「グオオオォォォ!!!」
唸り声をあげ、威嚇しながら襲いかかる疫鬼は、九尾が溺愛している哀羅(あいら)とはもう違う。ただ使役されるだけの鬼へと成り果てていた。
茨木は攻撃を仕掛けるわけにもいかず、防戦一方だ。
「哀羅、俺だ。茨木だ。分かるだろ?九尾の所へ帰ろう」
そう語りかけても、鬼には届かない。
「朔夜(さくや)様の使役となった鬼だ。朔夜様の言うことしか聞かん」
ハハハッと高笑いする成満。
「朔夜?知りませんが、本人は何処にいるんですかねぇ?」
「朔夜様が出てくるわけがないだろう」
「ああ、引きこもりってやつですか?根暗だな」
茨木には良く分からないが、朔夜という者が裏で糸を引いているらしいことは理解できた。
「疫鬼、いや、哀羅!僕の歌を聞いて!!」
清良は九尾の嘆きも聞き入れつつ、哀羅のために歌を捧げる。
その声は哀羅に届いた。
「きゅうびさま……」
そう、小さく呟いたのを茨木は見逃さない。
「そうだ九尾の所へ帰ろう。九尾が待ってる」
「かえりたい」
鬼の表情が、哀羅のものへと戻る。
「煩い黙れ!!鬼よ、あの者を生け捕りにしろ!!」
双子は呪詛を唱えつつ、哀羅に命令を出す。
「うゔ、グオオオォォォ!!」
哀羅はその声にまた鬼へと変貌し、清良に襲いかかった。清良はさらに強く歌う。
「清良、お前の名前は何だ!!」
成満は清良の名前を問う。それは、清良の名前を知り、操るためのものだ。清良はまだ双子からの呪詛が抜けていない。茨木はしまったと思った。
「清良さん!教えては駄目だ!!」
すぐに影縫に清良の口を抑えるように視線で合図を送った。しかし、少し間に合わない。
「瞬」
と、名前を告げてしまった。
「清良が苗字で、瞬が名前か?」
そう、土河成道が尋ねる。
「うぐぐ」
清良の口を影縫が抑えているため、確認はとれていない。しかし、『瞬』と喋ってしまった。
清良の歌声は止まってしまったので、鬼は清良を生け捕りにしようと動いている。茨木はまず鬼の動きを止めることに専念しなければいけなかった。霊力で網を作り、取り押さえる。
「グオオオォォォ!!」
暴れまくる哀羅。
苦しいだろう。申し訳ない。
「清良瞬、我々についてこい」
茨木が哀羅に手こずっている間に、成満が命令を出す。
清良の影は影縫が抑えているため、命令を聞けないだろう。そうなると、清良の心が壊れる恐れがある。
「影縫、清良さんを解放しろ」
苦肉の策だが、一旦、清良の拘束を外すしかなかった。清良の心が壊れることは、何が何でも避けなければならない。
「来い、清良瞬」
成満が清良を呼ぶ。
清良は口を開くと、哀羅のための歌を続けた。
「どういう事だ!?」
清良の名前を奪ったはずだと言うのに、清良は言うことを聞かない。
双子は混乱した。
「哀羅!戻ってこい!」
茨木は哀羅の表情に再び戻った鬼の手を引く。
「早く、契約を!」
正気に戻った哀羅だが、いつまた意識を持っていかれるか分からない状態である。それを恐れ、茨木との契約を迫った。
「分かりました」
あれほど人間からの使役を嫌がっていた疫鬼である。プライドも何もかも捨てて、茨木の手を借りたがっていた。
相手の力がどれほどのものか茨木には分からない。もし、相手の力が茨木より上の場合、使役の契約は跳ね返り、呪いとなって自分の命を奪いかねなかった。
しかし、九尾や哀羅の気持ちを思えば茨木は躊躇わなかった。
「主!」
「茨木!」
影縫と裂帛には哀羅と茨木の会話が聞こえていた。茨木を心配し、名前を呼ぶ。
「鬼塚茨木は今、哀羅と契約を結ぶ。哀羅は俺のために動き、俺の言う事を聞く。その代わり、俺の霊力を食え」
そう、契約の言葉を述べた。哀羅は頷くと、茨木の親指に口づけする。途端に、バチバチと弾かれるように電流が流れた。
駄目だ。
茨木は本能的に危険を感じる。
「茨木くん、哀羅!」
清良が走り出す。
茨木の様子に青ざめる影縫と裂帛は清良を見ていられる状況になかった。
「清良さん、駄目だ!」
駆け寄る清良を止める茨木。このままでは清良まで巻き込まれる。
「何言っているのさ、僕らバディでしょ」
清良は躊躇う事なく、茨木と、哀羅の手に自分の手を重ねる。
すると反発する電流は次第に収まっていった。
茨木はゆっくりと手を離す。
「契約がまとまりました」
無事に契約が成っていた。
一瞬、夢なのではないかと思うほどである。
「そんな馬鹿な……」
「ありえん」
双子も一部始終に混乱していた。
「一旦引こう」
「覚えてやがれ!!」
実力は茨木の方が上であり、鬼まで取られた双子の劣勢は明らかであった。ハッとしたようにその場から風のように消える双子。
残された茨木と清良、そして哀羅、影縫、裂帛はいまだに何が起こったのか良く理解出来なかった。
「主!!!良かったああぁぁ」
「茨木!!!」
最初に泣き声をあげたのは影縫である、そしてそれに続いて裂帛が茨木に抱きつく。
「痛い痛い、抱き潰す気か!」
せっかく助かったのに、裂帛に殺されるかと思う茨木である。
「じゃあ、哀羅に命令を出すぞ。良いか?」
哀羅を見る茨木。
哀羅は複雑そうな表情であるが、跪く。
「はい、主」
そう、頭を下げた。礼儀正しい姿は九尾の躾の賜物だろう。
「哀羅はそのままでいろ、そして九尾の所へ帰れ。二度と他の主に尻尾を振るんじゃないぞ。お前は九尾に尻尾を振ってれば良いんだからな」
そう、命令する。
哀羅は一瞬、「は?」という表情を見せる。
「俺、九尾様の所へ帰って良いのか?」
「ああ、腹が減ったらたまに俺の所も来ていいけど、九尾の所で足りるなら九尾の所に居たら良いさ」
「お前、良い奴だったんだな!」
哀羅はやっと笑顔を見せると、茨木の手を握るのだった。
「ああ、お前は意外と可愛いやつだったんだな」
これは九尾も溺愛するわけである。
「じゃあ、裂帛は哀羅を九尾の所に届けてくれ」
「はい!主!」
裂帛は哀羅を乗せると颯爽と九尾ノ峰に向かった。
「影縫はあの双子の事を調べておいてくれ」
「はい、主」
影縫は茨木の命令に従い、影に消える。
茨木と清良が残った。
「まったく、また無理して。失敗したら死んでました」
茨木は溜息をつく。清良は呪詛を受けながらも無理をして動いたので疲れ切って動けない様子だ。
茨木は解呪しようと数珠を取り出す。
「無理したのは茨木くんでしょう!僕が行かなきゃ死んでた!」
清良はプンプンである。
茨木は経を唱えて清良の呪詛を解呪した。
「すごい、楽になった」
「有難う」と、身体を起こす清良だが、まだ動けないようだ。
「手首、赤くなってしまいましたね。痛くないですか?」
清良は色が白いので、赤い跡が目立つ。痛々しい。
「全然痛くないよ」
「強がってばかりですね」
ハハッと笑う茨木は清良を抱き上げる。
「ちょっと!!何するの?」
「ずっとここに居るわけにいかないでしょう。近くのホテルにでも泊まりましょう」
「だからってこの抱っこは嫌だね!」
「おんぶが良かったですか?」
茨木は一旦清良をおろしておんぶし直すのだった。