「ナディア様、こういうのはどうかしらぁ」
10冊めのカタログを開いたセラフィナが、裾が広がっているラベンダー色のドレスを指差した。
「そうね、素敵なんだけど、ちょっと違うかな……。ごめんなさい、さっきから何回もこんなこと言ってばかりで。私のために時間を使ってくれているのに」
「いいのよぉ、せっかくデザインするんだからナディア様の好みをきちんと知りたいものぉ」
「ねえ、ナディア、着てみたいドレスの形があるんだったら、絵に描いてみてよ」
「私が? 描けるかしら」
「それいいわねぇ。なんとなくでもいいから、イメージがあるんだったら描いてもらえると助かるわぁ」
「ナディア様、紙と羽ペンですぞ」
ソフィーがローテーブルの上のカタログをどかし、さっと紙と羽ペンを置いた。
「ありがとう、ソフィー。相変わらず素早いわね。うーん、でも、イメージのドレスって言われても……。あっ、そうだわ!」
ナディアは立ち上がり、ベッド横のサイドテーブルの引き出しから絵本を取り出して持ってきた。
「この女の子みたいなドレスがいいんだけど、どうかしら?」
ナディアは絵本の表紙をセラフィナに見せた。胸元にレースと黄色の小花が描かれ、ふわっと広がるスカイブルーのスカートに、ウェストのリボンが長く垂れているドレスを着た少女の絵が描かれている。
「かわいらしいわねぇ」
「ナディアに似合いそう!」
「色も素敵ですぞ」
「全く同じにはならなくていいから、これに近いドレス作れるかしら?」
「はい。大丈夫ですよぉ。ちょっとアレンジしてもいいかしらぁ?」
「もちろんよ。あとはセラフィナに任せるわ。ごめんなさい、早く思いつけば良かったわね」
「いいのよぉ。一緒にカタログ見るのも楽しかったわぁ。それに、ナディア様の好みもなんとなく分かったしぃ。パーティーのドレスはこれを元に数着考えるわぁ。結婚式のドレスは、私に任せてもらってもいいかしらぁ? ナディア様を見ていたら色々思いついちゃったのぉ」
「式とパーティーでは違うドレスを着るのね」
「そうよぉ。パーティーではドレスをたくさん着替えて、皆にナディア様の美しさを見せつけたいところだけど、あんまり時間もないし、1着1着を豪華に仕立てたいから、結婚式用に1着、パーティー用に2着で我慢しておくわぁ」
「ありがとう、セラフィナ」
「ナディアのドレス姿、楽しみだなあ」
「目に焼き付けますぞ」
「ソフィー、ウンディー、私はデザイン考えてくるから、このカタログ片づけておいてねぇ。ナディア様、できたら見せにくるから意見聞かせてねぇ」
セラフィナはそう言うと、いつになく早足で部屋を後にした。
「張り切ってるね、セラフィナ」
「好きな分野でお役に立てるのが嬉しいのだと思うぞ」
「ふふっ。あら、もう夕暮れなのね。ドレス決めで1日終わっちゃったわ。パーティーの準備何も進んでないけどいいのかしら」
「続きは明日にしますぞ。夕食の支度をして参ります。今日は主君がいないから緊張せず召し上がれますぞ」
「ソフィー、そんな言い方……。緊張はしていたけど」
「レイに緊張しなくても大丈夫だよ。レイはナディアのこと大好きだから」
「えっ? そう、なの?」
「あれ、気づいてない?」
「気づかれるほど一緒にいないからではないか?」
「あー、そうかも。ひひっ、レイに言ってやろう~」
「あまり主君をからかうでない。不憫じゃ」
「2人とも、どういうこと? 旦那様は本当に、その、私のこと……」
「まあまあ。本人から聞くのが一番だよ。ねえ、ナディア、今日はボクとご飯食べよう」
「ウンディー、仕える者が主人と一緒に食事を摂るなど、言語道断」
「いいじゃない、ソフィー。ひとりじゃ寂しいもの」
「ヤッター!」
喜ぶウンディーネの頭を撫でるナディア。ソフィーはやれやれと首を横に振って部屋を後にした。
新月の闇夜、明かりがないと足元すら見えない路地裏を、黒のローブに身を包んだシャノワールの集団が闊歩している。
先頭のレイヴノールは腰にロングソードを差し、後ろに続くメーリック、リアン、ポール、テラ、タロン、ララの6人はそれぞれ、巨大な斧、短剣、ハンマー、こん棒、クロスボウ、鞭を持っている。
明け方まで営業している飲み屋の前を通ると、客や店員が窓や扉から顔を出し、口笛や指笛を鳴らしてシャノワールを激励した。
「危険な奴らを取っ捕まえてくれよ!」
「そうじゃなきゃこんな時間に安心して呑めねえや。なあ」
「おう、そのとーり!」
ガハハハハと酒を片手に顔を赤くした男たちに囃し立てられ、レイヴノールは片手を上げた。その他の者は手を振ったり、無視したりして店の前を通りすぎて行く。
その後、2人1組を2グループ、3人1組を1グループ作って分かれて夜警を続けた。
テラと組んだレイヴノールがランプを片手に辺りを見回しながら歩いていると、道端に佇む娼婦たちが声をかけてきた。
「ギルドの猫ちゃんじゃない」
「あらあら、毎月、毎月、ご苦労様」
「何か困ったことはないか?」
レイヴノールが問いかけると、娼婦たちはレイヴノールたちに指を突きつける。
「あんたたちに困ってる」
「猫ちゃんたちが見回る日は、客が減って困るんだけど」
「ははっ、それはすまないことをしたな。どうだ、シャノワールの加盟店で昼間に働かないか?」
「えー、どうしよっかなー」
「そんな簡単にはいかないのよ。じゃあね」
娼婦たちは2人で腕を組んで背を向けた。
「危ないやつもいるから気を付けろよ」
レイヴノールの声が届いているのかいないのか、2人は振り向かずに去っていった。
「ふんっ、あたいらが見回りしてるから変な客が減ったんだろ」
「そう言うな、テラ」
先に進み、角を曲がったところで他の場所を見回っていたメーリックとポールと鉢合わせた。
「順調か?」
レイヴノールが2人に聞くと、メーリックは顔をしかめた。
「この先で酔っぱらいのケンカがあって、仲裁はしたんだが……」
メーリックがポールに目を向け、ポールのフードを脱がせる。黒渕メガネの片方のレンズが割れ、フレームも斜めに曲がってしまっている。頬に新しいみみず腫れの傷ができていた。
「大丈夫か、ポール?」
「なんだってこんなことになったのさ?」
「猫が、いた」
ローブの内側から子猫が1匹顔を出した。
「猫?」
「メーリック、猫ってどういうことさ?」
「おいらが仲裁に入った時、その子猫が飛び出してきて、ポールが子猫を助けようと、暴れてる酔っぱらいどもの間に入ったもんだから、ボコボコにされちまったんだい」
「あちゃー。それは災難だったさ」
「メーリック、ポールを連れてギルド部屋に戻って手当てしてやってくれ。そろそろ夜が空けるから、そのまま帰っていいぞ」
「ああ、了解だい。じゃあ、また来月。行くぞ、ポール」
ポールは頷き、メーリックの後について行った。
「俺たちも、リアン、タロン、ララと合流したらギルドに戻ろう」
「了解さ」
ガッシャーン!
2人で歩き続けていると、どこからかガラスの割れる音が響いた。
「こっちだ!」
レイヴノールはテラに声をかけ、ギルドに加盟している飲食店が軒を連ねる通りへ向かって走り出す。
「うおーっ!」
「ギャーッ!」
「大人しくしろっ! てめぇら、俺の店に入りやがって!」
「や、やめてくれっ!」
通りの真ん中で、リアンとタロンがそれぞれ男に馬乗りになって取り押さえている。
「大丈夫か!」
「何があったのさ!」
レイヴノールとテラが駆け寄ると、袋いっぱいの銀貨を引きずっているララが事情を説明した。
「リアンのお店に、強盗が入ったの。ガラスは割られちゃったけど、お金が盗まれる前に捕まえられてよかったよ~」
テラがララと一緒に袋を持ち、レイヴノールはリアンとタロンの取り押さえている強盗たちを、ララの鞭でひとまとめに縛りあげた。
「くそっ、新月は素人集団だからいけるって、お前言ってたじゃないか!」
強盗の1人がもう1人に声を荒げた。
「そう聞いたんだよ。こんな屈強な奴らなんて知らなかったんだ」
「あーっ、なんなんだよ!」
足をばたつかせて苛立つ強盗の目の前に、レイヴノールが鋭い剣先を向けた。
「ひっ!」
「い、命だけは!」
「俺たちは殺しはしない。誰から素人集団だと聞いたか分からないが、お前たちのような身勝手な輩を捕まえることぐらいは容易にできる。二度と同じ過ちを繰り返すな」
強盗たちは剣先に怯えながら、ぶんぶんと激しく頷いた。
その後、留置所となっている都市の教会までリアンとタロンが強盗たちを連行し、テラとララは自宅へ戻り、レイヴノールはシャノワールのギルド部屋に寄って日誌を書いてからハウゼン邸へ戻っていった。
レイヴノールが邸宅についた時には、既に東の空からは朝日が顔を覗かせていた。
自室のソファーにローブを脱ぎ捨て、ナディアの部屋へ通じるドアに目を向けた。
(少しだけ寝顔を見て戻ろう)
疲れ切った寝不足の頭でそんなことを考え、静かにドアノブを回す。音を立てないようにドアを閉め、一歩足を踏み入れた。ナディアの眠る天蓋つきベッドまでカーペットの上をそろそろ歩いていく。
スー、スー
ベッドを覗くと、端の方で仰向けで寝息を立てているナディアがいた。レイヴノールはもっと近くで顔を見ようとベッドに肘をついて、上半身を布団の上に乗せた。
「寝顔もかわいいな」
レイヴノールはにやけ顔でナディアを見つめ、枕元に流れているさらさらの白髪を撫でる。
「本当にナディアの母上は呪いをかけたのだろうか。あの優しく慈愛に満ちた母上が、ナディアを疎んでいたとは思えないんだよな」
「う~ん……」
ナディアがレイヴノールの方へ寝返りをうつ
「おっと」
レイヴノールは髪を撫でていた手を止め、ナディアの寝息に耳を傾ける。長いまつげに、通った鼻筋、淡いピンク色のぷっくりとした唇。ナディアの顔立ちをぼうっと眺めている内に、ナディアの寝息につられてレイヴノールのまぶたも徐々に落ちていった。
ピピピピ、チチチチ
小鳥のさえずりに眠りから覚めたナディアは、上半身を起こした。ふかふかのベッドで寝ていることが未だに現実だと思えず、まだ夢を見ているのかと錯覚してしまう。寝ぼけ眼で部屋を見渡し、日差しが差し込むテラスの窓へ目を止めた。カーテンの隙間から朝日が差し込み、ナディアの目をチカチカさせる。ナディアは目をこすって、口元に手を当ててあくびをした。
「夢じゃ、ないのね」
ふわふわの布団を抱きしめようとするが、何かが引っ掛かっているのか、布団が持ち上がらない。
「変ね」
隣を見ると、ネイビーブルーのふんわりとした髪の毛が目に入った。
「えっ?」
パチパチと瞬きをして、また目をこすって横を見ると、ナディアの方を向いてすやすや寝ているレイヴノールの姿がはっきりと見えた。
「……キャーッ!!」
ナディアは思わず悲鳴を上げてベッドから離れる。レイヴノールはもぞもぞと起き上がり、辺りを見回す。
「あれ、ここ、どこだっけ?」
「だ、旦那様、どうしてここに?!」
「ナディアの声?」
ベッドから出たレイヴノールは、壁際まで後ずさりしたナディアを目にして目を見開き、改めて室内を見渡した。
「ご、ごめん! やましいことしようとかそんなんじゃなくて、つい、部屋に入ってしまって、寝顔見てたら寝落ちしてて、それで……」
レイヴノールは、目を白黒させてあたふたと言い訳をしながら自分の部屋に続くドアの方へ駆けて行った。
「本当にごめん! いや、申し訳ありません!」
さっとドアを開けて頭を下げると、バタンとドアを閉めて行ってしまった。
「なんだったのかしら」
部屋に戻ったレイヴノールはベッドに倒れ込み、ゴロゴロ左右に転がりながら頭を抱えた。
「うわー! やってしまったー! なんて失態!」
枕に顔をうずめて声を殺して叫ぶ。
コンコン。
廊下側のドアを叩く音にビクッと反応し、体を起こす。緊張の面持ちでドアを見つめた。
「主、入るぞ」
「なんだ、ディランか」
胸を撫で下ろすレイヴノールに、ディランは不審な目を向けた。
「何かあったのか?」
「ナディアの前で大失態をしてしまった……」
「またか。ナディア様が来られてから失態ばかりだな」
ディランの言葉が深く胸に突き刺さり、再びベッドに倒れ込む。
「何をしたか知らないが、きちんと謝罪した方がいい」
「そう思います……」
枕に顔を押し付けてレイヴノールは頷いた。
ソフィーが温かいお湯の入った水盆とタオルを持ってナディアの部屋に入ると、ナディアは壁の隅にうずくまり、周囲にきのこが生えるのではないかと思われるほどじめじめした重たい空気に包まれていた。
「ナディア様、どうされたのですか?」
水盆をローテブルに置いたソフィーは、ナディアの前に膝をつく。
「旦那様に、寝ているところを見られてしまったわ」
「なんと! 主君がナディア様の寝室にいたということですか?」
ソフィーが目を吊り上げる。
「そうなの。起きたら隣で寝ていらして、びっくりしてつい叫んでしまったのよ」
「主君には後で事情を聞いておきますぞ」
ソフィーは拳を握り締め、わなわな震える。
「あんなに叫んではしたないって思われたかもしれないわ。それよりも、こんなボサボサの髪も、お化粧をしていない顔も、夜着も、全部見られてしまったの。もしかしたら、だらしなくよだれを垂らしていたかもしれない。きっと失望されたわ。結婚式の前に離縁されたらどうしよう……」
ソフィーは表情をやわらげ、ナディアの背中をそっと撫でる。
「主君がなぜナディア様の寝室にいたかは不明ですが、ナディア様に失望することは絶対にあり得ませぬ」
「何で言い切れるの?」
ナディアが暗い顔でソフィーを見る。
「見ていれば分かりますぞ。さあ、ナディア様、お顔を洗ってドレスに着替えますぞ」
ナディアはソフィーに立たせてもらい、よろよろとソファーに座り込む。
「旦那様と顔を合わせられないわ」
「今朝はお部屋で召し上がりますか?」
「そうするわ」
ナディアがほっと胸をなでおろす。ソフィーはレイヴノールの部屋の方を睨みつけた。
ナディアの朝食の後片付けを終えたソフィーは、レイヴノールを探してくると言って部屋を出て行った。
ナディアはまだネガティブモードから立ち直れず、ソファの上で肩を落とし、深いため息をついた。
コンコン
ドアをノックする音がして、忘れ物をしたソフィーが戻ってきたのかと思いながらナディアはドアを開けた。
しかしそこにいたのはソフィーではなく、黄色のミモザと、薄紫、白、ピンクのライラックの花々だった。よく見ると、レイヴノールが頭を深く下げて花束を突き出している。
「旦那様?」
「ナディア嬢、本当に申し訳ありませんでした。こんなことで許されるとは思いませんが、受け取って頂けないでしょうか」
「えっ、えっ?」
嫌われているはずだと思い込んでいたナディアは謝罪される意味が分からず、困惑しながらも花束を受け取った。
「あの、旦那様が謝られることは何もないと思うのですが。むしろ、お見苦しいところをお見せしてしまい、私の方が謝らなければと思っていたのです。申し訳ございません」
レイヴノールはガバッと顔を上げてナディアを見つめる。
「勝手に寝室に入って隣で寝てしまったのですよ。悪いのは私です。ナディア嬢が謝ることは一切ありません。それに、見苦しいなんてとんでもない。とてもかわいい寝顔で……あっ」
手元を口で隠して顔を真っ赤にして目を逸らすレイヴノール。ナディアは寝顔を見られていたことが恥ずかしく、花束で顔を隠した。
「主君!」
廊下の奥からソフィーが風のような速さで走って来て、レイヴノールの前で急停止する。
「一体ナディア様に何をしたのじゃ!」
「あ、いや、それは、だから」
ソフィーに詰めよられ、しどろもどろになるレイヴノール。ナディアはくすっと笑みをこぼした。
「ソフィー、いいのよ。私達お互いに謝ったの。旦那様はこんなにきれいな花束を持ってきてくださったのよ」
ナディアはミモザとライラックの香りを吸い込み、穏やかな笑みを浮かべた。
「とってもいい香り。ミモザとライラックは私の好きな花なんです。ありがとうございます、旦那様」
ナディアの微笑みに、レイヴノールの心臓は飛び跳ね、ドックン、ドックンと耳元で鳴り響く。
「ああ、そういえば、ディランも主君を探しておった。見つけたら執務室に連れてこいと言われていたのじゃ。ナディア様、主君を連れて行って参りますのでしばらくお待ちくだされ」
ソフィーはナディアに見惚れて真っ赤な顔で呆けているレイヴノールを引きずっていった。
「どうして旦那様は私の好きな花が分かったのかしら。偶然近くに咲いていたとか?」
ナディアは首を傾げながら部屋に入り、嬉しそうに花束を優しく抱き締めた。