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第141話  新店は進展の香り


 1億円ってどんな金額だったっけ?

 1万円札が一万枚……?

 一円玉が一億枚?

 ぜんぜん現実感がないけど、なんとなく1億円もあれば遊んで暮らせそうな気配がある。

 いや、最近の宝クジが6億円だの10億円だのやってるところを見ると、遊んで暮らすには全然足りないのかもしれない。

 俺はまだ20代前半で、これからまだまだ人生は続くのだから、余計に。

 だとしても1億円。

 100万円が100個だ。

 10万円が1000個。

 ……うーん。

 遊んで暮らすには、精霊石10個は売らなきゃ無理かもしれない。

 夢幻さんが買ってくれるかどうかは知らんが。


「でもなぁ……精霊石か…………」


 精霊石は奇跡の石だから、向こうエメスパレットでも使い道はいくらでもある。

 若返りだってできるし、怪我や病気の治療なんかにも使える。


「あっ」


 そうか、精霊石を俺から一億出して買ったとしても、夢幻さんのツテで、大富豪相手に若返り魔法をやったり、病気の治療やったりすれば、もっと……それこそ何十億と稼げるのか?


 まあ、一億は大金だから、精霊石の使い道について、俺がとやかく言う筋合いでもないけど……。

 この世界では金はいくらあってもいい。金は力だ。夢幻さんだって、そのことは十分に心得ているだろう。

 あの人たちが日本でのんびり暮らせてるのも、金の力によるものであるのは間違いないだろうしな。


 俺はスマホを取り出して、夢幻さんにメールを打った。


《精霊石、売ってもいいと考えていますけど、何に使うんですか?》


 返事はすぐ来た。


《家族が怪我や病気になった時のための保険。変なことには使わないから安心してくれ。と、いうよりこの時代にあれを大っぴらに使うのはマズいだろう》


 なるほど。

 夢幻さん家は大家族らしいからな。

 精霊石が一つあれば、この時代のほとんどの病気は治せるだろう。なんせ、未来の超科学なんだからな。


《PS.税金のことはこっちでなんとかするから心配ない》


 追加のメールが来た。

 税金か。確か1億円の贈与だと、半分くらい税金で持ってかれるんだよな。もらった側が。

 まあ、そこらへんのノウハウは金持ちの夢幻さんが詳しいだろうし、任せよう。



 ◇◆◆◆◇



 精霊石を売るかどうかはともかく、プラチナを売却した分の500万円で、しばらくは日本円には困りそうもないんで、それを元手に新店舗のオープンを急ごうと思う。

 今だって路面店の家賃は払い続けてんだからな。金貨3枚も。


 俺は30万円を握りしめて手芸用品店へ車を走らせた。

 生地……つまり布を買う為だ。

 新店舗ではダルゴス大親方謹製の刀やナイフも売るつもりだが、布自体の販売は当然続けるつもりだからだ。


 とりあえずサテンを三巻き。

 この光沢にエリシェっ子はメロメロになるに違いない。

 さすがにベルベットは今回はスルー。

 タータンチェックのコットンを二巻きと、マドラスチェックも二巻き。さらに、ギンガムチェックも追加で買う。

 オーガンジーに、ハードチュール。

 さらにデニム生地も、厚手と薄手を一巻きずつ。


「……買いすぎてしまった」


 調子こきすぎた。

 ちょっと金に余裕ができるとすぐこれだよ。


 軽自動車の後部座席が埋まるほど布を買い込み、帰る途中。

 宝飾品の店に寄って、ネックレス用のチェーンを購入した。

 こういったチェーンは、現代の物のほうが品質が良い。機械で造られたものは品質のバラつきが少なく精密だ。チェーンのようなものは、特に顕著である。


 家に戻り、大量の生地を部屋に運び入れる。

 初開店分の生地としては足りるか足りないか微妙なラインかもしれない。エリシェには裕福な人間が多く、多少高い布地でも珍しいものなら全部買い・・・・までありえるからだ。

 もちろん、それならそれで結果オーライではある。商売としてやる以上売れること自体は喜ぶべきことだからだ。商品自体は日本でいくらでも補充できるから、何度でも入荷すればいい。夢幻さんが精霊石を買ってくれる以上、事実上赤字になることはないのだ。ある程度の自制のようなものは必要かもしれないが、商売も騎士隊も大きくしていけるチャンスだと考えたほうがいいだろう。


 机の引き出しからアメジストのペンダントヘッドを取り出す。ブラック企業時代に手に入れたものだ。

 アメジストは比較的安い宝石だが、しかし、常に一定以上の人気があった。綺麗な石だからというのもあるが、やはり知名度の高さが一番の理由だろう。

 これに買ってきたチェーンを通せば完成だ。


 俺は鏡を抜けて、生地を屋敷に運び込んだ。


「オリカ、マリナ帰ってきてる?」


 部屋の掃除をしていたオリカに訊く。マリナは、午前中はレベッカさんやイオンと訓練をしていることが多い。今は昼前11時半。帰ってきてるか微妙な時間だ。


「はい、さっき帰ってきましたよ。今は厩舎にいるはずです」

「ありがと」


 マリナは厩舎で、馬のブラッシングをしているところだった。

 なにやら馬に話しかけながら優しく、愛馬の背をブラッシングしている。

 俺の存在にはまだ気付いていないようだ。


 汚れてもいい格好で甲斐甲斐しく馬の世話をするマリナを見て、ついイタズラ心が芽生えてしまう。

 後ろからガバっと抱きしめて「だ~れだ?」とやりたい欲求に……。


 ……いや、それじゃただのセクハラ親父だ。自重しなければならない。

 これからせっかく贈り物をしようってんだから、格好付けていこう。


「マリナ、おつかれさん」

「主どの! おつかれであります! 出かけるんでありますか? それなら、すぐ支度をするから待っていて欲しいのであります」


 マリナがバッと振り向いて言う。

 俺が馬でどこかに出かけると思ったらしい。


「いや、まだ出かけないよ。お昼食べてからでいいだろ」

「そうでありますか。では、どうしたんであります?」

「マリナに用事。えーっと。これ、前に約束しただろ、ネックレス。一番最初の精霊石、使っちゃったからさ。その代わりってわけでもないけど」


 ポケットにしまってあったネックレスケースを取り出して、開けて中をマリナに見せる。

 深紫色のアメジストが輝く、シンプルなネックレス。


「こっここ……こ、これをくれるんでありますかっ」


 目をまんまるくして、食い入るように言うマリナ。

 この世界では、宝石型のアクセサリーは貴重だ。なにせ、基本的に宝石=精霊石なのだから、その価値は計り知れないものになる。

 俺の知る限り、宝石をあしらったアクセサリーを身に付けていたのは、ディアナとヘティーさん、あとはエフタ、ディダ、ミルクパール市長くらいのもの。

 レベッカさんもガーネットの指輪をいつも着けているが、あれは俺が贈ったものだ。


「付けてやるよ」


 ケースからネックレスを取り出し、マリナの首にかけてやる。


「はわわ……」


 マリナは身体を震わせて、自分の首にかかったネックレス、ペントップのアメジストの輝きをその瞳に映した。

 光を受けてキラキラと輝くアメジスト。

 紫水晶アメジストは比較的安い石ではあるが、その歴史は古く、昔から珍重されてきた石でもある。

 俺が持っていたアメジストは一級品だ。サイズだってそれなりに大きい。


「はわわ……。はわわ……」


 石から目を離し、俺の瞳を真っ直ぐに見詰めてくるマリナ。

 唇から「はわわわわ……」と極々小さい声が漏れでてきている。

 潤む瞳が、まっすぐと、しかしトロンと俺を見詰めてくる。


「あ、主どの……」


 ジリッジリッとにじり寄ってくるマリナ。


「……マリナ……こんなに感激したことないのであります。いえ、初めてお導きが出た時だって、感動したのでありますが……でも、でも、主どのから、こんな宝物をいただけるってことが……こんなに嬉しいなんて……胸が張り裂けそうなくらいであります……」


 マリナの目から大粒の涙が溢れだす。


「で、でへっ。こんな泣きっ面になっちゃって恥ずかしいであります。こんなに嬉しいのに涙が止まらないんであります」


 顔を赤くして、笑いながら照れるマリナ。

 驚いたり、泣いたり、笑ったり、照れたり、マリナは感情表現が豊かで見ていて愛おしくなってしまう。

 だから、つい抱きしめちゃったりするのだ。


「あっ……主どの。マリナ、汚れているであります……よ?」

「構わないさ」


 俺がゆるく抱きしめると、マリナは一瞬緊張で身体を硬くした。だが、すぐに力を抜いて、オズオズと背中に腕を回してくる。

 不思議そうな顔で俺を見上げてくる。


「マリナは体温が高いな……。あったかい」

「……主どのにプレゼントもらって、嬉しくて、身体がポカポカしてるんであります」


 ブラック企業時代、女への贈り物としての宝飾品は常に一定上の破壊力があると、先輩がよく口にしていたものだが、それは異世界でも変わらないらしい。

 というか、レベッカさんも俺が贈った指輪をいつも大事に着けてくれているし、やはりそういうものなのだろう。特に、マリナはこういう贈り物には縁がなかっただろうから、感激もひとしおといったところか。


「…………」

「…………そろそろみつかっちゃうでありますよ?」

「見つかっちゃまずいのか?」

「……み、みんなでいる時に、主どのにくっつくのはいいのでありますが、二人っきりでこうしていると……抜け駆けというか……なんだか、悪いことをしてる気分になるのであります……」

「そっか」


 俺は別に見つかったっていいのだが、確かにマリナは立場上、気を遣うところがあるのかもしれない。

 もう奴隷じゃないのだし、変に気にする必要はないんじゃないかとも思うのだが。


 俺たちはもう一度だけ抱きしめ合ってから、我に返ったように照れ臭く笑って、そそくさとその場を後にしたのだった。




 ◇◆◆◆◇




 いよいよ路面店のオープンが迫っていた。


 事前の宣伝は万全……とは言いがたいかもしれない。高級店だからお金がある層に知ってもらわないとならないのだが、その層と知り合う予定だった騎士隊パレードに、俺が出れなかったからだ。

 レベッカさんとエトワがある程度の営業はしてくれたらしいのだが、あれからもう2ヶ月以上経っている。期待はできないだろう。


 チラシを貼ったり、知り合いや露店の常連さんにオープンを知らせたり、そういう地味な宣伝は問題なく終わっている。ミルクパールさんにも一度会って伝えておいた。


 騎士隊のほうの初仕事もミルクパールさんから回して貰う予定だが、ヒトツヅキが終わってからになるのだそうだ。エリシェの役所が管理しているモンスタースポットは、シェローさんの家の側の森を含めて四箇所。

 基本的には委託業務であり、シェローさんのように契約した戦士が側で管理しているものなのだが、ヒトツヅキだけは役所が予算を出して戦士を確保するのだそうだ。

 戦士は基本的にはハンターズギルドに入っている人間を当て込んでおり、一つの現場でだいたい三〇人程度集まれば、ヒトツヅキは乗りきれるのだそうだ。


 そんなヒトツヅキが終わったら、今度は本格的に冬が来るのだそうで、その間も騎士隊に回せる仕事はほとんどないらしい。

 エリシェは過ごしやすい気候だったから舐めてたが、冬が来るとかなり雪が降るのだとか。そんな雪が降るなら、屋敷から出れない可能性もある。そしたら、店は開けないか、街に住むエトワとエレピピに任せるしかなくなるのかもしれない。

 いずれにせよ、新店では冬用のアイテムを揃えておいたほうが良さそうだ。



 俺たちは新規オープン直前の新店に訪れていた。

 内装も外装も完成している。シャマシュさんの手によるもので、ルクラエラで隠れ住んでいたシャマシュさんの家のデザインに近いものだ。

 アール・ヌーボー調というか、妖しく目を引くデザインだ。

 比較的シンプルで、質実剛健な石の家が多いエリシェでは、特に目を引く。

 大通りに面した一等地の路面店だから、注目度は満点だろう。


 商品もほとんど運び込んである。

 防犯のための結界も神官ちゃんとシャマシュさんの共同作業で(神官ちゃんはものすごく嫌がったが)設置済みだ。

 まあ、エリシェは治安が良く、泥棒に入られる心配はほとんどないらしいから、保険的なものでしかないが。


 騎士隊のほうも、新規隊員の応募がけっこうあった。

 もともと隊員募集のチラシは神殿をメインに数か所に配ってあったのだが、やはり騎士隊パレードが効いたらしい。

 騎士天職の女性からの応募が、チラホラと神官ちゃんのところに届いている。エリシェ外からの応募もあるのだとか。

 エリシェは商業特区で、他所の人間はかんたんにはこの街に住むことができないのだが、俺が雇うなら別だ。俺は一応、正式なギルド員だし路面店を持ってるとなれば、雇用のためとして特区外の人間を雇うことが可能なのである。

 騎士隊員になるからという理由では、エリシェに住むのはもしかすると難しいかもしれない。今でも、エリシェに不法に入ってきた人間が時々捕まっているらしいからな。


 テーブルに並んだ商品を見る。

 布のコーナーと、ナイフと日本刀が並んだコーナーがある。

 店はそう広くはないが、さらに冬用の道具を売るくらいなら可能だろう。

 客がくつろげるようサロンも用意した。ここでは、地球産の菓子などを出そうと思う。


「ボス。価格はどうしますか?」


 エトワが訊いてくる。エトワは新店でも店長を任せるつもりだ。


「高級店だからな。布はエリシェで高級とされる店はいちおう見てきたけど、まあ、そのへんを倣った価格でいいんじゃないか」

「了解です。では、問題はカタナですね。こればっかりは、私も想像もできません。金貨10枚でも安いような気もしますし、金貨10枚では誰も買わないような気もします」

「そうなんだよなぁ……。でもま、無理に売らなくてもいいし、貴族向けという触れ込みで高値つけとけばいいだろ。手間だって掛かってるし、この世界で売ってるのはこの店だけなのは間違いないんだからな」


 厳密には、精霊文明時代……つまりゲーム時代の遺産として、カタナが実在している可能性はある。RPGでは必ずといっていいほど登場するのが日本刀だからだ。

 だが、そんなこと気にしていても仕方がない。見た目は似ていても、1000年前の遺産でもなんでもない、現代の鍛冶屋が打った新品なのだから。

 俺が日本から持ってきて売っている布とは違うのである。


「そうだな……。少し高くなるが、短刀で金貨10枚、打刀が金貨30枚ってとこじゃないか?」

「か……かなり攻めますね……ボス」

「日本刀はそれぐらいするんだよ、実際」


 金貨10枚は150万円くらい。金貨30枚なら450万円程度だ。

 例えば、現代刀を刀匠に売ってもらうと打刀で150万~300万くらいかかるらしい。

 古い刀で、名刀とされるものでも、450万も出せばそれなりに良い物を買える。

 これ以上の金額となると、美術品として歴史的な価値なんかも加味され、重要文化財とか国宝とか、そういうラインに突入していく。

 だから、現実的なラインとしての上限が一振り500万円くらいなのだ。

 高めは高めだが、これぐらい攻めた金額でもいい。

 こっちは物好きな貴族が買ってくれればいいのだ。


「では、ボス。これでオープン前の準備はほぼ完了ですね。お客さん……来るでしょうか?」

「最初は冷やかしの客がメインになるだろうな。でも、大丈夫だよ。うちの売り物は正真正銘、唯一無二のものばかりだ。逆に客が来過ぎちゃうことのほうが怖いよ」

「じゃあ、ある程度、軌道に乗ったら会員制にしますか?」

「それも考えてるよ。実際にはフタを開けてみないとな……。お金持ちの客が全然来なかったら、商売にならない値段設定だし」


 そう。新店舗はフタを開けてみないとわからない。

 理論上は成功できるはずだが、残念ながら、大金持ちの貴族の知り合いはいないのだ。

 かろうじてミルクパールさんが貴族だが、清廉な人だから、こういう高級布地には縁がなさそうであまり参考にならない。


 とにかく、開店予定日は明後日だ。

 すぐに大繁盛とはいかないだろうが、騎士隊を養っていけるだけの儲けが出せればいいなと思う。

 露店のほうも続けるから、騎士隊の新メンバーの面接をして、店員増やして対応していきたいところ。

 まだまだ、忙しくなりそうだ。






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