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殻を破る

 翌日。夏休みも終盤に差しかかった午後。


 伊坂は、新作のプラモデルを手に入れて、上機嫌で駅前を歩いていた。


 袋の中には、昨日葛西と一緒に選んだ最新キット。関節の構造、パーツの細かさ、どれも伊坂のツボを押さえた理想の一機だった。


 ――早く組み立てたい。組み上がったら、きっとあの肩の可動、すごく映える。


 そんなことを考えながら歩いていたそのとき、不意に背後から声が飛んできた。


「あれって、伊坂じゃない?」


 聞き覚えのある声に、反射的に振り向く。


 そこには、同じクラスの女子二人が立っていた。手にはカフェのテイクアウトカップ。どこか退屈を持て余したような目つきで、こちらを見ている。


 彼女たちの視線は、伊坂の手元に向けられていた。


「うわ、またオタクっぽい袋持ってる~」


「夏休みにそれって、マジで終わってない?」


 鼻で笑うような声。悪意というより、ただの退屈な日常の延長で、ふと投げられたような言葉だった。


 以前の伊坂なら、俯いてその場を足早に立ち去っていただろう。言い返したって無駄だと思っていたし、どうせまた笑われるだけだと諦めていた。


 けれど――今日は、違った。


「うん、そうだよ。プラモデル買ってきた。めっちゃカッコいい機体でさ、関節の可動もすごいんだ」


 声は、自然と少し大きくなっていた。震えていない。視線も、ちゃんと彼女たちに向いている。


 予想外の返答に、女子たちは一瞬、きょとんとした顔を見せた。


 その反応が妙に可笑しくて、伊坂はさらに言葉を重ねた。


「好きなものがあるって、悪いこと? 別に誰にも迷惑かけてないし」


 肩に力が入っていたのは最初だけだった。言葉にしてしまえば、それは思っていたよりずっと自然で――。ああ、自分は今、ちゃんと自分として話せてるんだ、と実感できた。


 吹き抜けた風に、ビニール袋が揺れる。


 女子たちは、何か言い返そうとしたものの、言葉が見つからなかったのか、互いに目を見合わせて、


「ふーん」


 そう言って、軽く肩をすくめるような仕草で歩き去っていった。


 その背中が遠ざかっても、伊坂はしばらくその場に立ち尽くしていた。 誰もいない歩道で、しばらくの間、風の音だけが耳に残った。


 そして、不意にふっと笑った。


「俺、ちゃんと言えたな」


 誰に聞かせるでもなく、ぽつりとこぼす。


 胸の奥に、ポッと灯る火がある。暖かくて、でもどこか懐かしいような――そんな気持ちだった。


 自分の好きなものを、自分の言葉で守れた。それだけで、今日はもう、十分だった。


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