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第3話 アナハイム・レーゼン侯爵の場合

 天から降り注ぐ陽光は暖かく、我が領地を照らしている。東より昇る光に導かれるまま、吾輩は我がレーゼン領より馬車を出す。


 向かうはアルカディアの王が治めるアルカディア城がある王都。だが、そんな王都でも城の貴族会議に呼ばれた訳では無い。


 今日は創世の神々が休息日と定める日曜日。吾輩は王都の外れにあるクレイン教会へと向かっていた。


 小一時間馬車に揺られ、まるで農村のような長閑な風景の真ん中に佇む簡素だが荘厳な雰囲気を残す教会の建物が見えて来る。教会の敷地内へ到着し、馬車を降りると、いつものように子供達が駆け寄って来た。


「おじちゃん! おはようございます!」

「待ってたよ、おじちゃん!」

「ハイムおじちゃん、今日も一緒に遊ぼー」


「みんなおはよう。ザイン神父は厨房かな?」

「うん、ご飯作ってるよ」


 中庭にはクロスの敷かれたテーブルと椅子が既に並んでいる。圧政に苦しむ民達が既に勝手口の前に並び、今か今かと施し・・を待っていた。吾輩は、彼等を横目に関係者のみが入る事の出来る厨房横の食料庫へ移動する。


「レーゼン卿、お待ちしておりました」

「ミハエル、首尾はどうだ?」

「ええ、順調です」

「例の件は?」

「いつでも」

「承知した」


 ミハエルへ言伝の紙を渡し、吾輩は食料庫の中へと入る。彼とはこのクレイン教会で知り合った。騎士団員の仕事を真面目に熟す彼は信頼における存在だ。この日も非番にも拘らず、無給で炊き出しの警備をしているのだから、民を苦しめる貴族達とは真逆の誠実な男だと感心する。


 厨房を覗くと、クレイン教会の神父、ザイン神父が神父自らシスター達と一緒に炊き出しの食事を作っていた。


「アナハイム殿。いつも追加の食材を寄付いただき、感謝致します」

「おお、ザイン殿! 今日も変わらず美しいご尊顔でいらっしゃる」

「アナハイム殿も、自慢の髭が凛々しいですな」

「ハッハッハッ!」


 今日の炊き出しは我が領で収穫した玉蜀黍にパン。人参やじゃが芋などの野菜を煮込んだスープ。質素な食事だが、日々の食事にありつけるか分からない人々からすると、天からのお恵みに他ない。


 信者からの寄付を銘打って、金を寄付する事も出来るが、それだと他の貴族へ目を付けられ、もし王へ密告されては問題が起きる。そのため吾輩は、休みを利用し、炊き出しの食材を提供するというやり方を神父と考案し、今に至るのだ。


 茹でた玉蜀黍とパンを1個ずつ、そして、深皿へ大鍋で作ったスープを一杯ずつ、信者へと注いでいく。民の者が美味しそうに我が領の食材を食べ、泣いて喜んでいる姿を見ていると、吾輩も思わず頬が緩む。

「レーゼン卿、いつもありがとうございます」

「おぉ、ありがとう。シスターステラ殿」


 玉蜀黍で淹れた冷たいコーン茶を淹れて渡してくれたのはザイン神父お墨付きのシスターステラ殿。彼女はとあるきっかけでアルカディア教へ入信し、今ではこうしてクレイン教会の一員となっている。


「あ、あの!」


 シスターとコーン茶を飲んでいると、何やら炊き出しのご飯を食べ終えた子供が数名やって来た。恐らく兄、弟、妹の三兄妹なんじゃろう。


「おや、新入りじゃの。どうじゃ我が領の食材は旨かったろう?」

「野菜スープも、パンも、玉蜀黍も! 美味しかったです! ありがとうございました」

「「ありがとうございました」」


「お、ショウ! 来ていたのか!」


 成程、この子達はミハエルが連れて来たんだな。ミハエルと談笑する子供達も嬉しそうだ。


 この後、信者の子らは、教会の礼拝堂でお祈りを捧げた後、皆、各々家路へと帰っていった。あっという間の休息日。まだ日が沈むのにはもう少し時間があったため、ザイン神父へ声を掛けた吾輩は、懺悔室へと向かう。


 クレイン教会には、一般の信者向けの懺悔室と、特別な信者向けの懺悔室が用意されておる。前者は人が二人入れる位の小さなスペースの真ん中に仕切りがあり、顔を隠した状態で己の罪を神へ懺悔する場所。


 後者は己の穢れを洗い流すためのシャワールームが併設されており、純白のベッドと椅子、洗い立てのタオルや衣服を置く台に、色々な道具の置かれた棚が設置された広い部屋だ。


 吾輩は罪深い人間である。王の政治に背き、こうして内緒で民に施しを与える手伝いをしている。そして、貴族の政略結婚という仕来りによってレーゼン家へ嫁いだ妻という存在が居ながら、こうしてザイン神父より神から施しを……寵愛を受けている。


「ザイン殿……吾輩のような老いぼれより、若い肉体の方が魅力的であろう」


 産まれたままの姿でそう言って目を逸らす吾輩の指と指をザイン殿は一本一本絡め、耳元で囁いた。


「何十年と、若き時より自身の土地を両親から受け継ぎ、民を護って来た手。農作業で鍛えた腕。そして、この背筋は、民の命を背負った証です。美しいですよ。アナハイム」

「嗚呼、ザイン殿」


 ザイン殿の指が吾輩の身体を少しずつ滑っていく。吾輩の首筋に彼の吐息がかかる。


「二人きりの時はどうするんでしたっけ?」

「……ザイン。神のご加護を」

「よろしい」


 吾輩の口元が塞がれた瞬間、隣の部屋から何やら物音がしたような気がしたが、そんな気配も全身を血潮のように流れる熱い奔流によって上書きされた。


「後で彼にもひと言言っておくとしましょう」

「ん? ザイン……今なにか?」

「気のせいですよ、神は信じる者皆へ平等です、さぁ、共に参りましょう。桃源郷アナスタシアへ」


 吾輩が信じる神は此処に居る。

 吾輩を導くは王ではない。愛を以って導いてくれるザインだけだ。


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