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第三章 不眠症と幻覚、心の闇を照らす

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 レコーディングスタジオでの一件から数日後。清良は、悪霊を成仏させられたことに胸を撫で下ろしていた。茨木の言葉を借りるなら、「彼の歌声が、届くべき場所に届いた」結果だ。スタジオからの帰路、裂帛の背で悲鳴を上げたのは良い思い出だ…… いや、思い出にはしたくない。しかし、茨木と妖怪たちが力を合わせてくれたからこそ、あの女性たちは救われたのだと、清良は改めて感謝していた。茨木の事務所での、あの不器用で温かい時間も、清良の心を深く癒やした。疲労困憊の彼が、まさか手作りの薬膳スープを振る舞ってくれるとは。しかも、自分よりも先に疲れて寝しまうなんて。あの時の茨木の涙は、何だったのだろうか。清良は、まだ答えの出ない疑問を抱えながら、アイドルとしての多忙な日常に戻っていた。




 一方、茨木の事務所「夜鴉堂」では、いつも通りの静けさの中で、新たな依頼が舞い込んでいた。依頼主は、不眠と幻覚に悩まされているという一般人。様々な病院を訪ねたが改善せず、藁にもすがる思いで「何でも屋」である夜鴉堂を頼ってきたのだ。


「フム……確かに妖気を感じますね」


 茨木は、依頼人の話を聞きながら、眼鏡の奥の金色の瞳を細める。ただの病気ではない。彼を蝕む妖気は、これまで扱ってきた悪霊とは性質が異なる。



 夜遅くまで調査資料を読み込み、対策を練っていた茨木。ふと顔を上げると、時計の針は深夜を回っていた。集中しすぎると時間を忘れてしまうのはいつものことだ。すると、事務所のドアが、ノックもなく静かに開かれた。


「また、寝てないんじゃない?」


 優しい声と共に、そこに立っていたのは清良だった。ラフなTシャツにパーカー姿で、手にはコンビニの袋が提げられている。茨木は眉間に皺を寄せた。この男は、どうしていつもこんなタイミングで現れるのか。


「貴方も懲りない人ですね。仕事はどうしたんですか」

「今日はもう終わり。それに、茨木くんがまた徹夜してる気がしてね」


 清良は、くすりと笑うと、茨木の隣に座った。そして、持っていた袋から、昨日と同じように栄養ドリンクとサンドイッチを取り出す。


「はい、差し入れ。無理は良くないよ、茨木くん」


 アイドルである彼が、まるで自分のマネージャーのように振る舞う姿に、茨木はやはり言葉を失う。


「そういうのは貴方のやる事じゃないでしょう」

「そういう事って?」

「貴方、まるで自分のマネージャーみたいですよ」

「そうかなぁ?」


 ハハッと笑う清良に、茨木は呆れる。


「まあ、でも……毎日忙しいだろうに、本当に元気ですね、貴方。自分の事など放っておいて、早く帰って寝てください」

「え?ああ、君が子守唄を歌ってくれたおかげで、すごくよく眠れたからかな。レコーディングしてCDにしよう!」

「はいはい」


 にこやかに答える清良。茨木は内心やれやれと思っている。まさか、あの時の音痴な歌声が、本当に清良の不眠に効果があったとは思えない。口を開けば冗談ばかり言う男である。


「子守唄なら貴方が……!!」


 茨木は、ハッとして思わず立ち上がり、清良の手を掴んだ。


「な、なに?急に」


 清良は驚いて目を丸くした。


「清良さん!頼みがあります」

「う、うん?」

「貴方の歌声が、この患者の不眠と幻覚を治す鍵になるかもしれない!」


 茨木の真剣な眼差しに、清良の顔が輝いた。


「それは僕の得意分野だね!」



 こうして、不眠と幻覚に悩む人々を救うため、清良と茨木の新たな共闘が始まった。





 翌日、さっそく清良のスケジュールの合間に、不眠症と幻覚に悩まされる依頼人を夜鴉堂にて合わせる。清良は依頼人を見て、そっと手を握った。そして、歌を奏でた。


「すごい、心が軽くなりました。なんだか身体が軽くなって。眠れそうな気がします」


 見るからに明るい表情を取り戻す依頼人。


「妖気の影も離れましたね」


 実際に依頼人から感じていた禍々しい妖気は消えている。


「良かったね!これ、僕のサイン。もしよかったら僕を応援してほしいな」


 清良は手持ちのメモ用紙にサインを書くと、依頼人に渡し、可愛くウィンクしてみせる。依頼人は胸を押さえて「グハッ」と小さく呻いた。依頼人は既に清良のファンの一人だった。


「ありがとうございました。また、あの、ライブとか、見ます!」


 依頼人は元気に手を振って帰っていく。ここで茨木は初めて気づいた。清良が渡すサインには御札の効果がある。それでサインを気安く書いていたのか……それにしてもだ。


「あざと」


 思わず小さくつぶやいてしまう茨木。


「アイドルなんてあざとくてなんぼなの」


 フフッと笑う清良だ。


「サインはわかります。お守りとして渡しているんですね。でも、ウィンクまで気軽に飛ばし過ぎじゃないですか?あまり気安くしまくっては、ありがたみというものがなくなるのでは?」

「うーん、僕のアイドルとしての商品価値を気にしてくれてるの?大丈夫。ウィンクを気安くしても僕の人気が薄れることはないよ」


 「心配してくれてありがとう」と、清良は茨木にウィンクする。


「俺にファンサは要りません。これからの予定を組みますよ。まずは貴方の歌声が今回の症状に効果があるとわかっただけですからね。調べによれば、同じ症状で困っている人が結構な数いるみたいなんです」

「どうするの?」

「チャリティライブを開いて貰います。もちろん、費用等は俺が出します。これは正式に俺から貴方への依頼です。良いですか?」


 ニッと、強気に笑う茨木は清良に握手を求める。


「もちろん。僕らはもうバディみたいなものだからね」


 その手を強く握り返す清良だ。


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