目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第6話 メリー

 地へと落とされた魚たち。何の前触れもなく撃ち落された気分は如何なるものだろう。風は方向を変えて咆哮を強め、気が付けば視界の芳香は青の世界から外れていた。とでも言ったところだろうか。

 目の前の女がやってのけた事なのだろうか。半信半疑の現実世界の中で誰もが唖然とする中、初めに声を上げたのはリニだった。

「なんで魚の雨が降ってんだ、天気予報でも聞いた事ないぞそんなの」

 目の前の女は大きな欠伸をしながら恥じらいを覚えたのか口を手で覆い始めた。

「しっかり見えてたぞ」

 リニが言葉を挟むも女は気怠そうな細い目をジェードルに向けて疑問を放り込み始めた。

「男が見えてなきゃ大丈夫でしょ」

「美しさに呆けた可愛さが混ざってたよ」

 ジェードルの口の動き、音の意味を噛み締めるように口を結んで頬を赤くして目を見開く様はジェードルの生活の中では希少な可憐なる華を感じさせた。

「大丈夫、戦闘員の誰かさんくらいに思っておけば」

「イヤだ、普通の顔の男の子に、同い年くらいにあんな顔見せちゃって」

 女の顔を逸らす姿を見つめ、余程恥ずかしいのだろうと思い知らされつつリニの方へと目を移す。

「私は正直でいたいからジェードルの前でも普通だけどな」

「羞恥心を知らずに育ったな、国家機関の戦闘現場なんて男社会だし」

 ジェードルの指摘はリニの心の汽笛をけたたましく鳴らし、彼女の目尻と眉が垂れ下がっていく。

「俺はあまり乙女らしいの好きじゃないから寧ろ感謝してるけどな」

 垂れ下がった感情は途端に活発な動きを見せ始め、目を輝かせながら今にも飛び跳ねそうな姿勢を見せる。まるで犬のようだと喉までせり上がって来た言葉を必死に飲み込む。溜飲を下げることが出来ずに溜められた不満は表に出る事なくただただジェードルの中を漂い続けるのみ。

 そうしている内にも女は再び拳銃を構え、空へと向けて何かを呟きながらトリガーを引いた。きっとこれから魚が落ちるところだろう。過程も命中したか否かも確認することなく立て続けにトリガーを引いた。

 その際に女が動かした口の形を、想定される音をジェードルは脳に焼き付ける。

「ブレインブレイク、コーディネイト、912、643、132、445」

 次から次へと告げられる数字と綺麗な爪が動きを見せる度に魚は遅れて空から地を目指して勢い良く落ちて行く。魚の雨が作られた工程を知ってジェードルは驚きを隠すことが出来なかった。

「現実の光景じゃないな」

「信じられない」

 ジェードルとリニの口は音こそは違えども同じ意味を奏でている。きっとこの場に居合わせた誰もが目を疑う光景だろう。リニに担がれていた男は震えながら彼女から離れて後退りをしては滑稽な声を上げながらこけていた。

 そんな彼らの反応を眺めながら女は軽い笑い声を浮かべては艶やかな唇を震わせていた。

 その光景にも変化は訪れる。女の背後に集うように六人の男たちが歩み寄り、女の肩に手を置いた。

「メリー、そろそろ休め。戦い過ぎだ」

 メリーと呼ばれた女は気怠そうな目を向けて男の手を振り払って拳銃を構える。

「そこの三人、腕章無しか、何故ここにいる」

 男たちは睨み付けながら疑問形の怒鳴りを飛ばす。そんな態度にひるむ二人の男をよそ目にリニが説明を始めた。

「今日は民間人の日光の日だったんだ」

 リニの説明を受けた男たちは顔を見合わせながらひそひそと言葉を交わし合い、一人はリニの説明に引き続き耳を傾ける。

「アンタらがメチャクチャやったおかげでこのザマだ。逃げ遅れたケガ人を、メリーだっけ、アイツが墜とした魚のせいで怪我して」

 男は始めこそは説明を聞いて頷いていただけだったものの、みるみるうちに血相を変えてメリーの手を固く太い手で包み込む。乱暴な手つきにメリーは不快感を滲ませた目を向けるものの、男は離さない。

「やめだ、今日は民間人の日光の日だったそうだ」

 メリーは拳銃を握る手から力を抜き、肩を下ろす。男が手を放すと共に拳銃をホルスターに仕舞い、腕を天空へと伸ばした。

「あっそ、もう寝る」

 そう告げて力ない足取りで一歩、前へと進み、ジェードルの手を取り振り返って男たちに訊ねる。

「この人連れてってもいいかしら」

 男たちは見合わせ表情だけで議論を重ね行く。顔の歪みに宿った攻撃性を鑑みれば結論などとうに出ているよう。

「お願い」

「腕章無しをか、ただでさえ魔法を見せるという失態を」

「魔法魅せちゃったからもう良いじゃん、隠し事無しで」

 ジェードルは首を傾げる。聞こえてきた言葉があまりにも現実から離れすぎていて疑問の重みは増していく一方だった。

「トップシークレットだけど説明して差し上げて」

 男たちはそれぞれ違った顔で同じ貌をしながらため息をつき、渋々説明を始めた。

「魔法とは上官以上でしか聞き知らぬ言葉だ」

 隣の男は口を震わせながらペースを乱すような速度を持つ情けない声で語り出す。

「未だに科学では解析できない現象をそう呼ぶんだ、世界の神秘だ」

 細々とした佇まいは何かを恐れているよう。この男の右腕に巻きつけられた腕章にはバラに似た刺繍が咲き誇っていた。

「その腕章が秘密へのアクセス許可なのか」

 ジェードルが刺し込んだ疑問は荒れた地に響き渡ってはそこに立つ誰かの耳を揺らす。その疑問への返しを執り行うのはあの情けない声。

「別にこの腕章だけじゃない。腕章持ちか研究者、権力者なら誰もが知っている」

 つまるところ、ジェードルは伏せられた情報の地中に押さえつけられた存在。形の有無にかかわらず地下に埋められているも同然の事。

「混乱させないためにも特定以上の地位の者ですら理解できない情報は伏せるのだ」

 声を荒らげて情けないながらの濁りを見せ、空の瓶を取り出しては眺める。ジェードルにも見覚えのある瓶、恐らくかつては琥珀色の液体で満たされていた事だろう。

「シーケス、酒が足りないか」

 豪快な笑い声を上げながらシーケスと呼ばれた情けない男の肩を叩く人物はジェードルを窺いながら名を告げる。

「俺はタルス、シーケスのやらかしなら結構知ってるぜ」

 更に聞き覚えのない声が、先ほどまで黙り込んでいたためか存在感すら見せていなかった長身の灰色髪の男がクルミ色の目で存在感を示す。

「リーダーのユークだ、音楽聴きたいから早く戻るぞ」

 リニは周囲とのやり取りを耳に入れ、脳に刻み込み数秒遅れで首を傾げながら一つの疑問を携えた。

「外出調査員になるには感情を殺さなきゃいけないんじゃなかったっけか」

 感情を抱かない事を美徳とした地下の都市、その理念に反発しているようにしか見受けられない彼らの態度が気になって仕方がなかった。

「でも周りは明らかに私以上に好き勝手だよな」

 タルスは再び大声を上げて笑いながら斧を天へと掲げる。木々が寄り合っているそこへと身体を向けて叫び散らす。

「出るまで良い子ちゃんやってりゃ後は自由だぜ」

 勢いよく駆け出し木々へと向かう。辺りを見張るように吹いている風とタルスが起こす振動、二つの流れとは異なる葉のざわめきを断ち切るように斧を振り下ろした。

 葉に食い込んだ斧は鋭い音を響かせながら動きを止める。そこからゆっくりと沈み込む。標的が鎮まり、やがて自然そのものが静まる様を見つめてジェードルは呆気に取られていた。

「当たり」

 タルスが引き上げた斧と共に木々からはみ出て姿を見せるそれはヒビの入った薄青い身体。クラゲの姿がそこにあった。

「メリーは疲れてるみたいでシーケスはアルコールが足りてない……戦いは俺に任せろ」

 燃え上がる瞳は鈍色の輝きと重なり合って凶暴性を増していく。続けて現れたクラゲを討つ様は力の塊とでも呼ぶべきか。今のジェードルは斧も身体も共に戦いに混ざることの出来るものでなく、リニはケガ人を運ぶために手が埋まっている。リーダーのユークは存在感を消したまま、残りの二人も戦いに出る事が叶わない。

 つまるところ、人数が揃っていたところで動くことの出来る人材はただ一人という事。

「ジェードルだったか、斧は俺たちの権限で直すから安心しろ」

「私たちが犯した失態だから」

 瞼を擦りながら告げるメリーにはやる気が感じられない。誠意の欠片も宿っていない。これが外出調査員の真実の姿だと思い知らされてジェードルは心を沸き立たせる。

「ますます外出調査員になりたくなってきた」

 リニも同様の事を考えていたようでジェードルとお揃いの爛々とした輝きを瞳に宿していた。

「ジェードルと同時が良いな」

「もちろん、踏み出すのはリニと一緒に。頑張ろうな」

 未来に見た希望は恐らく若さゆえの煌めきに充ちている事だろう。実際にはどこに行ったところで鉱物生命体のクラゲや魚が漂っているという事に変わりない。世界中が荒れ果てているという事は想像出来ていたというにもかかわらず希望の火を灯し続けてしまう。

「今夜までに地下の休憩設備に向かえ、雨が降る」

 自己紹介以来口を閉ざしていたユークが告げた言葉にジェードルは寒気と共に甘く広がる感情を見つめずにはいられない。

――なぜあの雨がそんなに好きなんだ俺は

 何を求めているのだろう。破滅を望んでしまう人物とでもいうのだろうか。表情を絞り、無の情で固めるも些細な違和感は隠し切れない事だろう。

 そんなジェードルの表情を見つめてメリーは固く結んでいる口を横に広げられ、細い目は柔らかな曲線を帯びる。艶めかしい笑顔はしかし、ジェードルの中に得体の知れない嫌悪感をもたらした。

「ジェードル、雰囲気おかしいぞ」

 そんな言葉を持ち込んでリニはジェードルとの距離を詰める。いつからだろう。ケガ人は力なく首を垂れて気を失っていた。

「そいつは帰った後で民間行きだな」

 空から降った魚に打たれた脚を軽く見つめるだけでそう判断を下すユークの冷たい目がジェードルには大人っぽさを、リニには物足りなさを感じさせていた。

「この脚はもう治らない、魔法についても聞かれていないはずだ」

 生きたまま戦いの舞台から降りる人物を初めてその目にしたジェードルの中に産み落とされた感情はあまりにも歪な模様を描いていた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?