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 清良のチャリティライブは、快晴の日差しが降り注ぐ中、盛況のうちに幕を開けた。会場となった多目的広場は、告知期間が短かったにもかかわらず、不眠や幻覚に悩む人々だけでなく、清良のファンや、純粋にチャリティの趣旨に賛同する人々で溢れかえっていた。

 設営は茨木と妖怪たちが中心となって行った。禍刻は舞台上の時間調整に目を光らせ、影縫は裏方で照明や音響の影を操る。絡繰童子は可愛らしい見た目を活かして、受付や物販の手伝いをしながら、訪れる人々の様子を観察していた。裂帛は会場周辺の警備にあたり、そして逢魔は、人々の不安や恐怖といった感情の「揺らぎ」を感知し、茨木に逐一報告を入れていた。

 茨木自身も、ポップなデザインのスタッフTシャツに身を包み、会場の隅々まで気を配っていた。普段の黒を基調とした和装とはかけ離れた、色鮮やかなTシャツは、清良に「茨木くん、似合ってるよ!もっとそういうのも着たら?」とからかわれ、ほんの少しだけ頬が熱くなったのは、不本意ながらも認めざるを得ない。

 定刻になり、舞台に清良が登場すると、会場からは割れんばかりの歓声が上がった。スポットライトを浴びた清良は、いつものように輝く笑顔で手を振り、一呼吸置いてから歌い始めた。彼の歌声は、澄み切った水のように会場を満たし、人々の心の奥底に染み渡っていく。舞台袖から様子を伺う茨木や、会場を見回る妖怪たちも息を呑み、つい清良に見惚れた。茨木は、清良が本当に輝くアイドルなのだと改めて感じる。スポットライトだけではない、明確な光の中にいる清良と、舞台袖の自分では、光と影の隔たりがはっきりと見える気がした。

 茨木がそんな風に見惚れてしまったのは一瞬で、すぐに仕事の顔になる。もちろん、清良にメロメロになりかけている妖怪たちにも気づき、視線で「一人ひとりしっかりしろ」と合図を投げ、妖怪たちの規律を守る。

 清良の歌声が会場に響き渡ると、まずその場に漂っていた重苦しい空気が、まるで霧が晴れるように薄れていった。

 聴衆の中には、疲れ切った顔で虚ろな目をしていた者や、落ち着きなく周囲を見回していた者もいたが、歌が進むにつれて彼らの表情は緩み、固く閉ざされていた心がゆっくりと開かれていくようだった。清良の歌声が、彼らの心に巣食う見えない影を優しく撫で、溶かしていく。

 特に印象的だったのは、会場の最前列に座っていた一人の女性だ。彼女はライブが始まる前、ずっと顔を伏せ、微動だにしなかった。しかし、清良の歌が始まると、ゆっくりと顔を上げ、その瞳からは大粒の涙が溢れ出した。それは悲しみの涙ではなく、抑えきれない安堵と解放の涙だった。彼女の周りを纏っていた黒い妖気も、歌声の力によって薄れ、ついには消え去っていく。

 茨木は、スタッフTシャツの胸元に隠した小型の端末で、妖気の濃度を計測していた。清良の歌声が響くたびに数値は確実に低下し、それに比例して、会場全体の雰囲気も明るく、穏やかなものへと変わっていく。

 歌の合間には、清良が柔らかな笑顔で語りかける。「みんな、一人じゃないよ。僕の歌が、少しでも君たちの光になれたら嬉しいな」。その言葉一つ一つが、不眠と幻覚に苦しむ人々の心を包み込み、温かい希望を与えていた。

 妖怪たちもそれぞれの場所で、その変化を肌で感じていた。絡繰童子は、受付で清良のサイン入りグッズを渡しながら、患者たちの顔色が良くなっていることに目を輝かせた。影縫は、音響ブースの影から、会場全体が清らかな光に満たされていく様を静かに見守っていた。そして、逢魔は、人々の心から不安や恐怖といった負の感情が遠のき、代わりに穏やかな感情が芽生えるのを喜んでいた。

 ライブはクライマックスを迎え、清良が最後の曲を歌い終えると、会場は割れんばかりの拍手と、温かい感動の渦に包まれた。人々は皆、清々しい顔で会場を後にする。

 最後は清良自ら握手でファンを見送るのが恒例だ。



「みんな清々しい表情になっていて僕も嬉しい」


 開場の片付け作業に移行しながら、汗だくの清良は爽やかに笑う。


「設営も手伝っていただきましたし、後は我々でやりますから、清良さんは休んでください」

「僕もは大丈夫。皆と設営したり片付けたりするの好きだし」

「本当にいつか倒れますよ」

「だから、君に言われたくないの」


 椅子や机をトラックに乗せながら、文句を言い合う二人である。


「あーもう、主も清良さんも休んで下され。後は我々がやりますからね!」


 仕方なく、影縫が二人の影を補足し、捕まえると問答無用で控室まで連れて行く。ちょうど二人の影が重なるところを狙っていたのだ。


「こら、影縫、勝手なことを!」

「せっかくなんだからお言葉に甘えよう」


 怒る茨木に、なぜかさっきまで「設営したり片付けるのが好き」と言っていた清良まで乗り気である。


「ですが、部屋は清良さんのぶんしか取ってませんよ」


 着替えたりするだろうし、シャワーも浴びるだろう。自分がいては邪魔にならないだろうか。


「一緒にいれば良いよ」 


 フフッと笑う清良であった。


「こら!! 影縫!!!」



 部屋に茨木と清良を押し込んだ影縫はすぐに片付け作業に戻ったようだが、なぜかご丁寧に出られないように施錠までしていった。内側から回せる解除も回らない。


「君も僕がちゃんと休めるようにしてくれたんだね」


 呑気にアハハと笑っている清良。茨木にとっては笑い事ではない。そもそも茨木は人との交流より妖怪との交流が多い。いわゆる陰キャであろう。いつもは妖怪たちが一緒なのと仕事があるので平気だが、真逆の性格の彼と二人きりにされるのは気まずい。ど、どうしたら良いんだろうか。会話とか……。


「とりあえずシャワーでも浴びようか。酷い汗だし」

「あ、はい、どうぞ」

「中にシャワールーム二つあるって」

「自分はそんなに、汗かいてませんから」

「風邪ひかれたら困るから」

「では、お先に」

「二つあるんだって、もう!」


 視線を反らせて清良から距離を取ろうとする茨木に困ってしまう清良だ。とりあえず服を脱ぐ。


「わぁ!清良さん!!こんな所で服を脱ぐのはやめてください!!」


 飛んできたTシャツに驚く茨木。普段、物静かに話す茨木が、さっきから大声で騒ぎすぎである。なんか、面白くなってしまう清良だった。


「君は修学旅行とかどうしてたの?」


 男同士でもこんなに照れるのだから大変だっただろうなぁと、清良は心配になる。


「修学旅行には行かなかったので……」


 お金が無かったし、行きたいとも思わなかったので払わなかった。


「えっ!修学旅行行かなかったの?小学校も中学校も高校も??」

「そもそも小学校の頃は施設にいましたし、高校は行ってません。俺、中卒です」

「そうなんだね」

「早くシャワー浴びて下さい!」


 茨木の初めて知る情報に驚く清良。返答に困ってしまった。普通の育ちではないのかもしれないと思っていたが、なかなか闇の深そうな生い立ちが心配だ。茨木はそんなことよりさっさとシャワーに行けと、顔を伏せながらシャワールームの方を必死に指さしている。


 清良はとりあえずシャワーを浴びに行くのだった。


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