指導員が各戦闘員に武器の提出を求める。各々の斧、全てが蒼黒く姿は一定で統一されているように見えるものの、指導員の目が通ると共にそれぞれの持つ違いが語られる。
「ジェードル戦闘員、貴様は貴重なチェムドニウム合金の刃を潰してしまったようだな」
怒鳴りつけるような凄みを持った指摘が通る。ジェードルには如何なる発言が許されるものだろうか。
「当時の戦況を説明しろ」
「クラゲの侵入と攻撃によって停電が巻き起こされた中、暗闇での戦いだった」
背筋を伸ばし、堂々と嘘を吐くための準備を整える。言葉を編んで作られる嘘の巣は無事に意図を伸ばして引っ掛け続ける。
「視界が悪い為に何度も打った、申し訳ない」
指導員はでたらめな発言に不規則な方向にねじ曲がり歪な潰れ方をした刃を視線でなぞる。
「なるほど、つまりは訓練不足と心理的要因の複合だというわけだ」
ジェードルの発言を汲み上げてかみ砕き、息を吸っては吐いて、二度繰り返す。それから目を細めてジェードルに視線を固定する。
「この未熟者め」
怒鳴りつける声はあまりにも真っ直ぐ彼を射る。その目に宿る感情は失望か、それとも成長の余地を見込んでのものか、細められた目は少し遊びを残しているよう。
続いて指導員はリニの斧を観察し、そのままリニの方へと目を移した。
「フリュリニーナ戦闘員」
「リニって呼んで欲しいな肌色頭」
途端に眼を曇らせ斧の柄を握り締める手に力を込める。わなわなと震える武器と今にも湯気が上がりそうなその顔を見つめてジェードルは他人事ながら肩を竦めずにはいられなかった。
――リニのやつ、容赦を知ってくれ
指導員は頭に被せられた帽子を押さえつけ、その目を赤くしてリニに向けて汚い声の圧をかける。
「貴様は上官を侮辱した、昼は全て抜きだ、社会的関係を知れ、この痴れ者が」
「育ち盛りの女の子の食事抜くなんて」
「黙れ、思春期はとうに過ぎているだろう。二十代め」
肩で息をする。何度も繰り返すそれはあまりにも速いペースで刻まれていつのぼせ上ってしまうか、あり得ない不安を抱かせてしまう。
「指導員、一度深呼吸をして落ち着いては」
ジェードルの言葉のままに深呼吸を繰り返し、冷たい空気を流し込むことで平静を取り戻したようで、リニの斧の状態について語り始める。
「感情による大きな角度の乱れは見られないものの、打ち込みの角度そのものが不規則だな」
「つまりどういう事だ、はっきり」
「考える時間をくれてやる」
ジェードルはリニの癖の分析を始めた。規則への理解や遅刻への躊躇いの無さ、戦績を上げられる程度の実力はあるものの歪な跡を刃に残してしまっているという事。恐らく彼女は攻撃の打ち込みの角度など気にも留めていないという事。
しばらく取った時間の後にリニの回答が現れない事を悟ると共に指導員は部屋への反響を恐れることなく大声を上げた。
「そういうところだ、この鍛錬不足」
「鍛錬無しでやれるなら私天才じゃんね」
半分同意に半分反意。異見の意見の範囲が見事な境界線を描き、その上を反復横跳びするような形を取っていたジェードルと鼻で笑う指導員。この捉え方の差は運命の捕らえ方を如何ほどに変えてしまうものだろう。全くもって想像が付かなかった。
その後、指導員はジェードルとリニに実績相応の賃金を手渡し残りの優秀な三人の功績と斧の扱いを讃えて他の戦闘員には野次を飛ばす。
そのような態度を取る中年に向けてリニは冷ややかな視線を送り込み、ジェードルに告げる。
「今回の戦果なんて出会えるかどうかの運なのにね」
「ああ、そうだな」
共感を送り無事に済んだ立場での会話で余裕を分かち合う事。今のジェードルに出来る事はただそれだけだった。
「俺たちは本当に運がよかった」
そして一つ、リニの目を見て付け加えた。
「リニは大怪我したけどな、メシ抜きの刑」
「あちゃー、確かに痛いなそれ」
指導員による叱り付けは終わりを告げてジェードルには新しい斧が手渡された。
「私は」
「癖がついているだけだ、まだ使える」
リニの要望に応える代わりに言葉を手元に置いてみせた指導員。その声は深呼吸で冷やし過ぎたのか、冬の外気に晒された金属を思わせるものだった。
「ケチ、女の子虐めてそんなに楽しいか」
鼻で笑われリニは顔を微かに下に向ける。ジェードルの方を見て萎れた目を作り、そのまま止まる事数秒間。
「リニ、落ち込まない。代わりを用意するくらいの傷をつけずに戦えるってことだ」
途端に顔の色が変わる。きらきらと青の明かりの星に充ちた瞳はまさに乙女の眼差しだった。
「だよね、分かってるけど分かってないね、ジェードルは本名で呼んでくれないのかな」
落ち込み仕草すら芝居だったと知ったジェードルは呆れを顔に表す。そんなやり取りを傍目に指導員は再び彼女の事を鼻で笑うだけの結末を迎えた。
昼食の時間、周りが食事を取る様を見つめる事しか出来ずに嫉妬を表に出すリニに半分だけ分けたジェードルは胃が物足りないと叫ぶ感覚を知った。切望を潤す一滴によって絶望の淵から引き上げられた彼女の笑顔はジェードルにとってそれだけの価値を持つものと言えた。
「ありがとな、危うく乙女としての生命終えてわけ分かんねえ生命体になるとこだった」
「既にわけ分かんねえけどな、奇人美人軍人って」
「んな女と仲良くなれてるんだからもっと大事にしろよな」
今でもきっと外ではクラゲが浮いているのだろう。地中都市の周辺程度であれば戦闘員の巡回によって掃討されて人類の平和と言う形で総統されているかも知れないものの、きっとそれは仮初めの平和。そんな中での微かな希望の笑顔が眩しかった。
「つっても大事にしない方が笑ってくれるしな」
「そこは嘘でも大事にするって言えよ悲しい、意地悪なジェードル」
言葉は嘘の感情を告げ、表情は地下都市の薄っすらとした明るみから浮いてしまう満開の笑顔を咲かせる。
「俺たち二人で外の任務に行こうな、リニ」
「フリュリニーナって呼んでくれよ」
声を飛ばすもそれはリニの叶わない願望。上手く感情を押し潰して戦うことが出来れば地下都市周辺の護衛程度の外出からは逃れることが出来るだろう。しかしながら本名で呼ぶことは何故かジェードルの口が否定していた。
あの美しい並びを言葉にしようと思うだけで頭がのぼせ、景色が遠く感じてしまう。この感情に名前を付けるとすれば果たしてどのような文字を感情のラベルに書き込むことだろう。
「リニはリニだしな」
「うわっ、女の子の本名呼べる貴重な機会潰してるし」
そんなやり取りの後に恥じらいと仮の名をつけて貼り付けて脳裏のどこかへと仕舞い込む事にした。
それからすぐさま指導員が数名の皴まみれの顔をした男たちを引き連れて、ジェードルたちの目には覚えのない戦闘員が更に後ろを歩いて列を成している。
「さて、今日は地下市民にも日光を浴びてもらう日だ」
地下都市の薄青い光は弱めの日光と同等の効能が備えられているとは言われているものの、本物とは質感が大きく異なる。目から明るみを、感情の輝きを失わないためにも時たま外へと出る日を設けていた。
「まるで私たちと正反対だな」
「持ち込んで行けないのは戦場だけだからな感情は」
この部屋でも感情を抱かないよう指示が出る事もあるものの、飽くまでも訓練の一環。感情の火を完全に焼失させてしまっては人として消失してしまうという事。
「戦闘員は各配置を覚えるように」
それぞれの配置が記された紙が張り出される。一般市民の護衛の為の配置は万が一クラゲが近くに残っていた時の為の対策。地下に追いやられた民にとって貴重な紙の消費を抑えるために壁に張り出すだけの事。
壁に集い、配置を確認する中でジェードルの肩を軽く叩いて角度の急な笑みを見せるリニの声が爛々とした色を広げて行った。
「よっしゃ、ジェードルと同じ配置だ」
ジェードルは紙に綴られた名前を上から下、左から右へと見回し隅々まで照らし合わせ、柔らかな笑みをこぼした。
「これ最新の戦績順だな」
恐らく強い人物を外側に置いて可能な限り鉱物生命体を市民に近付けないように配慮を込めて組まれたものだろう。
指導員の指示に従い列を作り、歩いて行く。足並みを揃えるなどと高尚な事は誰も告げない。飽くまでも守り通す事だけが任務。不要な規則を作って集中力を絶やしたくないという事が彼らの本音だろう。
ジェードルは一つの疑問を抱いた。マルク医師は何処にいるのだろう。地下にこもっているのか探せば目にすることが出来るのか。
――マルクのおじいは戦闘員じゃないから表に載ってなかったんだよな
この大勢の中に潜んでいるのだろうか。考える程に蒼黒い闇の輝きが底から肺へと入りそのまま充たしていく。
後ろを歩く市民たちの気配を背負いながら階段を、ただひたすら長い階段を上って行く。時たま懐中時計に目を向けながら過ぎ去る時間を数字として記憶に記していく。
「二十分くらいだな」
「チェムドニウムの雨が流れ込んだら終わるしな」
「無駄な会話は控えろ」
指導員の言葉が既に感情を抱いてはならない段階だと告げる。全てを押し殺した表情こそが美徳とされるそこで感情は隠して躍らせるものだと肝に銘じながら明るみを目指す。
輝きの向こうの景色を瞳が捉える事が許されない。白く色付いた景色は希望だけでなく危険まで覆い隠してしまう。
「クラゲが待ってたら分かるよな」
ジェードルの問いにリニは勢いよく声を撒き散らす。
「おう、クラゲが出たら叩く」
「余計な会話は」
「余計じゃねえし」
指導員の指摘に苛立ちを募らせながらリニは斧を構える。ジェードルも倣って斧を構え、脳が酸素を欲している感覚を味わっていた。それを緊張だとその場で確かめることも出来ずに。
やがて迎えたゲートをくぐり、ジェードルは斧の構えを解いた。
「リニ、配置につこう」
「だな」
太陽が照らした景色は指導員たちの目には異様なものとして映っているのだろうか。彼らの中で交わされた会話を動かぬ耳で情報の音として捉える。
「相変わらず空の青は穢れている」
「ああ、あの空の色が失われて十年以上が経つ」
「平和は訪れていないのだと手帳に記しておけ」
ジェードルにとっては当たり前の空の色、リニにとってもそうなのだろうか。
空を舞う魚の影が微かな存在感を漂わせながら溶けている。それは時たま力を失って落ちて行く。
ジェードルはその様に疑問を覚えながら配置を目指して荒れた地面を踏み続けた。