荒れた大地の中であらゆる草木が様々な姿を見せていた。どれもこれもが枯れ果てた結末を見せる個体を持つ一方で同じ種であるにもかかわらず咲き誇っている黄色の花や、本来の姿を失い首を垂れる姿、中にはチェムドニウムによってコーティングされているものまで窺うことが出来た。中身が生きたもの、失われてガラスを思わせる薄青い花、実体のない幽霊を包んだような姿のものもあり、ジェードルは思わず足を止めてしまっていた。
「人類はすぐに消えるのにな」
「私たちへの裁きってことか」
リニの言葉はどうにも理解に苦しんでしまう。
「だとしたらこいつらに感情があるとでも」
ジェードルの言葉が風と共に耳に運ばれて来ると共にリニは顔を崩して笑顔一色に染め上げられた。
「もしもの話だって、そんな真剣になんなよ。女の子に癒される気持ちでさ」
青い雨は鳴りを潜め、まるで凍り付いた草原。所々が剥がされた荒れ地はジェードルが踏む度に温度を音にする。薄氷のような金属が張られた地に連続して響いた音が仲間の準備の進行を告げる。
「日光を浴びる彼らを守る事、それが我々の任務だ」
語られる言葉に説得力が見られない。平和に色付いた世界はあまりにも平穏で、今朝の敵の存在という過去に目を疑ってしまう程。
「静かだよな、これじゃピクニックみたいなものか」
リニの明るい声は深みを持った青に響いてジェードルを頷かせる。このまま平和なまま終わることが望ましい、ジェードルの中では結論が付いていた。
「はあ、平穏ならジェードルとマルク医師の三人だけで来たかったよな」
決して叶う事のない望みに深く頷いてしまっている自分がいる。外出調査に加わりたい理由も戦いのためなどではない。それだけは心に刻んでおかなければならない事だった。訓練を積む日々の中で忘れてはならない重要な事だった。
「なあリニ、見えるか」
「何が」
ジェードルの質問に首を傾げ、微かな声を膨らませるリニ。空を差した指が何を見せようとしているのか理解できない様子。
「空を魚が飛んでるんだ」
「ああ、それか」
呑気な返事は危機感を喪失しているように見受けられる。気を引き締めるべく視界に映るそれらが敵対勢力である事を自覚させる。
「あいつら全部敵だ」
「おう、全員ぶっ倒すだけだな」
挟み込まれた言葉がより一層リニの呑気な態度を露わにしてしまう。ジェードルは彼女の姿勢になど拘わらず、最も告げたかったことを言葉として編み出した。
「飛んでる魚だがさっきからたまに落ちてるんだ」
「そうなのか、気付かなかった」
観察が足りていない。恐らく目の前で繰り広げられる事であれば唐突にピカイチと呼ばれるまでの実力を発揮して行く事だろう。目の前の小さなスケールで物事を見つめる癖、倒すべき対象に意識を研ぎ澄まし手元は意識の蚊帳の外。そこにリニの斧の扱いが雑な理由が詰め込まれているようだと理解に落とし込む。
「明らかにおかしい落下」
「ミサイルとかじゃね」
辺りを包み込む静寂はあまりにも穏やかな空気を蔓延らせていて兵器の音など何一つ感じさせない。リニの推測は事実を捉える事など出来ていない。
そんな二人の会話を取り入れ続けていた戦闘員が苦笑交じりに言葉を撃って彼らの視線を奪い取る。
「知らないのだな、今日の予定を」
首を傾げる二人。綺麗に揃えられた仕草は視線を集めた戦闘員のため息を誘ってしまった。
「帰って来るんだ、外出調査の輩がな」
二人共に揃いも揃って大きく目を見開いた。そんな仕草と彼らの地下都市での発言を照らし合わせて更なるため息と共に言葉を引き出す。
「外出調査志望のくせに知らないのか」
「だって行くまで他人事じゃん」
「目の前の事に全力を尽くす事の何が悪い」
そう語る二人の傍らに大きな風の気配が訪れた。激しく舞うように吹く風は周囲の誰もが脅威として受け取ってしまい、その手で顔を覆わせてしまう。髪を掻き上げる暴風が更に落下して、やがて勢い任せの音と振動を生み落とした。
「来た」
誰の独り言なのか、正しい音を持っているのか、風に刻まれた声はそれすら判別が付かない。
ジェードルとリニは同時に衝撃の根源へと目を落とす。そこには透き通る青の身体。固くて滑らかなそれは細かな波を幾つも刻んでおり、端には薄っぺらなヒレが付いていた。
その正体にリニは声を上げずにはいられなかった。
「鉱物生命体の魚か」
一方でジェードルは新しい危機の来訪を肌で感じ取る。
「まだだ、来るぞ」
更に吹き上げる風の舞い。様々な方向から降りて来る風は鉱物生命体の魚を打ち落とす者が残した跡のよう。
見上げると共にジェードルはリニの手を引いて駆け出す。
「ミサイルもロケランの音も無いのにどうやってんだよ」
「知らない分からない気付きようもない」
三段階の同義の示し。実際ジェードルの目では勝手に魚が命を失い落ちているようにしか見えなかった。
更に落ちて来る。敵の死骸の雨が降っている。チェムドニウムは固体でも人類を滅ぼす雨となれるのか、そんな冗談が湧いてくるものの心の底へと引き下げる。
「退け、ただそれだけだ」
指導員の指示の糸に引かれて動き出す。感情など持ち込む必要のない場所、飽くまでも必要なものは理性と合理的判断。
駆けている中、背後から悲痛の音を響かせる声が投げかけられた。
リニは立ち止まりジェードルはすぐさま振り返ろうとするものの、指導員の声が怒鳴りの姿を取って感情を支配する。
「見捨てろ、救いに行って死ぬか」
ジェードルとリニの二人には下す事の出来ない決断、それは絶対零度の感情を帯びていた。
「早く」
この場所で命の価値など戦いという行為や未来の戦力への見通し以下なのだろうか。一人を救うためにリスクが生じるのであれば人の一人や二人など平気で見捨ててしまう戦場の在り方に首を傾げるように、低い姿勢を取って斧を構える。
「何をしている、退け、上位権限だ」
指導員は引き続き叫ぶものの、ジェードルは引き下がるつもりは無い。ふと隣に人の気配を感じて目を向けるとそこには戦友の乙女の姿が在り。
「やっぱそうなるよなジェードルは」
「当然だ」
地下都市に住まう者の在り方として不正解なそれは生物の生存戦略としても誤りで合理と名付けられた判断に於いても間違いかも知れない。
「仲間を救うぞ」
「危機から掬い上げる」
しかしジェードルは確信していた。人間と言う生き物の在り方としてだけは正解なのだと。
力強い一歩を踏み出す。蹴るように低く跳ねるように地から離れた右脚。再び着いた足は先ほどとは反対側の足。左足の踏み込みは微かな甘さを持っていて、力不足を実感させれた。
「待ってろ」
降り注ぐ魚の雨を斧の腹で払い除け、思わず足を止める。一瞬の衝撃が身体の力の全てを落ちる魚の意志に持っていかれてしまう。
「重すぎだろ」
地球の重力を身体中で感じながらも進む。目の先にあるもの、目指すべき場所。置いて行かれた戦闘員は地面にへたり込み脚を布で覆っていた。この衝撃を生身で受けているのであれば間違いなく更に悲惨な姿と成り果てているはず。恐らく斧による反撃によって逸らされた魚が当たってしまったのだろう。
斧の腹で打ち返す度に身体が捻じれ、再び体勢を立て直して進むも更なる魚の雨を打ち返しては進行は止まり。
そうして少しずつ進んだ果てにけが人の元へとたどり着いたものの、斧はすっかりと捻じ曲がってしまっていた。
力なく唸る戦闘員の腕を取り、肩を貸しながらリニは毒づいた。
「なんだよこの魚、自滅して。生きる意志も無しか」
「言ってる場合じゃないが」
そう言っている間にも降って来る魚を空の下から観測し、ジェードルは斧を裏返して打ち返す。衝撃の方向が先ほどとは異なるが為に体の芯にまで伝わるそれは大きな痛みを伴う。感情の昂ぶりが誤魔化していたダメージはしっかりと身体に蓄積されていた。
言葉にならない声で短い叫びを捻り出すように上げて、地面に倒れ込む。今までと異なる方向から来る痛みはジェードルの身体は限界だと叫び散らしてジェードルの感情の大部分を占めていた。
「まずい、私たちこのまま終わるのか」
手詰まり。例えリニが打ち返す役目を背負うとして、ジェードルに人を運ぶ余力など残されているはずは無い。
ジェードルは空を見上げ、魚たちの進みを観察していく。いつ降り注ぐか分からないそれは地下都市から遠ざかる程その数を減らし、急いで帰還する部隊を追いかけるように数を増やしていく。
「リニ、都市から遠ざかるぞ」
「なんで」
やはり観察は苦手なのだろう。急ぎの感情がジェードルの口から未完成の言葉を紡いでいく。
「あいつら都市方向にいっぱい降ってる」
「尚更戻らなきゃ大勢死ぬぞ」
しかし、ジェードルは首を左右に振り、リニと顔を合わせてがらんどうの余裕を、見掛け倒しの偽りの感情を貼り付ける。
「向こうには優秀な人がいるから気付いてる」
そう、ジェードルとは比べ物にならない程に戦いの歴史を刻み積み上げて来た彼らが遠目から観察して気付かないはずがなかった。
「俺らは外出調査の人員と合流だ」
地面が揺れる。揺れの根源はすぐ傍で、恐らく魚が降って来たのだと知ったその時には身体が揺すられて構えを取る時間さえ与えてくれない。
「おう」
威勢のいいリニの返事が遅れて挟まれ元気を与えてくれる。心にまで射しこんだ声を杖の代わりに立ち上がり、三人で奥を目指す。
少しずつ降って来る魚、その原因は果たして如何なるものだろう。教科書にも研究資料にも記されていない、かつて見た事のない習性に目を疑いつつ進んだその先で、ジェードルは思わず無言で口を開いてしまう光景を目にした。
そこに立っているのは明らかに若い女。ジェードルと変わらない年齢と見受けられる顔、滑らかな黄金の長髪を揺らし目を細めながら拳銃を手にしている。
分厚い唇が微かに動く様が艶めかしく、思わず見蕩れてしまう。しかしながらその口がどのような言葉を刻んでいるのか耳にすることが叶わない。
拳銃を握る手が微かに動くと共にジェードルは彼女がトリガーを引いたのだと理解し身構えるものの、音は響くことなく。
「なにやってるんだろうな」
リニの言葉が零れ落ちて数秒後の事だった。大地をも揺るがす轟音が響いて地を揺らす。
振り返ったそこには先程までなかったはずの透き通る金属の塊、空を泳いでいたと思しきいた魚の姿があった。