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第14話

エントランス前で止まった馬車から先にレイヴノールが降り、ナディアに手を差し出した。ナディアが手を取って降りると、レイヴノールは微笑みながら尋ねた。


「ナディア嬢、もう少しお付き合い願えますか?」


「どこかへ行くのですか?」


「湖でボートに乗りませんか?」


ナディアは突然の誘いに驚き、夕日が沈む寸前の空を見上げた。


「今からですか? でも、そろそろ陽が落ちて暗くなってきますよ」


「だからいいのです」


レイヴノールはいたずらっぽい笑みを浮かべ先を歩いていく。ナディアは首をかしげながら後について行った。


陽が沈み、月明りだけを頼りに森に入る。昼間とは違い、暗い影を落とす鬱蒼とした木々にナディアは恐怖心が芽生えてきた。


「ナディア嬢、大丈夫ですか?」


前を歩くレイヴノールが振り返る。


「あ、はい……」


怯えた顔で頷くと、レイヴノールは手を差し出してきた。


「もし、よろしければ、お手を」


「で、では、お願い、します」


ナディアがレイヴノールの手を握る。レイヴノールの温かい手に、ナディアの心は落ち着き、周囲を見渡す余裕ができた。足元に目を向けると、道の両脇に生えているキノコがぼんやり光っていることに気づいた。幻想的なキノコの明かりと、繋いだ手の温もりのおかげで、ナディアの恐怖心は消え去った。


暗い森を抜けて湖に出ると、緑、黄色、黄緑色の蛍の光があちらこちらでピカピカ輝き、闇夜を照らしている。その光景にナディアの目は釘付けになった。


「まあ、とっても素敵!」


「ナディア嬢、こちらへ」


レイヴノールが湖の縁に停めてあるボートまで連れていく。


「私、ボートは初めてで」


揺れるボートの縁に手を置いて怖がるナディアの手をレイヴノールはしっかり握る。


「大丈夫ですよ」


レイヴノールは優しく声をかけながらナディアをボートに座らせた。


「ほら、ちゃんと乗れましたよ」


レイヴノールはナディアの手を離し、杭に繋いでいたロープを外してオールを持ち、ゆっくり漕ぎ出していく。


「あ、ありがとうございます」


ナディアはレイヴノールに掴まれた右手を左手で包み込み、頬が熱くなるのを感じた。


真っ暗な湖面に映る無数の蛍の光の中を、ボートは静かに進んでいく。湖の真ん中辺りまで進んだところで、レイヴノールはオールを置いて夜空を見上げた。ナディアもつられて見上げると、月と一緒に夜空を照らす満天の星空が頭上に広がり、感嘆の声を上げた。


「うわぁ、すごい!」


「そろそろかな」


レイヴノールが呟くと同時に、港の方角からヒュルルルルというか細い音が聞こえてきた。次の瞬間、ドーンという音の後に夜空が一気に明るくなり、オレンジ、赤、黄色、の光が花開き、夜空を照らした。突然のことに驚いたナディアは口元に手を当てて目を丸くした。

緑、黄緑の小さな光の花がドーン、ドーンという音と共に次々と咲き、消えたと思ったらまたすぐに次の光の花が夜空に打ち上げられる。初めて見る光景に何が起きているのか分からないながらも、光の花の美しさにナディアは目を離すことができなかった。


「花火を見るのは、初めてですか?」


「花火っていうんですね。初めてです。これも自然の現象なのですか?」


「いいえ。花火は人間が作ったものです。年に1度、建国祭の最後に海の上で打ち上げられるんですよ」


「人間が造れるものなんですね。とってもきれいです」


瞳を輝かせて花火を見上げるナディアの横顔を見ながら、レイヴノールは呟く。


「本当に、きれいだ」


ヒュルルル、ドドーン、ドドン、ドドドーンと音が重なるほど打ち上げられた後、一番大きなドーンという音が鳴り響く。様々な色が混ざった大輪が夜空を覆うように花開き、パラパラパラと静かに消えていった。


「これで最後みたいですね」


「あんなに美しい花火を見せてくださり、ありがとうございます。それに、建国祭も楽しかったです」


レイヴノールは、今までに見たことがないナディアの満面の笑みに胸が高鳴り、締まりのないくしゃくしゃの笑顔を浮かべた。


「旦那様と出会ってから、夢のような幸せなことばかり起きて、私なんかにはもったいないです」


打って変わって力なく笑うナディアの方に、レイヴノールはぐっと身を乗り出す。


「ナディア嬢はもっと幸せになるべきです。今まであんなに苦労してきたのですから」


「苦労などではありません。私のことを恨んでいる父から追い出されず、あの家においてくれていただけでもありがたかったです。呪われている私は、誰かを幸せにすることはできません。こんな私が、幸せになることは許されないのです」


「ナディア嬢が幸せになってはいけないという言葉の呪いをかけたのは、侯爵ではないですか!」


憤慨するレイヴノールに、ナディアは首を横に振る。


「父から、母は特別な力を持っていたのに、私のことを憎んでいたから、亡くなる前に私に力を与えず、呪いをかけたのだと言われたことがあるのです。たくさん愛を与えてくれた母に憎まれているなんて思いたくないですが、この髪の色が呪いの証拠だと父は言うのです。母が亡くなるまでは、母と同じ黒髪だったのですが、今は亡霊みたいな白髪になってしまって、父の言うことは完全に否定できません。タリアの身代わりとして殺されるかもしれないと恐怖しながらやってきましたが、まさか旦那様がこんなにも優しい方だとは思いませんでした。ソフィーに、セラフィナ、ウンディーネ、ディランさんも親切で優しくて、ここに来て大切な人がどんどん増えて……」


ナディアは声を震わせ、言葉を詰まらせる。伏せた目から涙がこぼれ、握りしめられた両手の上に一滴落ちる。


「こんな呪われた私と関わり続けたら、皆を死なせてしまうのではと、怖いのです。だから、離婚しなければと……」


目元を両手で覆い、嗚咽を押し殺す。レイヴノールは震えるナディアの肩にそっと触れた。


「呪われているかどうか、はっきりと分からないじゃないですか。髪の色は何か他の理由があるかもしれない、お母上はナディア嬢のことを疎んでいたのではなく、そのように見せかける必要があったのかもしれない、それに、少なくともナディア嬢の友人の死は、シュペルツ侯爵によるものなので、呪いとは無関係です」


ナディアは顔を上げて困惑の表情を浮かべる。


「それは、どういう意味ですか?」


「ナディア嬢には私の傍で幸せに暮らしてほしかったので、話すつもりはなかったのですが……。ナディア嬢の心の重荷を少しでも軽くするためにお話しします。私が結婚を続けなければならない理由について」


レイヴノールはナディアの肩から手を離すと、唇を引き結んで重苦しい表情を浮かべた。


「私の父は、ヨハンブルグ伯爵家の当主で、運営する商会の貿易事業のために家族旅行も兼ねて、母と私を連れて外国へ行こうとしたのです。そこで、海賊に襲われて両親は命を落とし、私だけが生き残りました。ヨハンブルグ家は全員死んだとされ、当主の後を継ぐ親戚もいなかったので抹消されました。以前お話したように、それから私は孤児院で育ち、事業を成功させ、一代貴族の男爵の爵位を授かったのです。その過程で、私の両親と縁のあったシュペルツ侯爵の悪い噂を聞き、侯爵を調べていました。そして、海賊と取引をした侯爵が私の家族が乗った船を襲わせ、金品だけでなく両親の命を奪ったことを知ったのです」


ナディははっと息をのみ、震える手を押さえる。


「それから、シュペルツ侯爵に私が生きていることが知られないよう、社交の場ではディランに仮面をつけて身代わりを頼んでいたのです。私は裏で復讐のために証拠集めに奔走し、腹心のソフィーを侯爵家に送り、監視をさせていました」


「えっ、ソフィーが? でも、お父様が懇意にしている貴族家の紹介状を持ってきていたそうなのですが」


「その方は私も懇意にしているので、色々と理由をつけて紹介状を書いてもらったのです」


「そう、だったんですね」


「ソフィーからシュペルツ家の内情も、ナディア嬢についても聞いていたので、身代わりとしてナディア嬢が来ることは予想済みでした。なので、あえて求婚状には令嬢の名前を書かず、嘘の求婚にならないようにしたのです。ナディア嬢をあの悪魔のような家から遠ざけ、私の傍で安全を確保してから、本格的な復讐を始めようとしていました。もし私だと気づかれてもすぐに手出しはできないだろうと、結婚式で仮面を外したのですが、全く気付かれる様子はありませんね。父と同じ髪色で、母と同じ瞳の色なのに。侯爵は両親のことを忘れたのかと思うと、怒りが込み上げてきました」


レイヴノールは俯き、膝の上で握りしめた拳を震わせる。すぐに顔を上げて、蛍の光にきらめく宝石のようなサファイアの瞳でナディを見つめ、表情を和らげた。


「でも、ナディアはずっと覚えていてくれたんだね」


優しく微笑む顔が、唯一の友人の笑顔と重なる。


「えっ……?」


レイヴノールはパンツのポケットから封筒を取り出してナディアに見せた。

拙い文字で「おにいちゃんへ」と書いてある。

封筒とレイヴノールを交互に見つめるナディアの口元が震え出し、大粒の涙がポロポロあふれてきた。


「ほ、本当に、お兄ちゃん、なの?」


頷くレイヴノールの目にも涙が浮かんでいる。


「生きてたのね! 良かった!」


ナディアは声を上げて子どものように泣きじゃくった。レイヴノールがナディアの頭を優しく撫で、涙を拭う。


「傍においてナディアの安全を守りたかったのもあるけど、シュペルツ家から解放して、今まで経験できなかったたくさんのことを知って、たくさん笑って、みんなから愛されて、幸せに生きてほしいと思ったから求婚したんだ。ナディアが望むことは何でも叶えてあげたい」


レイヴノールは膝をついて、小箱を開け、中のピンクサファイアの指輪をナディアに見せた。目を丸くするナディアを、レイヴノールは真剣な眼差しで見つめた。


「だけど、すぐには離婚を受け入れられない。復讐が終わるまでは妻でいてほしい。だから、契約結婚というのはどうだろう」


ナディアは目をパチパチさせ、状況がのみこめず、首を傾げる。


「契約、結婚ですか?」


「もう結婚した後だけど、復讐が終わるまでの期間限定の夫婦になろうっていうことで。俺はナディアとずっと夫婦でいられたら嬉しいけど、復讐の後ナディアが望むなら離婚を受け入れるよ」


寂しそうに微笑むレイヴノールに、ナディアはチクッと心が痛んだ。


「……分かりました」


ナディアが頷くと、レイヴノールは指輪をナディアの左手薬指にはめた。蛍にも星にも負けない輝きに、ナディアは釘付けになる。


「シュペルツ侯爵は殺したいほど憎いけど、帝国法で裁いて公に処罰を受けさせる。……父親が断罪をされるのは悲しい?」


「いいえ。父がしたことは許されることじゃありません。まだよく理解しきれていないこともありますが、私ができることはお手伝いします」 


レイヴノールは、ゆっくり左右に首を振った。


「ナディアを復讐に利用するために求婚したんじゃないよ。できれば、シュペルツ家のことは全部忘れて、自由に、楽しく生きてほしい。ナディアには笑顔が似合うよ」 


「で、ですが、呪われている私にはそんな資格はないです。お兄ちゃんが生きていたのは嬉しいけれど、この先私といたらどうなるか……」


レイヴノールは俯くナディアの頭をポンポンと軽く触れた。


「俺はナディアのせいで死ぬことはないよ」


ナディアは顔を上げてレイヴノールを見つめた。


「でも!」


「先のことは分からないものさ。ナディアが自分の人生を自由に、幸せに生きたら呪いは消えるかもしれない。とりあえず、復讐が終わるまでは俺の傍でたくさん笑って、色々なことを経験して、楽しんでほしい。ナディアのせいで誰かが命を落とすことがないように俺がみんなを守るよ。約束する」


レイヴノールは小指を立てて微笑んだ。


「……はい」


ナディアは頷き、レイヴノールの小指に自分の小指をからめて涙を流しながら笑みを浮かべた。


レイヴノールは湖の縁に向けてボートをこぎながら、ナディアに笑顔を向けた。


「復讐のこと隠し通さなきゃと思ってたから、ハウゼン男爵として距離をとって気持ちを押さえてたけど、もう全部話しちゃったし、これからは素の俺でナディアと接してもいいかな」


「素の、旦那様、ですか?」


「うーん、旦那様もいいけど、名前で呼んでくれると嬉しいな」


「な、名前ですか」


「そう。呼んでみて」


期待の眼差しを向けられ、ナディアは目を瞑って真っ赤な顔で名前を口にした。


「レ、レイヴノール、様」


レイヴノールも顔を赤らめ、恥ずかしさで縮こまるナディアを愛しそうに見つめる。


「ナディア、改めて宜しくね」


ナディアはこくこく頷き、薬指に光るピンクサファイアの指輪にそっと触れた。

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