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 茨木は清良をおぶったまま、人気の少ない路地裏を抜けて、近くのビジネスホテルへと向かった。

 清良は呪詛と激しい戦いの疲労からか、おぶられたままぐったりとしている。


 ホテルに着くと、茨木は慣れた手つきでチェックインを済ませ、清良を部屋のベッドにそっと下ろした。清良は眠っているのか、静かに息をしていた。

 茨木は、部屋に備え付けの救急箱から消毒液と軟膏を取り出すと、彼の腕を慎重に手当てする。熱を持った皮膚に触れるたび、清良が微かに身じろぎをするが、目を覚ますことはなかった。


 手当てを終え、茨木がベッドサイドの椅子に腰かけると、清良がゆっくりと目を開けた。


「……茨木くん」


 掠れた声で清良が呼ぶ。


「目が覚めましたか。気分はどうです?」


「最悪……でも、なんとか。ありがとう、茨木くん。また、助けられた」


 清良は弱々しく笑い、ブレスレットの跡が残る腕を見つめた。


「あのブレスレット……ミコトっていうアイドルの子がくれたんだ。巫女の力が有るんだって。すごく安らぐ感じの子だったんだけどな」


 その声には、信じた者に裏切られたことへの戸惑いが滲んでいた。


「ミコトは、どうやら斎宮朔夜(さいぐう さくや)とかいうヤツの手下ですね。九尾が哀羅を奪われ、外界を透視した事で分かったのですが、おかげで清良さんの危機に駆けつける事が出来ました」


 茨木の心情は複雑だった。もし、奴らが哀羅を九尾から奪わなければ、清良の危機に駆けつけられたかどうか。


「斎宮朔夜?」


「俺も良くは分からないのですが、九尾が言うには陰陽師である斎宮家の紋だったと。そして、双子が『朔夜様』と言っていたことを考えれば、黒幕は斎宮朔夜なる者かと。それから、斎宮は俺を捨てた家だと九尾は言っていました。もしかしたら相手は俺の兄か弟かもしれません……」


 清良の疑問に、茨木はためらいがちに口を開く。


「そして呪術において、相手の真名を知ることは、その者を支配する上で重要な意味を持ちます。ミコトさんには、貴方の本名を探らせていたのでしょう。幸い、あなたは自分の芸名しか伝えていなかったようですが」


 そう続けた。清良は自分の本能的な行動が、結果的に身を守ったことに驚く。


「本名を隠そうとしたのは、そういうことだったんだ……。でも、あの双子の呪術師たちは、茨木くんの本名を知ってるって言ってたよね?」


 清良の言葉に、茨木はフッと乾いた笑みを漏らした。


「奴らは、俺の本名を知った気でいるだけですよ。俺自身、自分の本当の名前を知りませんから」


 清良はポカンとする。


「知らないって……どういうこと?」


 茨木は、自分が捨て子であること。寺に預けられ、妖狐に育てられたこと。そして、その生い立ちから「鬼塚茨木」という名を与えられたことを簡潔に語った。

 自身のルーツを知らないという事実を、これほど淡々と語る茨木に、清良は胸を締め付けられるような思いがした。


「そうだったんだ……。大変な思いをしてきたんだね」


 清良の言葉に、茨木は首を横に振った。


「感傷に浸る必要はありません。それよりも、あの疫鬼……哀羅のことです」


 茨木は話を本筋に戻した。九尾が哀羅に与えた名前を口にする時、彼の声には微かな哀しみが混じっていた。


「哀羅……九尾様が、とても可愛がっていたんだね。僕の歌が、少しでも届いて良かった」


 清良は目を伏せ、哀羅の苦しみが自分にも伝わってきたことを思い出す。


「奴らは、哀羅をただの道具としか見ていない。斎宮朔夜が、何のためにそこまでして奴を使役したのか……。もしかしたら都に蔓延る不穏な霧は繋がっているのかもしれません」


 茨木はそう呟き、深く思考に沈んだ。

 清良は、そんな茨木の横顔をじっと見つめる。

 彼の瞳には、いつもの冷徹さとは異なる、静かな怒りと、深い使命感が宿っているように見えた。


「茨木くん。僕は、茨木くんの力になりたい。僕の歌声が、誰かを救うためにあるのなら、僕は歌い続けるよ」


 清良は静かに、しかし力強く言った。

 茨木は清良の方へ顔を向け、その真っ直ぐな瞳を見つめる。


「あなたのその力は、使い方を間違えれば、あなた自身を危険に晒すことになる。これからは、もっと慎重に…」


 茨木が言いかけると、清良は少しだけ顔を近づけ、真剣な眼差しで茨木を見返した。


「分かってる。でも、茨木くん一人に背負わないでよね。僕ら、バディでしょう?」


 清良の言葉に、茨木は一瞬、言葉を失う。

 「バディ」その言葉が、凍てついた茨木の心に、じんわりと温かい光を灯した。

 茨木は静かに頷いた。


 夜が明け、新しい朝が訪れようとしていた。



「そう言えば『瞬』と、言うのは何だったんですか?」


 急なチェックインでダブルしか取れなかった茨木は、清良と一緒にベッドに入った。

 すでに電気を消したが、眠れない。

 清良も目を開けていたので話しかける。


「ああ、僕の名前。神無月(かんなづき)……」


「えっ、待って下さい。俺に本名教えちゃってどうするんですか!!」


 何でもない事のように苗字を言ってしまう清良。神無月まで聞いてしまった。と、言うことは、彼の本名は「神無月瞬」ということになってしまう。


「茨木くんは僕を操りたいの?」


「そんなわけないじゃないですか」


「じゃあ問題ないね。茨木くんの口は固いだろうし。瞬くんって気軽に呼んでくれてもいいよ?」


 茨木を見て笑う清良。


「でも……」


 清良が本名を教えてくれても、自分はそれを返すことができない。

 本名が分からないのだ。

 それが急に申し訳なくなる。


「茨木くんも本名が分かったら僕にだけこっそり教えてね」


 清良はフフッと優しく笑い、目を閉じた。


「おやすみ。早く寝よう。今日は疲れたから」


「はい、おやすみなさい」


 清良の言葉に、茨木も挨拶を返し、瞳を閉じるのだった。


 二人は疲れていたのか、その後すぐに深い眠りに落ちるのだった。


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