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出発


 出発の日の朝、ティナはトールと待ち合わせしているギルドのホールへと足を運ぶ。

 まだ早い時間ではあったが、すでにトールは到着していて、ティナの姿を見つけると嬉しそうに近づいてきた。


「おはようティナ。ほら、カードを受け取ったよ」


「おめでとう! トールも冒険者の仲間入りだね! 改めてよろしく!」


「こちらこそ、よろしく!」


 二人は笑顔で握手を交わす。その場にいた冒険者達も、新人で後輩となるティナ達に温かい眼差しを送っている。


 つい先日まで学院に通いながら、聖女としての役目に加え王妃教育に勤しんでいた自分が、自由の象徴となっている職業である冒険者になれる日が来るとは……ティナは考えもしていなかった。

 そういう意味では、フレードリクに感謝しても良いかもしれない。


「まずは装備を買い揃えないとね。やっぱりトールは魔法使いの装備かな?」


「そうだなぁ。俺、魔法使いより剣士をやってみたいな」


「あ、そっか。トールは戦闘演習が得意だったもんね。トールが剣士……うん、格好良い!」


「……っ! か、格好良いかどうかはわからないけど、魔法と併用しようと思ってるんだ」


「なるほど! 魔法剣士ね! トールの戦闘スタイルにピッタリだね!」


 ティナはトールが剣を持っている姿を想像する。長身でスタイルが良いトールにはツヴァイハンダーが似合うかもしれない。

 ちなみにツヴァイハンダーとは、ロングソードより更に長い剣で、重量もあるので腰ではなく背中に背負って持ち運ぶ。長剣を背負ったトールの姿はさぞや格好良いだろう。


「武器屋に気に入ったものがあればいいけどね。ティナはどうする?」


「そうだなぁ。私はいつも魔法を使っていたんだけど……この機会に護身用の武器でも新調しようかな」


 二人が装備について話し合っていると、受付の職員に声を掛けられた。ギルド長が呼んでいるから執務室へ行って欲しいのだそうだ。

 ベルトルドに出発の挨拶をしたかったティナは丁度良かったと、トールと一緒に執務室へ向かう。


「ギルド長、ティナとトールが参りました」


「どうぞ入って」


 ティナとトールは「失礼します」と声を掛け執務室の中に入る。


「ご苦労さま。出発前にすまないね。君達を呼んだのは渡したいものがあるからなんだ」


 ベルトルドはそう言うと、ティナ達の前に鞄を置いた。

 その鞄は冒険者達が使っている物と似ていたが、それよりも良い材質で作られているように見えた。


「ギルド長、この鞄は?」


「これは空間拡張の魔法が掛けられた鞄だよ。中には食料に水やテント、調理器具が入れてあるんだ」


「魔法鞄……?! これってすごく高価なんじゃ……!」


 見た目以上に物が入る魔法鞄は希少な空間魔法が施されており、二平方メートルの容量で白金貨二枚となる。およそティナの生活費二十年分だ。


「ふふふ。私のお下がりだけどね、ティナに使って貰おうと思って。ついでだから旅に必要な装備と物資を入れておいたよ」


 ベルトルドによると、この魔法鞄は五平方メートルの容量が入るらしい。


「え……っ?! そんな貴重な物を?!」


 かつてS級冒険者として活躍し、現役を退いていても王都本部の長として荒くれ者をまとめ上げているベルトルドは、その人柄もあって多くの冒険者に慕われており、ベルトルドの熱烈な信奉者も多く存在するという。


 そんなベルトルドが愛用していた装備で、しかも魔法鞄という貴重な品であれば欲しがる者は沢山いるだろう。競売にかければいくらまで値が上がるのか、想像もできない。


「どうせ倉庫で腐らせることになるし、ティナに冒険者デビューのお祝いを兼ねてプレゼントするよ。大切にしてくれると嬉しいな。それと二人にぴったりな武器も入れてあるからね。後で確認してみて」


 そう言って微笑むベルトルドの顔は、ギルド長としての顔ではなく、まるで父親のように慈愛に満ちていた。


「……ベルトルドさん……! 本当に嬉しいです! 有難うございます……! 絶対大切にします!」


 ティナはベルトルドの気持ちが嬉しくて、胸がいっぱいになる。


 優秀な冒険者は装備選びを慎重にするし、手入れも怠らない。

 それはどのような装備を揃えるかで危険度や安全性、果ては体調まで全てが変わってしまい、場合によっては装備一つで命に大きな影響を及ぼすからだ。

 装備を疎かにする冒険者は長生き出来ない、というのがこの世界の常識となっている。


 装備の重要性を熟知しているベルトルドが、自分のために旅の装備一式を準備してくれた。しかも快適に旅ができるようにと希少な魔法鞄まで。

 それは、ティナを陰ながらも守ろうとする意志の現れに他ならない。


 思わず涙ぐんでしまったティナを見て、ベルトルドが困ったように苦笑いを浮かべている。


「私はティナにこの世界を楽しんで欲しいんだ。そのためならどんな協力も惜しまないよ」


 世界にはまだまだ前人未到の地があるし、解明出来ない謎や不思議な出来事がたくさん溢れている。


 夜空に現れる幻想的な光のオーロラ、多く残る謎が好奇心を掻き立てる古代遺跡、青く輝く氷の世界が広がる氷の洞窟、大自然が作り出した、世界の果てを思わせるような景色──。


 ベルトルドはティナに、日常では絶対に経験できない、感動と興奮を知って欲しいと願っているのだ。


「──っ! はい、私も……っ! 両親やベルトルドさんみたいに、冒険を楽しみます!」


 ティナは堪らずベルトルドにギュッと抱きついた。そんなティナをベルトルドは優しく抱きとめる。


 その光景には血が繋がっていなくても、お互いを想い合う親子の姿が、確かな親愛の情があった。


 別れを惜しむ二人を、トールは眩しそうに、憧憬の眼差しで見守るのだった。





 * * * * * *





 冒険者ギルドでベルトルドや顔見知りの冒険者達に束の間の別れを告げた後、ティナとトールは王都の外れにある城壁へと向かう。


 セーデルルンド王国には王都をぐるっと囲む城壁があり、四箇所の門が設置されている。

 ティナ達が向かっているのは、隣国クロンクヴィストへ続く街道がある東側の門だ。


 どうせクロンクヴィスト国へ行くのなら、護衛を兼ねて行くのが効率的だと、ベルトルドが依頼を斡旋したらしい。

 いつの間に手を回したのだろうかと、ティナはベルトルドの手腕にいつも驚きっぱなしだ。


「ギルド長は本当にティナを大事に想っているんだな」


 トールが不意に、ポロッと零すように呟いた。


「えっ?」


 ティナがトールの顔を見ると、何となく拗ねているような雰囲気を感じ取る。トールにしては珍しい反応だ。


「ま、まあ、私が生まれる前から付き合いがあるからね。私にとってはもう一人のお父さんって感じかな」


「そうか。ティナもギルド長のことをすごく信頼しているんだな……羨ましいよ。俺もそれぐらいティナに想って貰いたい」


「うぇっ?! も、もちろんトールのことは信頼しているよ! じゃなきゃ、こうして護衛を頼んだりしないって!」


 トールの懇願にも似た言葉に、ティナは慌ててフォローを入れる。だけど相変わらず意味深なことを言うトールに、ティナは内心慌てふためく。


 ティナはトールのこの思わせぶりな発言をどうにかやめさせたいと思いつつも、ときめいてしまう自分に困惑する。


(うわあぁー! もうっ! こっちはなるべく意識しないようにしてるっていうのに……!! もうちょっと言葉選びどうにかなんないかなっ?!)


 そんなティナの内心を知ってか知らずか、トールが更に追い打ちをかけてくる。


「俺、今回の旅でティナの役に立つことを証明するよ。今はまだギルド長に負けてるけど、俺頑張るから」


「え? え?」


「全身全霊でティナを守ると誓うから、俺のことを少しでも意識してくれると嬉しいな」


 トールはそう言うと、ティナに向かって照れたように微笑んだ……ような気がする。

 相変わらずトールの顔は髪の毛と眼鏡でよくわからないけれど……。その綺麗な形の良い唇が、優しい笑みの形をしているから、ティナの解釈はきっと間違ってはいないのだろう。


「う、うん……! えっと、その、有難う……! よろしくお願いします?」


 どう返事をしていいかわからず、しどろもどろなティナだったが、そんな返事でもトールは満足したのだろう、話題を装備へと切り替えた。


「そう言えば、ギルド長が俺たちの武器も用意しているようなことを言っていたけど、ティナは何か知ってる?」


 話題を変えてくれたトールにホッとしつつ、残念な気持ちも少しだけ湧いたけれど、ティナも気持ちを切り替えることにする。


「ううん。さっき聞いたこと以外何も知らないや。一度装備の点検をしたほうが良いかもしれないね」


 ちなみにベルトルドから譲り受けた魔法鞄はトールが持ってくれている。

 ティナは辺りを見渡して人気のない木の陰を見つけると、トールの腕をとってその場所へと誘った。


「ほら、あの木の陰に行こう? あそこなら誰もいないから、人に見られる心配もないよ……って、トールどうしたの?」


 トールの腕から緊張が伝わってきたことに気付いたティナが、不思議そうに見上げると、何故かトールの顔が赤くなっていた。


「……いや、何でもないから……っ! 気にしないで」


 ティナの取った行動は、トールの腕に抱きついて人影のない場所へ誘う、というもので、はたから見ればまるで恋人同士の秘め事のようなのだが、当の本人は全く気付いていない。


(……ま、いっか)


 トールは自分の存在が、ティナにとってまだベルトルドの足元にも及ばないことを理解している。

 今のように腕を組んだり、格好良いと褒めるような言動も、トールをただの級友と思っているからだろう。


 でも、それでも──ようやく手に入れた彼女の隣というこの場所を、手放す気は全く無いし、むしろ確実に自分のものにする──と、トールは心の中で意気込むのだった。

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