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 スライムの妖怪に匿われていたホームレスたちの状態を大和刑事に伝え、無理に保護せずそっとしておく方が良いことを伝えた。

 おそらく大和刑事たちがいくらこの廃墟アパートでホームレスたちを探したところで、見つけることは困難だろう。

 大和刑事も理解してくれた様子で、この件に関しての調査は終わらせてくれるとのことだった。

 後始末を済ませた茨木と清良は、廃墟アパートを後にする。


 夕暮れ時、都会の喧騒が遠く聞こえるこの廃墟街は、先ほどまでの重苦しい空気が嘘のように、わずかな解放感に包まれていた。

 裂帛の背に乗らずに歩いて帰ろうと提案したのは茨木である。

 茨木も清良もどこか上の空だった。清良の心には、歌で人々の心を癒やし、妖怪の存在さえも穏やかに変えた体験が深く刻まれている。そして、そんな自分を信じ、導いてくれた茨木の存在が、何よりも大きく感じられた。 


「……茨木くん」


 清良がぽつりと呼びかけた。


「どうかしましたか、清良さん」


 茨木は清良の隣を歩きながら、その声のトーンから何かを察したように問いかける。


「僕、やっぱり茨木くんの傍にいたい」


 清良は立ち止まり、真っ直ぐに茨木を見上げた。その瞳には、迷いも不安もなく、ただ純粋な意思が宿っていた。

 今回の事件で、改めて清良は自らの力の意味を実感した。そして、その力を最大限に引き出し、守ってくれる茨木の存在の大きさを痛感したのだ。それは強く、魂の結びつきにも似た感覚だった。

 茨木も清良の言葉に、ゆっくりと足を止める。彼の表情は、一瞬複雑なものになったが、やがて静かに、そして確かな決意を宿した眼差しで清良を見つめ返した。

 茨木は清良のまっすぐな瞳を見つめた。言葉にしないまでも、清良が言いたいことが痛いほど理解できた。

 単に『傍にいたい』という甘えではない。清良の力の根源である『巫女』としての本能が、茨木という『陰陽師』を求めているのだ。そして、それは茨木自身も感じていたことだった。

 しかし、茨木はもう、清良を危険に巻き込みたくなかった。今までの清良は、歌声で彷徨える魂を成仏させてあげることと、人の心を癒やすことが主であった。

 それが妖怪や、例の鬼と対峙しなくてはいけなくなったのは、自分のせいだ。

 清良の歌声は自分を救ってくれる。力になってくれる。しかし、彼を失うことが怖かった。


「…危険なことも、これからもっと増えるかもしれません。以前よりも、もっと」


 茨木はあえてそう言った。

 疫鬼の存在が明らかになり、清良の力がその標的となる可能性が高まった今、彼を危険な道に巻き込むことへの葛藤がないわけではなかった。

 内心では「清良さんだけでも九尾ノ峰に行ってください」と、九尾に匿ってもらえれば安心できると考えていた。

 しかし、清良の言葉を聞き、彼の決意を見た今、自分もまた決意を示すべきだろう。

 清良は、茨木の言葉にも怯むことなく、ただ静かに頷いた。


「分かってる。だからこそ僕も一緒に、この力で何かを成し遂げたい。茨木くんが傍にいてくれるなら、僕は大丈夫だから」


 その清良の言葉に、茨木は心の奥底に温かいものが広がるのを感じた。

 今までは、どんなに近くてもどこか遠い存在として『守るべき対象』や『憧れ』として見ていた清良が、強い気持ちで自分の隣で共に戦おうとしている。

 それは、使命感だけではない、確かな絆が芽生えた証だった。


「……そうですか。なら」


 茨木は短く答え、拳を作って清良に突きつける。

 茨木は友人がいたことがなかったので、こういう時どうしたら良いのか分からない。

 頭の中で色々な引き出しを引いて出てきたのがこれであった。

 清良は何も言わずに笑顔で自分も拳を作り、茨木の拳に軽くぶつけるのだった。


「これからも頼みます、清良さん」


 茨木のその言葉は、陰陽師として、そして何よりも一人の人間として、清良を受け入れ、信頼している証だった。

 清良は、茨木の言葉と拳の感触に、安堵したように微笑んだ。彼の巫女としての覚悟と、茨木への信頼が、さらに深まった瞬間だった。

 茨木は改めて、今回の事件と疫鬼の動きについて思考を巡らせる。感情の残滓を『暗示』で操り、人々の『消えたい』という願いを利用した。それは、過去の事件とは異なる、より巧妙な手口だった。


「今回の件で、奴がただ逃げたわけではないと分かりました。奴は、私たちの目を欺き、新たな力を蓄えようとしていたのかもしれません」


 茨木は清良に語りかける。


「清良さんの力は、奴にとって想像以上に脅威だったはず。だからこそ清良さんを混乱させるようなやり方をしたのだと思います。必ずまた仕掛けてきます。今度こそ捕まえましょう」

「分かってるよ!今度こそ必ず捕まえよう」


 茨木は静かに、だが強い決意を瞳に宿した。清良を守るためだけでなく、同じような悲劇を繰り返させないためにも。それは清良も同じ気持ちだった。





 日が完全に暮れた中、東京のネオンが遠く瞬く。

 廃墟街の薄闇とは対照的に、清良の心には確かな光が灯っていた。茨木との間に芽生えた、より深く、強固な絆。それが、彼の巫女としての使命と、アイドルとしての自分を繋ぐ、新たな核となっているようだった。


 事務所に戻ると、茨木はすぐに妖怪たちを集めた。


「皆、今回の件、よくやった。絡繰童子、俺達が正気じゃないと知らせてくれて有難うな」


 茨木は、褒め言葉を惜しまなかった。

 絡繰童子の頭を撫でる。

 妖怪たちも、主からの労いに満足げな様子だ。


「しかし、あの鬼は狡猾だ。精神科クリニックが廃墟となった今、どこに潜んでいるか掴めていない。だが、奴は必ずまた仕掛けてくる。そして、清良さんの力を恐れている」


 茨木はそう言うと、妖怪たちに新たな指示を出した。


「逢魔。お前は、都内全域の妖気の流れをこれまで以上に警戒しろ。特に、人の『諦め』や『絶望』といった負の感情が渦巻く場所。そして、過去に精神科クリニックと何らかの繋がりがあった場所にも注意を払って探せ」

「はい、主。広範囲を隈なく探ります」


 逢魔は、その鋭い目を光らせて頷いた。


「絡繰童子。お前は、これまでの疫鬼の事件で共通するパターンがないか、改めて洗い出せ。特に、被害者の共通点や、事件現場の地形的な特徴、時間帯など、些細なことでも構わない。そして、疫鬼の過去の情報、例えば出没地域や伝承なども調べてくれ」

「承知いたしました。データ分析と情報収集、お任せください!」


 絡繰童子は、瞳を輝かせながら敬礼した。彼の情報収集能力は、現代の妖怪の中でも群を抜いている。


「裂帛、禍刻、影縫。お前たちは、清良さんの護衛を厳重に頼む。奴は清良さんを狙う可能性が高い。少しでも不審な気配があれば、すぐに知らせろ」

「御意!」

「お任せを!」

「はい」


 三匹の妖怪が、それぞれ力強く返事をした。

 清良は、妖怪たちが真剣な表情で指示を受ける様子を、隣で静かに見守っていた。彼らが自分を守り、共に戦ってくれることをあらためて心強く思う。


「茨木くん、僕も何か手伝えることはないかな?歌以外にも……」


 清良が問いかけると、茨木は少し考えてから言った。


「清良さんは、そのままでいてください。清良さんの存在そのものが、奴にとっては最大の脅威であり、私たちとっては最大の光です。それに、普段通りの生活を送ることで、何か新たな変化や妖気を感じ取れるかもしれません」


 茨木はそう言って、清良の肩をポンと叩いた。彼には、清良が普通の生活を送ることが、精神的な安定と、妖怪と人との世界におけるバランスを保つ上で重要だと分かっていた。

 そして、その中で清良が感じる些細な違和感が、次の手がかりとなる可能性も秘めている。

 清良は納得したように頷き、ふと窓の外を見た。遠くの空に、一番星が瞬いている。


「きっと見つけられるよ、茨木くん。今度こそ、あいつを捕まえて、誰も悲しまないようにしよう」


 清良の言葉は、静かな夜の闇に、確かな希望の光を灯していた。茨木もまた、その言葉に力強く頷くのだった。彼らの追跡は、新たな局面を迎えていた。


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