駅前でクラスメイトの女子に言い返した帰り道。
伊坂は、まだ少し胸の奥が熱を帯びているのを感じていた。
さっきまでのやりとりが、脳内で何度も再生される。きっと顔は赤かったし、声だって震えていたかもしれない。でも、それでも――ちゃんと自分の言葉で返せた。
そんな自信が、少しずつ体の芯を温めていく。
まるで、自分という存在を、少しだけ肯定できたような気がした。
けれど、その感情は、スマホに届いた一通のメッセージで、一気に跳ね上がる。
【明日、花火大会行かね?】
送り主は、もちろん葛西だった。
突然の誘いに、伊坂は思わず「えっ」と声を漏らした。
駅のベンチに腰かけていたのも忘れ、スマホの画面を固まったまま見つめる。
心臓が、ドクンと鳴る。
さっきまでの緊張とはまた違う、別の種類の高鳴り。
何度も何度も文面を読み返して、ようやく指を動かす。
【行きたいです! 行きます!!】
少し送信ボタンを押すのに勇気がいった。でも、すぐに返事が来る。
【じゃあ、明日の夕方、神社の鳥居前で】
その短いやり取りだけで、伊坂の胸の奥に、どこか浮遊感のようなものが生まれた。軽く、ふわっと体が浮いたような、不思議な気持ち。
――花火大会。葛西と一緒に。
その言葉だけで、頭の中がいっぱいになる。
その夜、伊坂はなかなか寝つけなかった。
ベッドに入ったのはいつも通りの時間だったけれど、目を閉じても、思考だけがどんどん冴えていく。何度も寝返りを打ち、枕を叩いてみても、興奮は収まらない。
葛西と一緒に、夏祭り。
それは、いくつもの想像を呼び起こす。屋台の焼きそば、金魚すくい、夜空に咲く大きな花。どれもが、自分ひとりではきっと味気なかったはずの風景に、意味を与えてくれる気がした。
気づけば、タンスを開けて去年の私服を引っ張り出していた。普段は気にしないようなシャツの皺を伸ばし、鏡の前で何度も合わせてみる。前髪も、ちょっとだけ整えてみたりして。
「……べつに、気にしてるわけじゃないけど」
そんな言い訳を、誰にともなくつぶやいてみる。でも、頬が少し熱くなるのを止められなかった。
そして、次の日。
夕方の神社前は、すでに人で賑わい始めていた。参道には屋台が並び、焼きそばの香ばしい匂いや、チョコバナナの甘い香りが風に混じる。
伊坂は、鳥居の下で立っていた。ポケットの中のスマホを何度も取り出しては、時間を確認する。あと三分。けれど、時間がいつもよりゆっくり流れている気がした。
(大丈夫、大丈夫。葛西さんは来る。絶対来る……)
そう自分に言い聞かせながらも、ほんの少しだけ不安になる。昨日まで当たり前に信じていたことが、今日はなぜか不確かに思える。
そんなときだった。
「お、いたいた。お待たせ」
声がした瞬間、体から力が抜けたように、安堵が広がる。
振り返ると、葛西が手を振りながら近づいてきた。浴衣ではなく、いつものラフな格好。それがまた、葛西らしかった。
片手には、開封済みのラムネ。もう片方の手には、未開封の一本。
「ほら、夏といえばこれだろ?」
「あ、ありがとうございます!」
慌てて受け取りながら、伊坂はその瓶の冷たさに指先を震わせた。
ふたり並んで歩き出す。神社の境内は、人でごった返していたけれど、どこか静かに感じられた。
夕日が沈みかけ、空がゆっくりと茜に染まっていく。蝉の声も、屋台のざわめきも、すべてが遠くに感じられた。
葛西の隣にいるだけで――世界が少し違って見える。そう思えるほどに、伊坂の胸の奥では、静かな高鳴りが止まらなかった。