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第2話 汚染金属

 テーブルの上でカンテラが揺れる。動きに合わせて輝きがぶれて、薄っすらと青く色付いた輝きに人類と共に寄り添って来た色合いをもたらす。

「ジェードルよ、しっかりと学んでいるよな」

 マルク医師、白髪交じりの頭を束ねた垂れ目の男が差し出した資料を頼りない輝きの導きで目に入れる。

「かつてこの世界に降り注いだ破滅の雨は万物を溶かすかのように思えた、だな」

「続けたまえ」

 マルクはテーブルの上にて寝かされた爪切りを右手でつまみ、放り投げるようなしぐさで回して構える。

 ジェードルはマルク医師が爪を切る音による静寂の崩壊と共に、声だけの世界からの脱却と共に資料のページを捲って次に入った文字に目を通す。

「あらゆるものを溶かす雨は金属すら溶かし、無へと帰すように思えたが、そのまま取り込み固まった」

 マルクは爪を切りながら頷き、そのまま干乾びた老人に見合ったしゃがれ声を鳴らす。

「そうだ、固体の時には透き通る結晶、液体の時には金属を取り込み合金と化す不思議な金属だ」

 地球上には、それどころか人類の調査の範囲の中では宇宙の中にすら存在しなかった物質。どこから現れたのかさえ分からないそれは当然研究者たちの調査対象とされた。

「ある程度の功績を残した研究チームの代表者の名前から取ってチェムドニウムと付けられた」

 響きすら考える余裕がなかったのだろうか。名称に関してもっと格好いいものは無かったのだろうかと考えてしまうジェードルは幼いのだろうか。気にすることすらやめる慣れというものが取るべき対応なのだろうか。

 ジェードルは蒼黒く輝く斧の側面をなぞる。

「採掘が容易かつ加工の手間を抑え、討伐対象よりも出来る限り頑丈」

 先ほどの戦いにおいて刃が潰れてしまったその斧に目を向けて、目を細める。

「全条件を満たした組み合わせがこれか」

 クラゲの頭を闇雲に叩いてしまえば一体の討伐で機能しなくなるそれを見つめ、呆れを口の端に滲ませてしまう。

「チェムドニウム合金、もっと硬いのないのか」

 マルクは目を尖らせ口を尖らせ指先を研ぎ澄ませ、新たに取り出した資料をテーブルに叩きつける。

「この紙に目を通してみろ」

 そこに綴られていたのは様々な見覚えのある文字の列とその隣に記された数字。総額と日用品から戦闘員の装備品に設備やインフラ、未来に明るみをもたらすための研究費。

「今年の予算か」

「そうだ」

 マルクは爪切りを軍事費の項目に向け、二度叩く。頑丈な二つが打ち合う音は日頃耳にしている時には心地よさをもたらすものの、今のそれは日頃の印象から大幅にかけ離れていた。

「今でも武器の加工にかかる費用が膨大なのだ」

「ちょっと待て、算数なら出来る」

 様々な項目に目を向けて、紙に書き留め思考する。

 どうやら平和をもたらすために投じる費用を抑えているわけではなく、平和を保つために軍事費を抑えているようだった。そもそも世界の現状の中でやりくりできる限界など大人がとうに算出してしまっていた。

 続いてマルクはジェードルを睨みながら刃の潰れた斧に爪切りを向ける。

「だから無駄な感情を抱かぬようにと言っている」

 耳の痛い話に思わず肩を竦めてしまう。このままではきっと国の金を喰らい潰す内なる敵となってしまう事だろう。

 そんな中ではあったものの、ジェードルは己の夢を告げずにはいられなかった。

「外の戦いに出たいんだ、そのためにはやっぱり」

「ああ、感情を抑えろ」

 話によれば外を目指す者の大半が感情から志す。民を守りたいという理由であれば内部の守護だけで充分だというのが内に籠る者たちの言い分。

「なんだか煮え切らないよな」

 人類の情と求められている姿勢の差異が作り上げたこの状況。皮肉を奏でる滑稽な人形劇。

「外への憧れは感情だが外を駆け回り続ける為には、鉱物生命体に打ち勝たなければならない」

「そのための無感情だろ」

 ジェードルは壁に掛けられた時計に目を向ける。

「時計止まってるぞ」

 手巻き式の時計は充分な電力を賄う事は先ほどの件からも窺えるとして、安定した電池の供給すらままならないという事を見越して配布されたものが手巻き式の時計。

「大丈夫だ、三日は止まっている」

「放置しすぎじゃないか、仮にも医師が」

 厳密な時間配分や検査、扱う事への重大性は全てにおいて膨大。そんな彼がこのような失態を犯している様を目にして苛立ちが見え隠れしてしまう。

「腕に巻いている方は無事だ」

 マルクは腕時計の円盤をジェードルに向けて秒針が一定のリズムで刻まれている事を示す。

「こんな時間、俺行かなきゃ」

「ああ、行ってこい」

 力なく手を振るマルクの顔に宿る微笑みはわざとらしく、ジェードルが慌てる事を知っていたかのよう。

――おっさんギリギリまで黙ってたな



 ジェードルが走り去って静寂が駆け寄って来た室内でマルクはただ一人、紅茶を淹れる。

「外出調査は厳しいか」

 マルクは青い輝きに灯された煙を見つめながら紅茶を一気に飲み干しそっとテーブルに置いた。

「ギリギリでも感情を抑える事が出来なけりゃな」

 ドアを通り抜けてノックの音が届く。椅子の背もたれに掛けていた白衣を取り、袖を通す。白い薄手の手袋をはめてドアを開き、ケガ人を迎え入れ手当を開始した。



 頑丈な床を叩く音が耳に鋭い残響を残す。刃の潰れた斧を持って駆け抜けるジェードルは素早く壁を曲がる。迷いなき行動は先ほどの戦闘の時とは大違い。しかしながらどちらの時の情を取っても感情に支配されている事には変わりない。

「急げ急げ急げ急げ」

 繰り返し声に出して己に命令を下す。床と壁の境界線は青く輝いて視界にくっきりと暗がりの灯りを当てている。

「遅刻は懲戒処分対象なんだってのに」

 戦闘員、つまりは軍隊と言う立場にて調和を大幅に乱す行為は許されていない。乱れてもよいのは戦場の足取りだけ。

「遅れたらパンが無くなる」

 罰を与える事で是正という形はかつて日が昇る国といった意味合いを名に冠した素晴らしき調和の国の厳格な規則から取ったものだという。

 すぐさま目の前に訪れた壁を避けるように再び曲がり、重たい装備によってかかる圧をも遠心力に変えて方向転換。更に駆けた先にジェードルの行く末、欠けそうになっている昼食を保つ希望の光が見えた。そんな気がした。

「行け行けイケイケな俺」

 開かれっぱなしのゲートを挟む二人のひげ面の男はジェードルの姿を目にして上目遣いの笑みで嘲る。

「ふざけるなー」

 ジェードルの努力は無事に実を結んだようで、ジェードルの通過の際に男たちは懐中時計を見つめながらドアに手を掛け始める。

 更にもう一つのゲートをくぐり、大きな部屋に入り込んだ。

「間に合った」

 靴と床が奏でる摩擦の音と勢い余った声が混ざり、誰もがジェードルの方へと目を向ける。視線の集中砲火で心がハチの巣にされてしまいそうだった。

 熱がこもり汗が滲む。羞恥の心と疾走の余韻が出ているものの、構うことなくジェードルは席に着き、誤魔化すように斧の刃を確かめる。

 天井から注がれる青い輝きは斧に光沢をもたらしどのように潰れているのか、情報を視界へと跳ね返す。

「まだまだ未熟ってか」

 乾いた笑いは外出調査という潤いからは程遠いのだと告げる。

 突然金属を打ち合う音が響き始め、誰も彼もが意識と顔を一つに向けた。

「今日の緊急討伐任務はお疲れ様、戦果の賭けは禁止だからな」

 倒した数を競い合い、昼食を豊かにしようと企む人物もいるのだという。ジェードルは討伐数ゼロの人物を集めて賭けに乗りたい気分だった。

 指導員がゆっくりと歩き、立ち台へと向かう。

 刹那の出来事だった。

 閉められていたドアが急に開き、飛び込んで来る影が指導員の背後へと迫り来る。

 指導員は瞬く間に振り返り、影を捉え、捕らえ、逸らすように床に投げ捨てた。

 余裕を持って見下すような目つきを作り、床に倒れた者に向けて太い響きを持った声で圧していく。

「フリュリニーナ戦闘員」

「痛た」

 赤みの混ざったクリームを思わせる色の髪をした女は床に伏したまま指導員の方へと顔を向ける。

「フリュリニーナ戦闘員、返事は」

「おう、本名じゃなくて愛称で呼んでくれー」

 短い髪、青の明かりの空間に似つかわしくない赤みを帯びた髪を一瞥して指導員は鼻で笑う。

「遅刻にて懲戒処分、昼食のパンの支給は無しだ」

「ええ、そんな……ほらほら、女の子だよ。この特権に免じて許して」

「民間の方がお似合いのようだな」

 上目遣いにわざとらしい涙を添えた彼女の抵抗はあっさり無視されてしまった。

 ジェードルは彼女へと歩み寄り、手を差し出した。

「ほら、立てよリニ」

「ありがとう、ジェードルは本名で呼んでくれないのか」

 どちらが彼女の望みなのだろう。ジェードルはここ数日で最大の問題に頭をぶつけていた。不明、表情も仕草も答えなど教えてくれない。何もかもがただの明るみでしかなかった。

「そうだ」

 思考の霧に惑うジェードルを置き去りに、時間に置いて行かれそうなジェードルの手を引いてリニの唇が滑らかに動く。

「賭け、やろうぜ。夜から朝にかけてのクラゲの討伐数で」

「うわ、こいつ」

 この上なく煌めいた笑顔。それが指導員の言葉によって禁じられた事を勢いよく引き当てる女の表情。

「何か、いつもの事じゃんね」

 軽い口ぶりのリニに対して指導員は肩をわなわなと震わせている。リニがいない間に厳重注意といった形で周知した事を真っ先に告げたものだったから。

「それは禁止した」

 リニは大きく目を見開き右脚と両腕を不規則に上げる。今にも跳ね上がってしまいそうな姿勢に思わずジェードルは吹き出してしまっていた。

「せっかく一体討伐したのに」

 得意気な笑みを浮かべながら戦果を報告するリニと向かい合いジェードルもまた同じ色の笑顔を見せつけた。

「何その笑顔、なんでジェードルもそんな顔してるの」

 訊ねられても言葉を返すことなく沈黙を貫く。ただ堂々とした態度だけがそこにあり、ただそれだけで充分な威力を発揮していた。

「まさか」

「ああ、そのまさかかもな」

 リニはがくりと肩を落とす。最低限の言葉一つでジェードルもまたクラゲを討伐したのだと示していた。

「こいつら、感情に支配されてやがる」

 そんな様子を眺めて指導員は呆れをため息と言う形で零すだけだった。

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