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第12章 崩壊と歌声

1

 茨木の腕の中で、清良はゆっくりと呼吸を落ち着かせた。

 呪詛は解けたものの、まだ顔色は蒼白で、体の震えが止まらない。

 マネージャーは安堵と疲労でへたり込み、影縫もまた、清良の無事に深く息を吐いていた。


「清良さん、立てますか?」


 茨木が優しく問いかけると、清良は小さく頷き、茨木の肩に手を置いてゆっくりと立ち上がった。

 視線はまだ定まらないが、先ほどの虚ろさは消えている。


「ここ、どこ……?」


 清良の問いに、茨木は簡潔に状況を説明した。

 土河兄弟のこと、斎宮邸で進行している儀式のこと、そして宗源が朔夜に敗れた可能性。

 清良の顔に、驚愕と、そして深い悲しみが広がった。


「僕のせいで……」


「違います。これは、斎宮家の、そして都の宿命です。清良さんは、その渦中に巻き込まれてしまっただけだ」


 茨木は清良の手を強く握りしめた。

 彼の視線は、斎宮邸のある方角へと向けられている。

 都の空は、さらに禍々しい色に染まり、黒い稲妻が不規則に夜空を走り、ビル群の隙間から不気味な光が漏れ出している。

 地面は微かに振動を続け、あちこちで小さな爆発音が響き渡っていた。


「主、斎宮邸へ向かいますか?」


 絡繰童子が茨木の背後で尋ねた。


「ああ。朔夜を止める。そして、この都の穢れを、清良さんを犠牲にすることなく鎮める」


 茨木の声には、迷いがなかった。


「都の状況は、さらに悪化している。斎宮邸へ向かう道中も、無事ではあるまい」


 裂帛の言葉通り、彼らの周囲では異変が進行していた。

 先ほどまでかろうじて形を保っていた人々が、次第にその姿を歪ませ、怨霊のようなものへと変貌し始めていたのだ。

 彼らは徘徊し、生者を見つけると襲いかかろうとする。


「マネージャーさん、影縫、絡繰童子、裂帛は清良さんを頼みますよ」


茨木はそう言うと、清良の手を裂帛に託した。


「待て、茨木!一人で行く気か!」


 裂帛が慌てて呼び止めるが、茨木はすでに走り出していた。

 彼の体から、炎力(えんりょく)が溢れ出す。

 それは九尾の守りが切れたことを意味していた。

 茨木が己の力にかけられたリミッターを外したのだ。

 都の穢れを払うかのように、金色の霊気が闇を切り裂く。


「絡繰童子、影縫、マネージャーさんと清良さんの護衛を頼む!俺は茨木を護衛する」


 裂帛は茨木の後を追いかける。


「僕も行く!」 


 清良は止める暇もなく、裂帛の背中に乗ってしまう。


「清良様!」


「僕は降りる気ないからね!」 


 裂帛は困るが、清良の意思は強い。

 影縫が影に入れば止められるが、影縫は本当にマネージャーを庇うのが手一杯なのだ。身動きが取れない。

 性質的なものなのだろう、影に紛れるタイプの妖怪はこの事態の影響を受けやすいようである。

 絡繰童子はピンピンしているが、影縫の方はマネージャーを庇っていなくても結構危うい状態だ。

 そして極めつけに逢魔と禍時に連絡が取れないのである。

 彼らは既に影響を受けて動けない状態なのだろう。

 妖気を探るが、この状況では二匹の妖気を察知することは困難だった。


「まかせて!」 


 絡繰童子は明るく言うと、その小さな体からは想像できないほどの素早い動きで、マネージャーと影縫を庇うように前に立つ。

 彼が身構える先には、醜く歪んだ顔をした怨霊が、呻き声を上げながら迫っていた。





 茨木は先頭に立ち、都を覆う穢れの中を突き進む。

 清良を乗せた裂帛は茨木の後ろについた。

 かなり集中している様子の茨木は、後方の裂帛と清良には気づいていない様子である。


 道路はひび割れ、ビルの一部が崩落している。

 視界の端に、黒い塊が蠢いているのが見えた。

 穢れが凝り固まり、巨大な異形の姿を成し始めているのだ。


(朔夜……お前は、都を救おうとしているのではない。滅ぼそうとしているんだ!)


 茨木の怒りが、彼の炎の力をさらに増幅させる。

 彼は得物を抜き、道を阻む怨霊の群れをなぎ払おうとした。 


「だめ!!」


 後方で叫ぶ声が聞こえる。


「清良さん?どうして!?」


 振り向く茨木はやっと清良の存在に気づいた。


「それは人でしょう?苦しんでいる。僕が歌わなきゃ!」 


「いけません清良さん!」


 清良は裂帛から降りると茨木の隣に立ち、茨木が刀をおさめると『ラララ』と、歌いはじめる。

 清良の唇から紡がれたのは、澄み渡る賛美歌だった。

 呪詛の影響で出せなかったはずの声が、茨木の隣に立つことで、まるで堰を切ったかのように溢れ出す。

 その歌声は、都に澱む穢れを押し返すように広がり、醜く変貌していた怨霊たちの耳に届いた。  


「っ……ああ……」 


 呻き声を上げていた怨霊たちは、その歌声を聞くと、一瞬にして動きを止めた。

 彼らの歪んだ顔には苦悶の表情が浮かび、体にまとわりついていた黒い靄が、まるで薄氷のようにひび割れていく。

 やがて、その靄は霧散し、怨霊たちは元の人々の姿に戻り、その場にぐったりと倒れ込んだ。

 安らかな表情で眠る人々。

 それは完全なる浄化であった。


「うっ……痛いっ」  


「清良さん!!」


 眉間に皺を寄せる清良。

 その腕を見ると、一部黒く変色している。

 そしてまるで氷のように冷たいのだ。


「清良様が器として覚醒してしまわれた……」


 裂帛は言葉を失う。


「どうしたら良い?」 


 茨木は焦って裂帛に聞くが、裂帛は首を振った。

 清良の黒くなってしまった腕を触っても、茨木には何の解決方法も浮かばない。


「僕、行かなきゃ……」


 清良はスッと視線を斎宮邸に向ける。


「苦しむ人々を助けないと」


 清良は操られている訳ではない。

 それは使命感で足を動かしていた。


「待ってください清良さん。浄化してしまったら貴方は……」


「でも、僕が浄化しなければ都は崩壊する一途だよ」


「しかし、それでは朔夜の思う壺です。朔夜を神にするのですか?」


「人々が苦しんでいて怨霊になってしまう方が良いって言うの?」


「そうじゃありません!」 


「なら、僕が浄化するしかない」


 清良を引き留めようとする茨木だが、清良の歩みを止められないまま、斎宮の結界に阻まれる。

 清良は結界をすり抜け、まっすぐ斎宮邸に進む。 


「清良さん!行かないでください。待って、俺たち、バディーじゃなかったんですか!!」


 茨木は必死に清良に呼びかけた。


「ごめんね。茨木くんに会えて、僕は初めて幸せを知ったと思うよ。さよなら」


 清良は一瞬だけ茨木に視線を投げたが、直ぐに外した。

 それからは振り向くことはなく、斎宮邸へ消えていく。


「クソッ!!」


 茨木は結界を破ろうと、数珠を手に取り経を唱えるが、朔夜の霊力は既にかなり上がっている。

 茨木の霊力では太刀打ちできない所まできてしまっていた。

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