翌朝、茨木は朝食を準備すると、時間を見計らって清良を起こした。
「清良さん、そろそろ出ないと遅刻ですよ」
「え?って、うわぁ!無理、もう完全に遅刻だよ。どうしよう!」
時計を見て清良は青ざめる。朝の生放送に出る予定だったのだ。マネージャーからは百件以上の着信が来ていた。またスマホが鳴り出す。
「ごめん!寝坊した!」
『清良、どこにいるんだ!出演時間まで三十分切ってるぞ!』
「とにかく、すぐに行くから!」
『どこに迎えに行けばいいんだ?』
「えっと、ここの住所って?」
生まれて初めての寝坊に清良は気が動転し、辺りをキョロキョロと見回した。
「裂帛を使えば局には五分もあれば着きます。朝食をどうぞ」
茨木は落ち着いた様子で、優雅にコーヒーを啜りながら新聞に目を通していた。
「えっと、大丈夫みたい。朝食を食べたらすぐに出るね」
『おい、朝食ってお前何言ってるんだ?』
「とにかく切るね」
『おい!!』
焦った様子のマネージャーには申し訳ないが、状況説明が難しいためスルーすることにした。茨木がせっかく用意してくれた朝食を無下にもできない。
「わぁ、すごい。美味しそうだね」
茨木が出してくれた朝食は、白米に味噌汁、漬物に鮭の塩焼き。とても日本人らしい献立である。
「これも寺で食していた料理なの?」
「ええ、まあ、鮭の塩焼きは違いますけどね」
「いただきます」
清良は朝からこんなにちゃんとした食事を取るのは久しぶりだ。その味は、じんわりと心に沁みた。
「主は料理上手なんです」
絡繰童子が目を輝かせながら教えてくれる。
「僕で淹れたお茶も飲んでほしいです」
絡繰童子は、清良がサインした急須でお茶を淹れた。
「ありがとう」
清良はお茶を飲む。
「わーい!清良様が僕の淹れたお茶を僕で飲んでくれました!」
絡繰童子は飛び上がって喜んでいる。
「この湯飲みも君なんだね」
フフッと笑う清良だった。
朝食を食べ終えた清良は裂帛に跨る。
「帰りも迎えに行きます。くれぐれも一人で妖怪を清めようなどと考えないように。対処は考えておきますから、出向くなら一緒に行きましょう」
「分かったよ。じゃあ行ってくるね!」
「気をつけて。裂帛、安全運転でな」
裂帛はこくっと頷き、清良を乗せて走り出す。清良はまだ裂帛に慣れてないようで、「ウギャー!」と悲鳴のような声を上げているが、大丈夫だろうか。疲れを癒やしたかったはずなのに、結局疲れさせてしまったのかもしれない。俺の疲れは癒えたけれどな。
清良のハミングで寝てしまった茨木だが、どうやら影縫が何とかソファーまで運んでくれたらしい。影縫は茨木の影で、満足そうに眠っていた。
茨木は対策を考えるためにノートパソコンを開き、これまでの情報をまとめる。
まず、若手アイドルや歌手、有名作曲家を廃人にしているのは、例のレコーディングスタジオで不協和音を奏でた悪霊だ。それは憎悪に満ちた強い思いが、一人の女性歌手の霊に寄り集まってできているようである。廃人にされた若手アイドルや歌手から虐められたアイドルや歌手の怨念、有名作曲家に弄ばれた女性アイドルの傷ついた心などが彼女の歌声に惹かれ、寄せ集まった結果だ。憎悪はさらなる憎悪を呼び、悪霊は今や膨れ上がっている。核となっている女性の霊も、もはやどうにもできず暴走してしまっている。核の女性も、がんじがらめの状態で苦しんでいるはずだ。
そして次のターゲットは、おそらくあの音楽プロデューサー。彼には憎悪の怨念がまとわりついていた。「有名にしてあげるよ」などと声をかけて、女性アイドルに手を出していたようだ。そんな弄ばれた女性たちの憎悪がさらに加わって、悪霊はもはやレコーディングスタジオだけでは収まらない大きさにまでなってしまっている。レコーディングスタジオには強めの御札を貼ったが、あれで抑えられるのも一時しのぎ。妖怪たちに命じて向かわせたが、なかなかキツイと影縫から報告が逐一来ている。明日までもつか分からないと言うのだ。
もし爆発してしまったら、周辺一帯に呪いのような効果が爆散し、関係ない人々まで廃人のようになってしまう。それは避けなければならない。清良の歌声が最早届かない現状では、もう、切るしかないのか……。
茨木は愛刀に視線をやる。あれで切ってしまえば、悪霊は地獄行きだ。無意識に憎悪を寄せた女性たちも死んだ後は地獄に堕ちることになる。悪いのは廃人にされた方なのに、なぜ辛く悲しく、今でも助けを求めている霊を無理やり地獄に落とさなければならないんだ。そんな理不尽なこと……。
クソっ。
茨木はどうしようもなく、舌打ちした。
切るしかない。