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第5話 借金採掘師、地獄と矛盾を思う

 配信は、結果から言うと大成功に終わった。俺の地球側の配信は同時接続数が6万人を超えて、ステータスデバイスには信じられないほどのメッセージが飛び込んでくる。


「本当にありがとう~! 信じられない! この私が『急上昇』の1位に乗るなんて!!」

「魔界にもそんなシステムが……いや、人気配信があるなら、当然か」

「ほらほら、見てみて!」


 そこには、俺と彼女の配信が堂々と1位に輝いている。少し誇らしい気持ちになったのも、つかの間。


 イレーヌが指差したその下には、これまで魔界で人気だったという他の配信がずらりと並んでいた。


「見て、フズリナ! これまではこういうのが人気だったのよ! すごく過激でしょ? 私には、本当に理解できなくってさ……」


 イレーヌは無邪気な顔でそう言って、サムネイルをタップした。その瞬間、画面に映し出された映像に、俺は息を呑んだ。


 そこに映っていたのは、人間が凄惨な形で死んでいく映像だった。


 血だらけで絶叫する冒険者。ダンジョンの罠に嵌り、四肢がバラバラになる人間。巨大なモンスターに食い尽くされ、原型を留めなくなる死体。


 どれもこれもが、目を背けたくなるような光景だ。コメント欄は、魔族たちの興奮と歓喜の言葉で埋め尽くされている。


『もっとやれ!』

『最高のエンタメだ!』

『ニンゲンは、悲鳴を上げるともっと面白いな!』


 そして、最も俺の神経を逆撫でしたのは、画面の端に映る、まるで「いいね」を押すかのようにサムズアップする魔族の配信者たちの顔だった。


 彼らは、人間の苦痛を、純粋なエンターテイメントとして享受していた。その表情には、一切の悪意や憎悪はなく、ただただ、『美味しい食事を食べている』とでも言わんばかりの嬉しそうな感情だけが読み取れた。


「どう? すごい過激でしょ!? こんな動画を追い抜いたの! そうだ! これ、約束の報酬ね!」


 イレーヌが、キラキラとした目で俺の顔を覗き込む。とんでもない金額をポンと取り出してきた彼女に、悪気がないことは分かっている。


 だが、俺の胃は、激しく痙攣し始めていた。


 脳裏に、かつての光景がフラッシュバックする。


 ネットリンチ。匿名の中傷。俺を犯罪者だと決めつけ、人格を否定し、社会から抹殺しようとした無数の言葉の暴力。あの時、俺の絶望を面白がった「顔のない群衆」の姿と、画面の中の魔族たちの顔が、重なって見えた。


 魔族側にとって『何一つ不思議な行動ではない』ことが、余計に俺の中の気持ち悪さを爆発させていく。


「う、ぅ……っ」


 俺はたまらず口元を抑え、喉の奥からせり上がってくるものを必死にこらえた。しかし、胃の不快感は増すばかりだ。


「フズリナ? 大丈夫? 顔色が悪いわよ?」


 心配そうにイレーヌが手を伸ばしてくるが、その手の温かさすら、今は俺の感覚を刺激する。


「っ……!」


 耐えきれず、俺はその場で胃の中のものをすべて吐き出した。吐瀉物が床に広がり、昼間に食べた簡素な栄養食が今度は嫌悪感を伴って鼻腔を刺激する。


「フズリナ……!?」


 イレーヌの驚きの声が、遠くに聞こえた。だが、俺の意識は、過去の悪夢と、目の前の悍ましい映像との間で、激しく揺れ動いていた。



===



 あの悪夢のような日々は、ちょうど10年前のことだ。


 俺は当時、都内の大手IT企業でシステムエンジニアとして働いていた。


 名前だって。フズリナ、ではなかった。

 天谷時哉あまがい ときや、それが俺の名前だった。


 決して目立つ存在ではなかったが、仕事は真面目にこなし、それなりに充実した日々を送っていた。休日は趣味のゲームに没頭し、たまには友人と飲みに行く。実家には両親がおり、特に軋轢もなく、ごく平凡な日常だったはずだ。


 だが、その全てが、たった一人の女によって、根底から覆された。


 その女の名は、斎藤澄玲さいとう すみれ


 あの日、駅のホームでの出来事は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。


 通勤ラッシュでごった返す満員電車の中、俺は押し潰されそうになりながらも、ただじっと耐えていた。次の駅で電車を降りようとしたその時、背後から突然、甲高い悲鳴が響いた。


「痴漢です! この人が!」


 振り返ると、斎藤澄玲が俺を指差し、怒りに震える顔で睨みつけていた。周囲の乗客の視線が一斉に俺に突き刺さる。


 瞬く間に警察官が駆けつけ、俺は現行犯逮捕された。身に覚えのない罪だ。必死に弁明しようとしたが、誰一人として俺の言葉に耳を傾ける者はいなかった。


 そこから始まったのは、地獄のような日々だった。


 斎藤澄玲は、弁護士だった。しかもうちの会社の顧問弁護士を務める、大手弁護士事務所に勤務しているという。


 証拠は彼女の証言のみ。だが、彼女の社会的地位と、俺という「平凡な独身男性」の構図は、世間の「被害者」への同情と「加害者」への憎悪を煽るには充分すぎた。


 「有名企業の社員が痴漢」「被害者は人権派弁護士」――センセーショナルな見出しが新聞やネットを賑わせた。


 裁判は長期にわたり、最高裁まで争った。


 俺は無実を主張し続け、最終的に結果として人生は完全に破壊された。結局、状況証拠だけで有罪判決が下されたんだ。執行猶予はついたものの、それでも……。


 判決が下された瞬間から、ネットは炎上した。俺の実名、顔写真、勤務先、そして家族構成までが晒され、誹謗中傷の嵐が吹き荒れた。


 勤務先からは即座に解雇を通告され、両親からは「お前のような恥さらしな息子は知らない」と勘当された。信頼していた友人たちも、手のひらを返したように離れていった。


 残ったのは、弁護士費用として積み重なった巨額の借金だけだった。無実を証明するために必死に戦った結果が、これだ。


 社会から放逐され、生きる術を失った俺に、残された道は一つしかなかった。ダンジョンだ。


 人類にとっての新たなフロンティアであるダンジョンは、危険と隣り合わせだが、同時に莫大な富をもたしてくれる。


 俺は、人目を避けるように『石櫃』ダンジョンの奥深くに潜り、採掘師として身を削る日々を送った。


 ダンジョン内で得られる素材は、外界ではとてつもない高値で売れる。しかし、採掘の必要性は極めて薄い。


 なぜなら、採掘品がモンスターを倒せばドロップしてしまうものばかりだからだ。


 しかし採掘師は、最強の気配遮断スキルと名高い【特権隠密】を取得できる。採掘していても一切モンスターや他の冒険者に気づかれず、戦闘に巻き込まれさえしなければダメージを受けずに逃げ切れるスキルだ。


 俺はこのスキルを使い、毎日ピッケルを振るい、鉱石を掘り出しては換金を重ねていた。借金だけは返してやる、その一心で生きていた。


 汗と土にまみれ、身体は常に疲弊する。だが、その肉体的な疲労だけが、俺を狂わせずにいられた唯一の救いだった。来る日も来る日も、ただ黙々と、機械のように作業を繰り返した。


 食事も睡眠も、最低限で済ませた。外界との繋がりは、あの地味な配信だけ。コメント欄にわずかに流れる常連の言葉だけが、俺がまだ人間であることを教えてくれた。


 十年。地獄のような孤独な日々。イレーヌの報酬を受け取れば、終わる日々。


 ふと、俺は理解してしまった。


 俺は、ダンジョンを出る理由を見つけられないんだ。外界は、俺にとって、もう安全な場所ではない。


 一度貼られた「痴漢犯」のレッテルは、たとえ無実を叫んでも、二度と剥がれることはない。


 俺を待つのはきっと……顔の見えない人々の、誹謗中傷だ。そう信じ込んで止まない自分に、でも同じくらい顔が見えない常連さんに助けられている自分に、大きすぎる矛盾を感じていた。

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