茨木は自分の事務所に清良を連れて来た。
「とんでもなく陰気な場所だね。カビが生えそう」
清良は辺りを見回し、率直な感想を口にした。
「カビは生えてません。陰気な気も妖怪たちが追い払うので、安心してください」
茨木は冷静に言い返す。
「そういうことじゃなくて、薄暗くて鬱々としているって言っているの。こんな所にいたら病気になってしまうんじゃない?」
清良はだいぶ体調が戻ってきた様子だ。さっきより元気に話している。放っておいても良かったかもしれないなと、茨木は思いつつ台所に立つ。
「何を作っているの?」
いつの間にか背後に立って鍋を覗き込んでくる清良に、茨木は驚いた。気づかなかった。俺が背後を取られるとは。
「わぁ、ちょっと、火を使っているので、清良さんはソファーで休んでてください」
「えー、僕はもう元気だよ」
清良はそう言うが、顔が近すぎて困る茨木。
「影縫!」
「うわぁ、離して〜」
影縫に引っ張られ、ソファーに連れ戻される清良。清良の声に影縫が一瞬揺らんだのを、茨木は見逃さなかった。まったく、自分の使役している妖怪たちを誑かすのはやめてもらいたいものだ。
「出来ましたよ。薬膳スープです。これでも飲んでさっさと寝てくださ……って、何をしていらっしゃるんですか?」
ちょっと目を離した隙に、妖怪たちは清良を取り囲んでいた。皆、ウキウキと楽しそうだ。
「サイン会だよ。彼らには色々助けてもらったからサインを書いてるの」
清良は笑顔で、妖怪たちの差し出す色紙や持ち物にペンを走らせている。
「お前ら!俺はサインしてもらうためにここへ彼を連れて来たわけじゃないんですよ!」
休ませたかったのに、実質、うちの妖怪たちが仕事をさせてしまっているじゃないか!
「僕も楽しいから良いの。茨木くんにもサインあげるよ。どこにサインしようか?」
「いりませんよ。お前たちは早く持ち場に戻れ。机を片付けて!」
「えー、皆、ありがとう」
清良はウィンクを飛ばし、最後に絡繰童子に握手してあげている。
「主、清良様からサイン頂きました。事務所に飾りましょう!」
「はいはい、もう、好きになさい」
嬉しそうな絡繰童子。実体は千年以上も生きている付喪神の妖怪だが、見た目が子供で目がキラキラと輝いているものだから、茨木も絡繰童子には弱い。それをわかってやっている。いわゆるぶりっ子だが、可愛いものは可愛いのである。
妖怪たちは、色んなものにサインをもらったようだ。絡繰童子は急須に、禍刻は時計に、影縫は茨木の手帳に、裂帛は自分の首輪に、そして逢魔はちゃんと色紙を用意していた。全員各々にサインを飾ってから持ち場に戻っていく。
「せっかくの薬膳スープが冷めてしまいますよ」
全く、と溜息を吐く茨木だ。
「茨木くんが作ってくれたの?」
清良が、目を丸くして尋ねた。
「ええ、自分を育ててくれた住職から教えて頂いた料理なので間違いありません。安心して食べてください」
茨木は自信満々に清良の前に薬膳スープを出すのだった。
清良はスープをひと掬いし、口に運ぶ。
「うん、すごく美味しい」
「お口に合ったのなら何よりですよ」
「本当に美味しい……」
スープを飲みながら、ポロポロと涙を流し始めた清良に、茨木は驚いた。
「えっと、ごめんなさい。熱かったですか?それとも、さっきサインを断ったことが?俺も本当はサイン欲しいです……」
オロオロとしてしまった茨木は、思わず本音が漏れた。
「違うよ。温かくて、人が作ってくれた料理を食べるのは久しぶりだったから」
「いつもはどうしているんですか?自分で作って?」
「忙しくてレトルトとか、カップ麺だよ」
「貴方のファンが聞いたら悲鳴を上げますよ」
まさか天使のような見た目と歌声で大人気のアイドルが、そんなものを食べているなんて。もちろん、レトルトやカップ麺が悪いわけではないが、それだけでは食が偏るだろう。
「やっぱり疲れていますよ貴方。人や妖怪を癒やす貴方が、自分のことはどうでも良いと言うのはどうなんでしょうか。医者の不養生とはよく言ったものですね」
「茨木くんも似たようなものでしょう。人のことは言えないよね」
「俺は貴方のように人や妖怪を癒やそう、助けようなんて微塵も思っていませんよ。目に付くゴミを片付けてるだけですから」
「そう言って僕に優しくしてくれたりするくせに。心配性だよね」
「勘違いしていますね。俺はただ貴方が倒れると困るだけですよ。貴方がいると仕事がしやすいですからね」
「それは同感だね」
清良は、空になったスープの器を置いた。
「スープを飲み終わりましたね。ベッドはあっちですよ」
「寂しいな。添い寝してくれる?」
「馬鹿なことばかり言わないでください。影縫!」
「あー、ねぇ、もう!」
お決まりになってきた影縫に頼み、清良をベッドまで強制連行してもらう茨木である。溜息を吐きながら、自分の仕事に戻ろうとノートパソコンを開いた。
「ねぇ、子守唄歌ってよ。でないと、僕が子守唄歌うからね!」
「どういう脅しなんですか、それ」
茨木はもう一度溜息を吐いて立ち上がると清良の側に行く。清良に歌われると、たしかに妖怪たちはメロメロになるし、自分も腑抜けになるので止めて欲しい。ただの子守唄が立派な脅しになるのが怖い。
「言っときますけどね。俺はとんでもない音痴ですよ。知りませんからね」
「何でも良いよ。君の声は割と耳触りが良いと思ってるから」
「この声が?」
もの好きですね、と茨木は笑った。
結局、歌う茨木に、陽気になった清良がハミングで合わせたりしたものだから、気づいたら妖怪たちも自分も寝ていた。
二度と清良を事務所に連れてくるものかと憤慨する茨木だったが、身体の疲れは確かに取れていた。