清良がシャワーを浴びている間、茨木は一人考えを巡らした。冷静な目は、今回のライブが一時的な対処に過ぎないことを理解している。妖気が完全に消え去ったわけではない。根元を断ち切られていない雑草が再び生えてくるように、この症状もやがてぶり返すだろう。
「……やはり、問題の源を突き止めなければ、根本的な解決にはならないか」
「また深刻そうな顔をしている」
ツンと、額を突かれ、顔を上げる。いつのまにか清良がシャワーから戻って来ていた。
「可愛い顔が台無しだよ」
「俺の顔が可愛く見えたなら、どこかしら病気があるか、この世のものなら全て可愛いんでしょう」
「そういうことにしておく。シャワー浴びてきなよ」
「分かりました」
浴びなければしつこく言われ続けるだろうと思い、茨木は言われた通りにシャワーを浴びた。浴び終わって出てくると、清良はご丁寧に予備のTシャツを出してくれていた。本当に気が利く人だ。しかも、脱いだTシャツは、自分のものと一緒に洗濯機に入れてくれたらしい。自分の汗で汚れたTシャツを持たせてしまったのかと思うと、申し訳なさがこみ上げる。
「清良さん、Tシャツありがとうございます。これから洗濯も……」
「いいよ。僕のもついでだし。汚れたTシャツを持って帰るのは……って!茨木くん、髪を乾かしてないよね!」
茨木を見て驚く清良。茨木の手を引く。
「自分は短髪ですし、放っておいてもすぐに乾きます」
「風邪を引いたら大変だよ!」
「いつもこうですが、引いたことはありませんよ」
「髪を濡れたままにしておくのは不潔だよ!カビが生えるよ!」
「生えたことありませんよ」
洗面所まで連れてこられた茨木は、清良に髪を乾かされるのだった。
妖怪たちは、片付けを終えて茨木と清良を迎えに来た。部屋は静かである。
「お待たせしました、主、清良様」
扉を開けた影縫に、清良はシーッと自分の鼻に手を当てる。見ると、清良の肩にもたれかかって寝ている茨木が見えた。フフッと笑う清良。また子守唄で寝かしつけてくれたみたいである。影縫は清良にお礼を言うと、茨木の影を使ってゆっくりと運ぶ。その代わり、清良は裂帛に乗せられ、「うわー!」と叫びながら帰ることになるのだった。
茨木は目を覚ましてすぐに、ライブ後に配布し、回収したアンケート用紙を広げた。清良の歌声で一時的に症状が和らいだ人々が、どんな共通点を持っているのかを探るためだ。しかし、そこに明確な手がかりは見つからない。
「フム……個人の情報だけでは限界があるか」
共通点は、皆が不眠症、幻覚、そして不安感を訴えていることだった。それだけでは流石に手の打ちようがない。茨木が唸っていると、妖怪たちが報告に戻ってきた。
「主、調べましたぞ!」
絡繰童子が、息を切らしながら飛び込んできた。その後ろには、影縫と逢魔も続く。
「ライブに集まっていた患者の何人かが、特定の精神科クリニックに入った後、再び妖気の影を纏って出てくるのを確認しました」
影縫が冷静に報告する。
「その者たちは、無意識のうちに不眠症と幻覚の症状を伝染病のように広げてしまっていました。まるで、感染源のように……」
逢魔が顔を曇らせる。妖怪たちの報告は、茨木の推測を裏付けていた。この現象は、何者かが意図的に引き起こしている可能性が高い。そして、その中心にあるのは、どうやらその精神科クリニックのようだ。
「……なるほど」
茨木は、冷たい笑みを浮かべた。ターゲットは絞られた。
「よし、今から潜入する」
「え?主、今からですか?」
絡繰童子が目を丸くする。時計の針は、すでに夜の十時を回っていた。
「ああ、患者を装う。清良さんには、明日の朝、連絡を入よう」
茨木は、準備を整えると、夜の闇へと消えていった。彼の向かう先は、街の片隅にひっそりと佇む、薄暗く不気味な精神科クリニックだ。このクリニックは夜間帯も深夜2時まで開いている。
待合室には、すでに五人ほどの患者が座っていたが、彼らの背中には、誰もが強く暗い妖気の影を背負っていた。
そして、茨木が呼ばれて診察室に入ると、そこに座っていたのは、冷たい笑みを浮かべる精神科医だった。
「初診の患者さんですね。お名前は茨木さん。今日はどうされましたか?」
医師はまず、当たり障りのないことを聞いてくる。怪しげな雰囲気ではあるが、彼からは妖気を強くは感じなかった。能ある鷹のように優秀な妖怪は己の妖気を隠すため、判断が難しい。
「最近、不眠症と幻覚に悩まされていまして……」
茨木も普段の強気な態度を隠し、おどおどとして見せる。
「そうですか。幻覚というのは?」
「何か恐ろしい妖怪に追いかけられたり、フライパンが飛んでくるような幻覚です」
これはアンケートに書かれていた症状を引用した。
「そうですか。少し、検査してみましょう。こちらへ」
医師は茨木を立たせると、別の狭い部屋に連れて行く。そこは扉もない重苦しい部屋だった。茨木は少し恐怖を感じる。
「安心してくださいね。怖いことは何もありませんよ」
ニタニタと笑う医師の表情も気分が悪くなる要素だった。ここに通う患者は、どうしてこの医師を頼っているのだろうか。妖怪だとか関係なく、普通に不信である。もっと良いクリニックがあると思うのだが……茨木はそんな風に感じてしまう。
医師は茨木に怪しげな装置を被せた。
「これは?」
「貴方の深層心理を覗く機械ですよ。では、私は外に出ますから私の声をよく聞いてくださいね。」
「はい……」
頷く茨木は言われた通りに医師の言葉を聞く。何の意味もない文字の羅列だ。しかし、その声を聞いていると、胸がざわつく。意識が引っ張られるようだ。
あ、怖い……
なぜか強い恐怖を覚えた。