは話にならない。

 もちろん、警戒は解いてはいないが。


「まさか。こう見えても私はバルバクロ大商会の主。そんなセコい真似はしないさ。わざわざ、護衛の奴隷も置いてきたし、それに……お近づきの印に、うちの商品をひとつ持ってきたのだよ」

「商品?」


 ヘティーさんの話ではディダは武器商人らしい。

 ソロ家と提携し、戦争特需で莫大な利益を得たとかなんとか。そのディダが持ってくる品だ。当然なんらかの武器だろう。

 まさか、その武器でいきなりグサーっとやってくるのか? 

 うーむ……。実に信用ならない。

 念のため、いつでも動けるように身構えておこう。


「ああ、偶然手に入れたものでね。まあ、とにかく見てくれたまえ」


 そう言いながら、傍らのでかいスーツケースを地面に置き、開く。

 中には、水色の髪をした美しい少女が――


「ひぃ! 未成年者略取!」

「落ち着きたまえ。これはね、古代精霊文明時代の遺物。オートマタというものだ。人形だよ」

「人形……?」


 確かに関節部分が球体だ。

 顔も作り物のように美しいが、実際に作り物ということか。


 現在は膝を折って眠っている。いや、人形なんだから眠っているというのも変だろうか。

 とにかく、動いてはいない。全長は一二〇センチ程度だろう。エトワよりも小さそうだ。


「これをくれるっていうんですか? お近づきの印に? 貰えませんよ、こんなの」


 精霊文明時代の品ってことは一〇〇〇年前のもの。

 それでこの出来の人形となれば、たぶん国宝級だ。お近づきの品として渡すには、お宝過ぎる。

 絶対裏あるよ!


「ふむ。タダで贈る品にしては高価すぎると思ったのかもしれないが、君は自分の価値をもっと考えたほうがいいな。ハイエルフに魔族、ドラゴンに、怪物ジャガーノート。これだけの力を手中に納めている者など、そうはいない。それも、この短期間でだ。君とはいざこざもあったし、それを修復するためなら、この程度の品なんて安いものだよ。とにかく、動かそう。このオートマタが動いているところを見れば気が変わるさ」


 なるほど、確かに関係を修復するなら、これぐらいの品でなければ俺の心が動くことはないかもしれない。

 ベテラン商人として当然の行動……ということなのだろうか。

 単身で出てきたのも、誠意を見せる形ってことなのか?


 ってことは、俺がこれを受け取ってしまったら、これまでのことは水に流さなければならない……ということなんだろう。

 物欲が刺激されるのは確かだが、さすがにディダとはもう無理だろ。

 イオンの件もあるし、どういう人間なのかバレすぎている。


 しかし、帝都の大商人から見てもうちの騎士隊は規格外なのか。

 ディダは幸い気付いてないようだが、「将軍」で「聖騎士」の元皇女のイオンも、死神ヘティーさんもいるのだ。

 ちょっとインパクトがあればいいなー、というくらいに考えていたけど、想定してたよりも影響あるのかも。


「オートマタの動力は魔結晶と精霊石だが、これだけで一ヶ月は動く。今の君ならば、出せないものではないだろう。魔結晶も精霊石も」


 言いながら、ディダは懐から精霊石と魔結晶を取り出し、オートマタの背中のフタを開き装入した。

 オートマタの少女がゆっくりと瞳を開く。

 不思議な光をたたえた赤い瞳。


「あとは、主を認識させるだけだ。髪の毛を一本貰うよ」


 瞳を開いたオートマタのそのなんとも言えない愛らしさについ気を取られていると、ディダが図体に似合わない素早さで俺の髪の毛を数本抜いてきた。

 ハッとした時には遅かった。油断していたわけじゃないが、一瞬オートマタに気を取られてしまった。

 オートマタは、赤い瞳を輝かせボンヤリとこちらを見ている。かわいい。


「このオートマタは、この状態では動かないんだよ。主になる人間の髪を食べさせることで、その人間のことを主と認識し護るようになる。つまり守護人形だな。見た目も可愛いだろう?」


「そりゃ可愛いですが……」


 くれるってんなら欲しい。

 だが、引き換えにするものがデカ過ぎる。

 しかし、この野郎。ピンポイントで俺が欲しがりそうなもん持ってきやがって。

 これが、歴戦の商人の手練手管ということなのだろうか?

 まあ、もらわないけどさ。


「それに、この子は強いんだよ。さすが精霊文明時代の遺物アーティファクト。なんと、精霊加護を無効にする力が備わっているのさ。いわゆる、精霊石による付与効果を全部無視できる」


「ちょっと、そんなこと聞いてませんよ! もらうつもりはないって――」


 俺がそう言うと、ディダの顔が醜く歪み、


「ヒッハハハハハハハハハ!」


 甲高い笑い声が釣り上がった口角から漏れだした。


「クックククク。……まったく。お前なんかに、そんな良いものをやるわけがないだろ」


 ディダの態度、雰囲気が激変。

 さっきまでの、どこか人懐っこいと言ってもいいほどの柔和な雰囲気から一変し、瞳には冷酷そうな光を宿した男がそこにいた。


「ふ、ふふふ。しかし君には驚かされる。騎士隊、女騎士隊とはね! 私の奴隷も悪くはないが、やはり華やかさに欠ける。それを思うと、君の騎士隊は実に雅だ。悔しいが、そこは認めざるを得ない。それに、ドラゴンなんてどこで手に入れてきたのか。あれも、エルフの里で貰ったのかい? それにあの怪物……伝説の傭兵団『緋色の楔スカーレット・ウェッジ』副団長シェロー・ロートを手懐ける手腕。正直、驚いたよ。それに――」


「な、なにを言ってんだ……? あんた……」


「ふふふ、前にも言わなかったか? 言ってなかったか、どうでもいいが、お前があれだけのものを手に入れられたのは、ハイエルフとエルフの里あってのものだろう? それを全部、私が引き継いでやろうというんだよ。なに、あのハイエルフも悪いようにはしないさ。なんなら、私の愛人にしてやってもいい。ああ、あのターク族はいらないから、すぐに後を追わせてやるよ。まったく、前にも一度君を始末しようとしたんだがな、あの時は失敗したが――」


 邪悪に微笑むディダ。

 野心で膨れた赤ら顔で、口角から吐息とも笑い声ともつかない音が醜悪に漏れ出す。


「前にも……ってどういうことだ」


「ん? ああ、街のゴロツキを雇ってね。襲わせてみたんだがね。上手くいかなかったようだ。ふふふ、どうも人を使うのは上手くいかんな」


「ゴロツキ……」


 ずいぶん前に確かに三人組のチンピラに襲われたことがある。

 アレを裏でこいつが手引きしてたってことなのか?


「こんな人通りの多い往来で、あんたもただじゃ済まないぞ」


「んっん~? 人通りが多い? そうかな?」


「なにを……」


 見渡すと、確かに誰もいない。

 いつもなら、絶えず人の出入りがあるエリシェ入口近くの街道であるにもかかわらず。

 単身のディダ。

 いつも傍にいるはずの奴隷の姿がない。

 つまり――


「ま、死人に口無しでどうにでもなるがな。いちおうは人払いくらいはするさ」


 ディダがオートマタの口に俺の髪の毛を運ぶと、虚ろな赤い目で真っ直ぐ前を向いていた少女がペロッと舌を出し、それを食べた。

 むしゃむしゃと可愛く口を動かし咀嚼し、真っ赤な瞳の焦点が俺に向けられる。

 そして、ゆらりと静かに立ち上がる。


「さっきは、髪を食べた相手を主と認識するなんて言ったがね。あれは嘘だ。実は、『抹殺対象』を識別する為なのさ。ふふふ、護衛がいたら多少面倒だったが、君がバカで助かったよ。じゃあな」


 俺が身構えるよりも早くオートマタは動いた。

 いつの間にか手には光る剣が握られている。


 俺はほとんど対処できなかった。

 それほど前触れなく素早い動きだった。

 オートマタの見た目に対する油断もあった。

 なんだったら真実の鏡を使って鑑定しようとしていたのがアダとなった。


 体当たりでもするかのように、迷いなくぶつかってきたオートマタの凶刃が、体内に深く突き刺さるのを感じる。

 オートマタはただ真っ直ぐ前だけを見ている。


「うっ……ぐ」


 攻撃を受けた胸が焼けるように熱い。

 俺はオートマタを引き剥がし、蹴飛ばした。

 少女は驚くほど軽く、地面を転がっていく。

 オートマタの白いワンピースが、真っ赤に染まっている。


「ふはははは! この子の武器はね。暗殺用の特別なもの。凶器は残らない。後は私に任せてゆっくり眠ってくれたまえ。はっはははは!」


 そして、そのまま立ち去ろうとするディダ。


「……ま、まてよ……!」


 叫ぶつもりで吐いた言葉は、しかし、かすれるほどの小声にしかならなかった。

 自分の身体ではないかのように、力が入らない。


 胸からとめどなく溢れ出す赤く熱い液体。

 命そのものが身体から抜け出ていくかのように、一刻一刻と大切なものが失われていく実感に襲われる。


 まだ、こんな所で死ぬわけにはいかない。

 パレードだって見ていない。


 そんな気持ちとは裏腹に、身体からは急速に熱が失われていく。


「…………う、うそだろ」


 力が抜け落ち立っていることもできず、地面に崩れ落ちる。

 抗うことができぬ、絶対的なナニカに身を任せることしかできず、俺は大地に横たわる。

 ただ虚ろな瞳で興味がなさそうに俺を見続けているオートマタ。

 どうやら、標的が死にきるまで観察するつもりらしい。

 まったく見上げたプロ根性だ。……くそっ。


 ……そして、俺は死んだ。




 ◇◆◆◆◇




 どれぐらい時間が経っただろう。

 数秒のような気もするし、数時間のようにも感じる。


 左腕が熱い。

 そして、その熱が全身を駆け巡り、優しく俺を包みこんでいくのがわかる。


 血に、身体に、熱が通い始める。 

 その温もりと共に、意識が鮮明になってくる。

 なにが起こったのかわからないが、身体が動く。


 恐る恐る目を開くと、驚愕にわななくディダと、不思議そうに俺を観察するオートマタと目が合った。どうやら、ほとんど時間は経っていなかったらしい。


 俺は死んだんじゃなかったのか? 

 オートマタの刃は、正確に俺の胸を貫いたはずだ。


「ふ、ふふふふ……! まさか、まさか!」


 ディダが額に手をやって驚きを隠せずに頭を振る。


「まさか、復活の腕輪とはね! 古代精霊文明時代の秘宝中の秘宝。そんなものまで持っているとはな! ますます欲しくなったぞ!」


 ディダが喚く。

 復活の腕輪? そんなのしてたっけ――


 ――これ、差し上げるのです。元気がでるおまもり。

 ――この腕輪は我が家にずっと伝わっているもので、持ち主の健康を護ると言われているお守りなのです。


 あ、そうか。ディアナからもらったお守り。

 あいつの腕輪バングルをひとつもらったんだっけ。

 腕輪の効果については、ディアナがご利益がなくなるというので、そのまま気にせずアクセサリーとして使ってたけど、ディダがあれほど驚いているくらいだ、よほど珍しい品物だったんだろう。

 持ち主の健康を護る――って。まあ、確かに健康護ってるけど。


「オートマタ! 今度こそ殺しきってこい!」


 ディダが、オートマタに再命令する。

 首を傾げて、不思議そうに俺を見詰めていたオートマタの手に新しい光る剣が出現する。


「二度もやられるかよっ!」


 俺は立ち上がり、剣を抜いた。

 身体は驚くほど万全だ。刺された場所のキズも塞がっている。おそらく、ディアナの精霊魔法のようなものなんだろう。

 さっきはあまりに突然の攻撃で対応できなかったが、もう簡単にはやられはしない。

 ディアナに救われた命だ。もう、そう簡単にやられはしない!


 オートマタの瞳がギラギラと赤く輝く。

 両手に持った光の剣を軽く振り、跳躍し襲い掛かってくる。

 射程は俺の剣のほうがずっと上だが、オートマタはその小さい身体の利点を使った、すばやく手数の多い攻撃を、自分の身体が傷つくことをいとわず実行してくる。

 ものすごい手数で攻撃を振るうオートマタ。


「くそっ、強い!」


 攻防一体の連撃。わずかな傷で動きが鈍る人間相手の戦い方を熟知した動き。

 人間の身体は全身が弱点だ。生身の部分はどこを傷つけられても、致命傷になりうる。

 そのうえ、相手は疲れ知らず痛み知らずだ。魔石や精霊石が動力源ということは、モンスターと同じようなメカニズムなのだろう。

 モンスターは近くの魔力へと向かってくる習性がある。その習性の対象が、髪の毛を食べさせることにより俺へターゲティングしているのだろう。

 はっきり言って相性が悪い。

 無機物のオートマタ相手では、俺の魔剣もほとんどアドバンテージがない。


「おらぁああ!」


 攻撃をしのぎきり、思いっきり蹴飛ばす。

 オートマタの弱点のひとつは、多分その身体の軽さだろう。

 俺程度の蹴りでも、数メートルはすっ飛んでいく。


 俺はこの隙に、走り出した。

 逃げるしかない。

 なまじ戦闘訓練を積んでいるからか、勝てるかどうか何合か剣を合わせればわかる。わかってしまう。

 俺の腕、俺の剣ではこのオートマタは倒せない。


 だがどこへ逃げればいい? 一番安全なのはどこだ?

 みんなのところへ逃げるのは論外だ。

 今は一世一代のパレードの最中。

 邪魔をするわけにはいかない。水を差すことになるし、彼女たちでもこれを倒せるかどうかはわからない。

 いや、ヘティーさんやシェローさんなら倒せるだろう。

 だが、そう都合良くいくとは思えない。まして、今は騎士隊のまわりは人だかりだろう。彼女たちに助けを求めるのは無理だ。

 それに、せっかくのパレードなのに街でパニックを起こす原因になってしまう。騎士隊のイメージも悪化するかもしれない。


 俺は、とにかくどこかに行かなきゃという思いで、屋敷の方に向けて走りだした。

 馬は置いていく。俺の乗馬の腕では、普通に走ったほうが速い。落馬の恐れもある。

 今は、シェローさんの知り合いがシェローさんの家に詰めてモンスターの監視をしているはずだが、その人も普通のハンターという話だ、頼るわけにはいかない。

 やはり、屋敷まで逃げるのが一番か。


 屋敷なら結界がある。モンスターは入ってこられない。

 屋敷までは約二キロほどもある。が、屋敷に着いてしまえば勝ちだ。

 このオートマタは俺だけをターゲティングしてるようだから、燃料切れまで隠れていればそれだけでやり過ごせるはず。

 いや、俺だけをターゲッティングしているのだから、誰かに倒して貰えばいい。

 屋敷からでもトランシーバーで電波状態さえよければ仲間と連絡できるだろう。


「はぁはぁ……! しつこい……!」


 全力に近いペースで走りながら後ろを振り返ると、当然というかオートマタが追いかけてきている。さすがに、ディダは追いかけてこないようだ。

 あいつがパレードでなにをするのか気になるが、今はそっちの心配をする余裕はない。みんなに任せる以外ない。

 オートマタは素早いといっても、体型は子どもだ。速く走れるというわけではないようで、このペースでいけば逃げられそうだ。

 そう、屋敷にさえ入ってしまえば…………!


 屋敷が見えてきた。振り返ると、オートマタは数十メートル先。

 逃げ切れる!


 俺は森の入り口から、倒れこむようにして、屋敷の敷地、結界内に入った。

 オートマタは入ってこない。どうやら……逃げ切れたようだ。

 這いずるようにして、庭まで入り、へたり込む。

 さすがにこれだけの距離を全力疾走するのはキツかった。心臓が爆発しそうだ。

 ……って、屋敷だったらクランの指輪の力でテレポートできるんだった。

 くそっ、焦ってたんだな、いまさら思い出すなんて。

 いや、テレポートはテレポートするまでにかなり時間がかかる。どのみち無理だったか。


 しかし、ディダめ。あんな野心を隠してやがったとは…………。

 ていうか、すでに大金持ちのはずなのに、留まる事を知らない野心家だ。

 一体人生になにを求めてるんだか…………。

 そんなことを考えながら座り込んで休んでいると、突然地面が揺れた。

 ガンガンと、なにか硬いものと硬いものが打ち合わさる音が聞こえる。


 そして、パァンという音と共に、なにかが破壊された。

 なにか大切なものが破壊されてしまった感触。肌で感じる空気がいままでと違うものに変質する。


 そして、目には見えないそのなにかを破壊した張本人が、現れる。

 チキチキチキと、俺へと真っ赤な目を照準する水色の髪の少女。オートマタ。


「うおおお! マジか、こいつ。結界を破壊しやがった!」


 俺は叫び、立ち上がり、屋敷に逃げ込んだ。

 まさかの結界破壊。

 ディアナが言うには、人避けの結界は認識自体が難しいから破壊される可能性は低いという話だったはず。だから、逆に認識さえできれば破壊も容易いということだったのだろうか。それとも、あのオートマタが規格外なのか。


 結界を当てにして逃げ込んだのに、これでは自ら袋小路に逃げ込んでしまったようなものだ。

 背中に冷たいものが伝う。

 俺はあいつに一度殺されている。愛らしさすら感じる赤い瞳が俺を見詰め続けている。


 ……もう鏡から向こうへ逃げるしかない。さすがに鏡は抜けられないはずだ。

 人間の殺人者が相手なら、鏡は絶対に秘匿しなければならないが、オートマタが相手なら俺が消えたようにしか映らないだろう。

 俺がこの世界から消えれば、ターゲットが消えたと判断するはず。

 問題は向こうへ逃げたあと、鏡の部屋でオートマタがターゲット消滅でフリーズするであろう状況で、どうやって異世界に復帰するかだが、今はそんなこと考えている余裕はない。


「くそっ! ついてくんな!」


 俺は悪態を吐いた。

 オートマタは無感動な瞳で、俺をまっすぐに見据えながら一直線に俺を殺しに向かってくる。

 もう、身代わりになってくれる腕輪はない。 

 屋敷に逃げ込んだ俺は、焦りながら屋敷の玄関扉を閉めた。

 これで少しは時間が稼げるだろう。


 だが、すぐさま近くの窓を破る衝撃音が聞こえてきた。

 オートマタが窓に飛びこむようにして、屋敷に侵入してきたようだ。

 コツコツと硬い足音が聞こえてくる。


 幸い、窓があるほうは地下室とは逆方向だ。

 俺は急いで地下へ降りた。

 木製扉は重く、オートマタがすぐそばまで迫っている状況では、これを閉める余裕はない。

 だが、とにかく鏡の中にさえ入ってしまえばいいのだ。

 あと三メートル。

 二メートル。

 一メートル。


「ぎりぎり、セーフだ!」


 俺が鏡へ飛び込むのと、俺を追いかけてきていたオートマタが、その手に持った光る剣を投げるのはほぼ同時だった。


 鏡から自室へ飛び込み、とっさに振り返る。

 せまる光る剣。

 物品は相互に行き来する。だが、この光る剣はどうなのだろうか。

 わからない。

 俺は、とっさに防御しようと、手元にあった売り物用のシーツを構えた。


 ――それに、この子は強いんだよ。さすが、精霊文明時代の遺物。

 ――なんと、精霊加護を無効にする力が備わっているのさ。

 ――いわゆる、精霊石による付与効果を全部無視できる。



 ガシャン


 俺は前面に構えたシーツの影から――

 その破滅の音を聞いた。




 ◇◆◆◆◇




「…………え?」


 目の前の出来事に頭がついていかない。

 枠だけを残し、バラバラに割れ、砕け散った鏡。

 たった一つしかない、唯一無二の、異世界と行き来できる魔法の鏡。


「は…………」


 吐息が漏れる。

 みんなの顔が頭に浮かんでは消える。

 自分たったひとりの、自分の部屋。

 地球の、日本の、自分の部屋。


「………………う……」


 鏡はただ、そのまま。

 割れて崩れたまま。

 決して、魔法の力で勝手に元に戻ったりはしない。


「…………う……うそだ……ろ……」


 割れた鏡で不用意に指を切り、血が滴り落ちる。


 現実だった。


 鏡は割れた。

 割れてしまった。







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