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第五章 束の間の休息、故郷の風

1

 無音の一件が解決し、清良の歌声も無事に戻った。しかし、茨木の心には、依然として残る『暗示』の影が重くのしかかっていた。

 逢魔が感じ取ったという精神科クリニックの妖気。それは、今回の事件の背後に潜む、より大きな闇の存在を示唆している。だが、清良の心身の回復もまた重要だった。

 連日の緊張と、声が失われたことによる精神的な疲労は、彼を深く傷つけていたに違いない。


「清良さん、少し気分転換をしませんか?」


 茨木は、リビングのソファでぼんやりと空を見上げる清良に声をかけた。清良は今、心配したマネージャーによって仕事をセーブされている。これからもこんな風にセーブしてくれたら良いのだけど、と茨木は思う。

 声をかけられた清良は、はっとしたように茨木を見上げた。


「気分転換?」

「ええ。俺の故郷に、小さな寺があるんです。空気も綺麗で、静かで、きっと清良さんの心も休まるかと」


 茨木の育った寺は、山間にある小さな集落だ。

 都会の喧騒から離れ、自然に囲まれた場所で、清良が少しでも安らぎを見つけられればと思ったのだ。

 清良は少し迷ったような顔をしたが、やがてふわりと微笑んだ。


「うん、行く!茨木くんの故郷、行ってみたい!」


 その笑顔に、茨木は安堵した。清良の心が少しでも軽くなるなら、それが一番だ。




 翌朝。

 早速、茨木と清良は、妖怪たちを伴って故郷へと旅立った。

 裂帛を車の様な形態に変化させ、その中へ乗り込む。


「裂帛くんはこんな形態にもなれるんだね」


 驚く清良。

 蜘蛛の糸や布で作られた座席は座り心地も良い。


「いつもこれなら怖くないのに」


 そう、清良は苦笑する。


「すみません。この形態を取るのに時間がかかるのと、裂帛も大変なので、故郷に帰る時ぐらいにしかさせないんです」


 茨木はそう説明する。


「そうなんだね。いつもの背中もフワフワで乗り心地最高だし。スリルが有って楽しいよ。裂帛くん、いつも有難う」


 清良は裂帛にお礼を言うのだった。

 裂帛は風を切って走り出す。

 やはりこの形態は負荷がかかるのか、いつもより若干、スピードが落ちるようである。

 それでも、普通の車より遥かに早い。

 いつもが新幹線並みで、今は快速並みといったところだろうか。


 都会のビル群が遠ざかるにつれて、清良の表情も次第に和らいでいく。

 車窓から見える景色は、緑豊かな田園風景へと変わり、澄んだ空気が肌を撫でる。

 景色をじっくり見せようと思ったのか、裂帛のスピードは車並みになった。


「わぁ、空が広い!」


 清良は子供のように目を輝かせた。都会では見ることのできない、どこまでも続く青い空と、白い雲。その光景に、清良の心は洗われるようだった。



 数時間後、一行は茨木の故郷、山間の小さな集落に到着した。


「すみません、ここからは歩きです」


 石段の途中で裂帛を普段の姿に戻させ、荷物を持たせる。


「修行の一貫のようなもので、裂帛で上まで行くと住職に怒られるんです」


 そう苦笑して見せる茨木だ。


「でも、キツかったら言って下さい、俺がおぶるんで」

「僕をひ弱だと思ってるの?これでもアイドルだからね。体力には自信があるの。キツかったら僕が茨木をおぶるね」


 茨木の言葉に、少しムッとしてしまった様子の清良。張り切って石段を上がっていく。

 自信があるだけあって、早い。茨木の方が着いていくのに苦労した。

 自分も体力はつけているつもりだが、プロは違うなぁと感心してしまう。しかし、どう見ても自分の方が筋肉はあるように見えるし、彼は着痩せする方なのだろうか。

脱いだらすごいんだろうか。少し気になってしまう茨木だった。



 石段を上りきり、古びた山門をくぐると、そこには静謐な空気が漂う寺があった。本堂の裏手には、手入れの行き届いた庭園が広がり、季節の花々が静かに咲き誇っている。


「ここが、俺の育った家です」


 茨木が言うと、清良は感嘆の声を上げた。


「すごい……!本当に綺麗だね」


 清良の瞳には、都会の光とは異なる、自然の輝きが映っていた。


「こっちから村が一望出来るんですよ」


 茨木は「こっちこっち」と、清良を手招きした。

 木々の隙間から確かに村が一望出来る。青々とした田園風景が美しい。思わず息を呑む清良であった。


「茨木、帰って来たのなら挨拶しなさい。おや、お友達も一緒なんですね。珍しい。紹介して下さい」


 境内から顔を出したのは若い男である。


「よう、坊主。元気?」


 茨木は気楽な様子で男へ声をかけた。


「元気ですよ。貴方も元気そうで何よりです。えっと、私はこの寺の住職をしております元真(げんしん)と申します。貴方は?」


 元真と名乗る若い男は清良に握手を求める。


「僕は清良。アイドルをしているね。よろしくね」


 清良はアイドルの表情でウィンクする。

 元真は少し反応に戸惑った様子だ。


「清良さんはすっごい人気アイドルなんだぞ。握手してもらえるとか光栄なんだからな。感謝しろ」


 きょとんとした様子の元真に注意するように言う茨木だ。


「えっと、茨木くんと元真さんはどういう?兄弟とかでは無いよね?」


 年は近そうだし、茨木の態度はそれこそ兄とか弟に対する気安さを感じる。もしかして兄弟なのかもしれないが、清良にはよく分からなかった。


「うーん、孤児仲間ですかね?」

「なんですか孤児仲間って」


 少し考えてから答える茨木と、呆れた様子の元真。


「この寺の元住職が拾ってくれたんですよ。孤児院みたいになっていましたね。山奥で大変なので、今は麓にちゃんとした孤児院を建てましたけど」


 ハハッと笑う茨木。

 茨木の口調は明るいが、思いの外重い話が出て、清良は言葉に困る。

 自分は茨木の事を本当に何も知らないのだと、少し寂しい気持ちにもなるのだった。


「疲れた。休んで良い?」


 そう、茨木は元真に聞く。


「駄目です。帰ってきたのなら寺の掃除をして仏様にお参りしなさい。あと、親父の墓参りもしてきなさいね」

「分かってる。休んでからでもいいでしょう?」

「先にやってから休みなさい。清良さんはお部屋に案内しますね」


 茨木には厳しく言う元真だが、清良の事は部屋に案内にしようとする。


「ううん、僕も茨木くんと掃除したりするよ。二人でしたら早いでしょう?」

「えっ、いえ、清良さんは休んでてください!」

「ううん、決めた!」


 清良は部屋には案内されずに茨木の側につく。

 いつもなら影縫に頼んで強制的に休ませるが、いつの間にか妖怪達は何処かへ行ってしまっていた。

 まぁ、行き先は分かっているのだが。

 居ないと困るものであると実感する茨木である


「そうですか、では二人とも服を着替えてください」


 茨木と清良に着物を渡す元真だ。


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