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第10章 都に迫る脅威

1

 土河成満と土河成道は夜の帳が降りた都の奥深く、人目を避けるように佇む古びた屋敷へと急いでいた。

 清良を捕らえることに失敗したどころか、疫鬼まで失い、得るどころか失って戻るのだ。双子の心境は戦々恐々としていた。


 屋敷の門をくぐると、ひんやりとした空気が肌を刺す。そこは、茨木の生家であり、呪術を司る斎宮家(さいぐうけ)の本邸である。

 屋敷の奥、静寂に包まれた広間の中央で、斎宮朔夜(さいぐう さくや)は静かに座禅を組んでいた。

 蝋燭の微かな光が、彼の端正な顔立ちをぼんやりと照らす。その顔には、感情と呼べるものはほとんど浮かんでいなかった。


「朔夜様、戻りました」


 成満が恭しく膝をつき、報告を始めた。成道もそれに倣い、頭を下げる。


「…無事に、清良の真名を聞き出せました。しかし、清良は我らの命令に服しませんでした」


 成満がそう告げると、朔夜の閉じていた目がゆっくりと開かれた。その瞳は、深淵を覗き込むような、底知れない色をしていた。


「ほう……『瞬』と『清良』。厄介なことだ。まさか、あの歌声の持ち主が、二つの名を持つとは」


 朔夜の声は、感情を帯びていないにもかかわらず、場に重い圧力をかけた。

 成満と成道は息を呑む。


「して、疫鬼はどうしたのだ」


 チラリと成満と成道に視線をおくる朔夜。

 その冷たい視線に、緊張し、冷や汗が吹き出す。


「そちらも……鬼塚茨木に奪還され、彼の使役となりました。まさか、奴が契約を結ぶとは……」


 成道の言葉に、朔夜の眉が僅かにぴくりと動いた。


「鬼塚茨木か。やはり、あの男は厄介だな。あの異形の力……我らが斎宮の血が、あのようなものを作り出すとは」


 朔夜は静かに呟く。

 その言葉には、茨木への侮蔑と、そして彼自身への苛立ちが入り混じっているようだった。


「ですが、朔夜様。清良の歌声を封じるブレスレットは、確かに効果を発揮しました。あの男を操る糸は、まだ我らの手中にあります」


 成満が血走った目で訴える。


「あのブレスレットは、巫女の力を一時的に抑制するに過ぎない。しかも、不完全に。完全に彼の力を操るには、本名、あるいは魂に深く刻まれた『真実』が必要だ。そして、それを覆すほどの別の力が、彼には作用しているようだな」


 朔夜は、静かに立ち上がる。広間に漂う冷気が、さらに深まった。


「だが、計画に遅れは許されぬ。都の『穢れ』は、我らが想像以上に深く根を張っている。浄化には、より強力な『力』が必要だ」


 そう続けた朔夜は、広間の壁に飾られた古びた巻物を指差した。

 巻物には、複雑な紋様と、古の呪文が記されている。


「計画を早める。『穢れ喰らいの儀(けがれくらいのぎ)』の準備を進めよ。清良の歌声は、そのための触媒となる。少々強引になっても構わない。都を浄化するためならば、多少の犠牲は止むを得まい」


 朔夜の瞳には、狂信的な光が宿っていた。



 その頃、都では、夜の闇に紛れて、不穏な影が動き始めていた。


 人々の間に広がる漠然とした不安、意味不明な体調不良を訴える者が増え、奇妙な悪夢にうなされる者も少なくない。

 微かな霊感を持つ者は、空気の澱みを感じ取り、得体の知れない恐怖に震えていた。

 禍時と逢魔が監視していた都市の異変は、日を追うごとにその濃度を増していたのだ。







「清良さん、無理は……」


「大丈夫。ツアーコンサートは今日が最後だから」


 同じベッドで目を覚ました茨木と清良。

 清良の顔色はあまり良くない状態である。


 清良より先に起きた茨木は、すでに朝食をルームサービスで頼み、テーブルに並べていた。


「茨木くんてこういうの手際良いよね。普通にモテそう」


 パンにバターを塗りながら、ハハッと笑う清良だ。


「実際にモテる人から言われても……実際モテませんし」


 彼女いない歴年齢である。

 茨木は恥ずかしかった。


「茨木くんは外に出ないでしょう?」


「確かに、出会いがありませんね」


「でもさ、今までに妖怪関係で困ってる女性を助けたりしなかったの?そこから恋に発展したりとかさ」


「そういった事はありませんでしたね。それと、どうして朝からこんな恋バナをしているんですか?」


 茨木もパンにいちごジャムを塗りつつ、居た堪れなさで眉間に皺を寄せてしまう。


「僕の気分が上がる」


「非モテ陰キャの話が面白いと?」


「もー、絶対に茨木くんはモテるから!あと、陰キャじゃないし」 


「俺たちは非モテ陰キャとかモテモテ陽キャのタッグじゃないですか」


「え?僕が非モテ陰キャって事になるじゃん」


「なりませんよ!」


 なんでだ!とツッコミを入れる茨木に、楽しそうに笑う清良。


「やっぱり茨木くんと話してると元気出る」


 笑いすぎて涙まで流す清良の表情には、確かに明るさが戻っていた。


「そろそろ行かなきゃ!」 


「チェックアウトしたら俺も行きます。というか、多分、もう裂帛が来てるので、裂帛で行きましょう」


「そうなの?」


 裂帛の気配を感じない清良は首を傾げた。

 しかし、次の瞬間、清良の頬を一陣の風が撫でる。


「ただいま戻りました主!」


 裂帛は人の形に変化し、茨木たちの前に現れて跪く。


「堅苦しいのは良い。行こう。裂帛は外で待っていてくれ」


「承知しました」


 茨木と清良はまず、チェックアウトに向かった。



 ホテルを出た茨木と清良は、外で待っていた裂帛の背に乗る。


「わー、これこれ。安心する〜」 


 清良は走り出した裂帛に感激する。この移動方法も久しぶりだ。なんだか懐かしい気がする。一ヶ月ほど離れていただけだというのに。

 やっぱり僕は寂しかったのだろう。

 不思議だ。

 最初はあんなに悲鳴をあげていたのにな。


 清良は裂帛の乗り心地を楽しむのだった。

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