「俺の声だけ聞いていてください」
茨木は清良に耳打ちすると、御経を唱え始めた。あらゆる音色に頭を痛めていた清良は、茨木の声に耳を澄ませる。
茨木もまた、疫鬼の暗示に昔の事を思い出しそうになるが、何とか意識を御経に集中させた。
茨木が投げた清良のサインはまやかしである。自分たちにはただの紙切れに見えるが、自分と清良の変わり身となっていた。
その証拠に清良に襲いかかろうとしていた茜は踵を返し、紙切れの方へと向かう。
茨木は成功している事を確信し、妖怪達に結界を解かせた。それと同時にドアを開けて清良を背中に隠したまま影に隠れる。
妙な笑顔を浮かべたスタッフたちがユラユラと千鳥足になりつつ、室内に雪崩混んできた。
みんな視線は紙切れに夢中である。その中で茨木は暗示を唱える本体を見つけた。番組のスタッフに紛れ込む疫鬼を。茨木は視線で影縫に合図を送る。影縫は直ぐに茨木の意図を汲んで動いた。
「主、影を取りました!」
疫鬼も茨木と清良の変わり身に意識を集中しており、反応に遅れた。影縫はその隙を逃さず、影を制圧する事に成功した。
「くっ…クソッ!」
疫鬼は暴れ、影縫に術をかけようとする。
「結界の陣形!」
茨木が掛け声をかけると、妖怪達は直ぐに疫鬼を囲んで結界を張る。茨木は妖気の網を作り、疫鬼を絡め取った。
「一旦、そいつを廊下に出してドアを閉めろ」
疫鬼を捉えた事で暗示は止まり、茨木と清良の頭痛は止まったが、人々は反動から泣き叫んだり、笑ったり、暴れまわったりしている。さながら地獄絵図と化していた。
結界を張った妖怪達は、その陣形を崩さないように疫鬼を連れて廊下に出る。茨木がドアを締めた。部屋の中では20人程がひしめいている。
「清良さん、歌えますか?」
「うん、聞こえる」
疫鬼の暗示が止まり、清良は歌うべき音色が聞こえた。
清良が歌うと、あたりは次第に落ち着きを取り戻す。ホッとした表情になり、倒れ込む人や「えっ……私はどうしてここに?」と、唖然とした表情になる人が多い。
清良は歌を終えると、いつも通り人数分のサインをして「兎に角あげるね!」と、押し付ける。
彼は本能的にやっているが、これも巫女の力で作り出した札を渡し、魔除けをしているのだ。
「茨木くん、この建物内の人々も強い暗示にかけられているから、僕が落ち着かせなきゃ!放送室から歌う」
「わかりました、そちらは清良さんに任せます。俺は疫鬼を対処します」
「うん、任せて」
清良は直ぐに館内放送を流す為の事務室へ急いだ。茨木は廊下に出る。
妖怪達は疫鬼をすみに運んでくれていた。疫鬼は暴れ、茨木を睨む。
「疫鬼、何か言い残す事はあるか?」
そう、冷たい声で言う茨木は疫鬼の首筋に愛刀を押し付けるのだった。
事務室まで駆けつけた清良は放送室から歌声を流す。清良の歌声は降り注ぐように館内に光を溢れさせた。
館内にいた人々は「あれ?頭痛が治ったぞ」「何だったんだ?」「なんか、すごい目眩がしたけど」「これ、清良さんの歌声?」「何があったんだ?」と、ざわざわする。
清良はホッと胸を撫で下ろした。ざわつく悲痛な声はおちついている。
館内の被害は大きいが、都内全域の暗示は疫鬼を捕獲した事で、何事も無かったかのように落ち着きを取り戻したようだ。
清良は急いで茨木の元に戻る。
「人間は自分勝手だ!豚肉や鶏肉は食べる癖に、俺達が人間の負の感情を食べるのは許されないのか!!」
疫鬼は悔しそうに顔を歪め、茨木に叫ぶ。普通の人々からは見えないように、逢魔と禍刻が二人で隠していた。
「弱肉強食だと言いたいのか?俺達も降りかかる火の粉は振り払わなければならない。悪いがそれもまた自然の摂理だろう」
「俺の仲間はみんな陰陽師にやられた。もう、俺は一人だ」
冷たく言う茨木に憎々しく言う疫鬼。悔しそうに睨む瞳から涙が溢れている。
「俺を消したからと言って闇が消えるわけじゃない。強い光があれば、そこには強い影が出来るものだ。それもまた自然の摂理だな」
ハハッと乾いた笑い浮かべた。戻って来た清良は、鬼の姿が哀れに見える。
「茨木くん、どうする気?」
「切ります。鬼ですし、地獄がお似合いでしょう」
茨木は刀を振り上げる。
「待ってよ。僕に歌わせて」
「は?こんな妖怪も助けようと言うのですか?」
清良は茨木の手を掴む。茨木は信じられないと言いたげに清良を見た。
「要らん。人思いに切れ」
鬼も、覚悟したように目を瞑っていた。
「分かるよ。寂しかったんだよね。だから優しい妖怪ばかり狙って暗示をかけたんじゃないの?仲間が欲しかったんじゃないの?」
「違う。妖怪の癖に人間や他の妖怪の為に動く奴が気に食わねぇだけだ」
「素直じゃないね。心は寂しいって言っているけどね」
清良は鬼の胸に手を置く。心は『一人が寂しい』と、言っていた。清良はその気持ちに耳を傾け、音色を聞き取り歌を奏でる。
「やめろ!お前のそれも俺の暗示と同じだ。俺に暗示をかけるな」
抵抗する鬼は耳を塞ごうとする。影を制圧している影縫がそれを許さなかった。
清良は思いを込めて、鬼へ歌を届ける。鬼はポロポロと涙を溢れさせた。
「俺だって人間の負の感情を食べなくて良い妖怪だったら良かった。でも、お腹はすくし、みんなからは嫌われるし。鬼は外って豆を投げつけられるんだ。どうしろって言うんだああぁぁ!!!」
うわあぁぁん!!!と、塞ぎ込んでしまう疫鬼だ。
「俺だって一人は嫌だ。でも皆俺を嫌うんだ!俺はただ腹が減ったか飯を食べてるだけなのに、消そうとしてくる。何でなんだ、俺が何したっていうんだあぁぁぁ!!」
泣き叫ぶ疫鬼に、清良も茨木も、他の妖怪達も哀れに見えてくる。流石に可哀想で切れない茨木は刀を引っ込めた。
「茨木様の眷属になるか、九尾ノ峰の妖狐の所へ行ってはどうですか?」
絡繰童子が提案する。
「そうですよ。俺も昔は人間の負の感情を食べる妖怪でしたけど、主が眷属にして下さったので、主の霊気を食べて生きてる」
「俺も本来は人間の負の感情を食べる妖怪だ」
ウンウンと頷く影縫と裂帛だ。
「禍刻と逢魔もそうだな。違うのは絡繰童子だけだ。しかし、疫鬼となると、賄い切れるかどうか……」
そもそも禍刻と逢魔はそこまで負の感情を食べず、普通に生活する分には問題ない。影縫と裂帛は茨木が居なくなると人間を襲わなければいけないが、疫鬼と比べたら摂取量ははるかに少なくて済んでいるだろう。茨木にとっても何の影響もない程度である。
「人間の眷属になるなら死んだ方が増しだ。さっさと切れ!」
「九尾の所に行けよ」
「あの人は二度と来るなと……」
「俺が頼んでやるから」
九尾を怒らせてしまった疫鬼は肩を落とす。茨木は疫鬼の肩をぽんと叩いた。
「俺と絡繰童子で頼んでみます。九尾は俺達を家族だと思っているので、まぁ、聞き入れてくれるでしょう。あれも一人で寂しがってましたし、ちょうど良い。背中に乗りな!」
裂帛の掛け声で影縫は疫鬼の影を制圧したまま背中に乗る。逃げない為に念のため、制圧は外せなかった。
絡繰童子も続く。
「悪いな裂帛、絡繰童子、影縫。頼んだ」
茨木は裂帛を撫でる。裂帛は頷くと一陣の風となり、消えた。
「疫鬼から陰湿な妖気は消えていたから大丈夫だよ。鬼も寂しかったんだね」
清良は疫鬼がもう悪さをしないだろうと、茨木の肩を叩く。茨木も頷くのだった。
逢魔と禍刻が隠しを外すと直ぐにスタッフが駆け寄って来た。
「清良さん、探しましたよ!体調は大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ」
「異臭騒ぎがありまして、数人が体調不良で緊急搬送されたんです。出元が清良さんの控室なようで、今、調査してる所です。何処へ言っていたんですか?」
「え?トイレ」
清良は茨木と目を合せ、出てきた言い訳はありきたりなものだった。