清良の言葉が、茨木の心を震わせた。幻覚の清良は消え、本物の清良の温かさが全身を包む。凍りついていた茨木の心に、ゆっくりと熱が戻ってくるのを感じた。
「清良さんはどうして此処に?」
茨木は、ようやく落ち着きを取り戻し、掠れた声で尋ねた。清良は、彼の頭を優しく撫でながら、ふわりと微笑む。
「裂帛(れっぱく)が迎えに来てくれたんだよ」
清良は、そうはぐらかす。本当は、茨木の強い「怖い、助けて!」という声が聞こえて飛び出して来たのだ。茨木は自分が渡したサインを肌身離さず持ってくれているのだろう。言ってしまえば、茨木のことである、サインを持たなくなってしまいそうで、言えなかった。自分が飛び出したところに裂帛が来たので、嘘ではない。
「ちょっと目が泳ぎませんでしたか?」
「気の所為だよ」
清良はホッと胸を撫でおろす。見つけた時の茨木は、普段の様子とは全く違い、小刻みに震え、視点は定まらず、泣きじゃくるほど心配したが、今はもう既にいつもの調子を取り戻した様子だ。
「あの医師はどうしました?と、言うかここは?」
さっきとは様子が違いすぎる。建物は完全な廃屋と化していた。所々朽ち落ちて今にも崩れ落ちそうな所まである。蔦も生え放題だ。どうなっているんだ?
「この病院も幻覚だったんようですな」
返事を返したのは影縫(かげぬい)である。
「かなり手練れの様子、我々も巻かれてしまいました」
「我の力も及ばず申し訳ない」
裂帛と禍刻(まがとき)が申し訳なさそうに落ち込んでいた。
「僕が来た時、君は蔦に絡め取られて苦しんでいたんだ。蔦を解くので皆必死だったんだよ」
「そうなんですね。助けて頂いて有難うございます」
茨木は、サンプルとして自分の身体にまだ巻き付いて残っていた蔦を専用の瓶に入れて封をする。
「俺も迂闊でした。すみません」
「もう、謝るのは禁止にしよう。僕たちバディなんだから。次からはちゃんと報連相してよね!」
腕組みする清良に、茨木は深く頷いた。
帰りは二人で裂帛に跨り、風を切る。清良は悲鳴を上げない。
「慣れたんですか?」
「うん、流石に慣れたよ。ジェットコースターみたいで楽しいよね。ヒッ!」
ハハッと笑う清良だが、目の前に来た大きな木に少し驚いたり、トラックとぶつかりそうになる度に小さな悲鳴を上げていた。茨木はその様子に少し笑ってしまうのだった。
夜鴉堂に戻ってくると、清良は子守唄を歌って茨木を寝かす。茨木が悪夢を見ると悪いと思い、暫く様子を見ていた。妖怪たちも心配そうだ。
「茨木くんは一人ぼっちじゃないよ」
そう、小さく声をかける。
見つけたとき、茨木は小さくつぶやいたのだ。「一人ぼっちは嫌だ。もう耐えられない。一人にしないで」と。何が茨木をそんなに怖がらせているのか、清良には皆目検討もつかない。茨木の周りには心配してくれる妖怪たちや、自分だって居るじゃないか。寧ろ僕の方が一人ぼっちだ。今は茨木くんが居てくれるけど……。
「おやすみ」
茨木は魘される事もなく、よく寝ている。チャリティライブの時に披露した新曲がちゃんと効いているのだろう。良かった。
「僕はもうそろそろ朝のラジオ番組に出ないといけないから出るね」
「まだ夜中の3時ですよ!?」
己の時計を見て驚く逢魔(おうま)。
「4時からの番組なんだ。茨木くんが魘されたり、何かあったら呼びに来て。何とか隙間を開けて出てくるから」
「清良様も心配です」
絡繰童子(からくりどうじ)は清良を引き留めようと、袖を引いた。
「僕は慣れているから大丈夫」
「しかし、清良様は徹夜になってしまいます。昨日はライブでしたのに……」
ライブ後に茨木の救出をして寝かしつけたと思ったら、すぐにラジオ番組というのはハードスケジュールにも程がある。影縫(かげぬい)も心配である。
「僕は一瞬ボーッとしてたら余裕で回復するの。茨木くんを見てボーッとしてたから全然平気。行ってくるね!」
清良は「じゃあね!」と、明るく出ていこうとする。
「せめて送らせてください!」
裂帛は清良を背中に乗せると彼の部屋まで送るのだった。