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第17話

「ナディア、元気ない?」


ソファーの背にもたれて指輪を手のひらで転がしながら溜め息をつくナディアに、隣に座るウンディーネが問いかけた。


「ちょっと、疲れただけよ」


「ナディア様、何かあったらいつでも相談に乗るわよぉ」


ナディアの背後から頭を優しく撫でるセラフィナの手を、ソフィーが払った。


「お疲れでしたら、早くお休みしますぞ。セラフィナとウンディーネは部屋に戻るのじゃ」


「えー、まだナディアと一緒にいたい!」


ナディアにくっつくウンディーネをソフィーが引き剥がそうとするが、ナディアの腕に手を絡めてなかなか離れようとしない。


「離れるのじゃ!」


「いーやーだー!」


ソフィーとウンディーネが声を張り上げて言い争っていると、セラフィナがテラスに出て、月明かりのない暗闇が広がる庭を見つめた。


「あら、レイ様だわ」


「ウンディー、ごめんね」


ナディアはしがみつくウンディーネの手を解いてテラスに向かい、セラフィナの横に立って目をこらした。エントランスに灯る明かりの前で、ローブを着たレイヴノールが馬に股がり、門の外へ馬を走らせて深い闇の中に消えていった。


「お仕事に行くみたいねぇ」


「こんな時間に仕事? 本当に?」


ナディアは門の外へ目を向けてぽそっと呟いた。


「ナディア様、そろそろお休みしますぞ」


ナディアは頷いて室内に戻り、セラフィナとウンディーネはおやすみと言って部屋を出ていった。ナディアがベッドに入ると、ソフィーもすぐに出ていき、薄暗い室内がやたら静かで物寂しく感じた。

ナディアは起き上がって、サイドテーブルから母の絵本とリディス神のネックレスを取り出して抱き締める。

昼間見た、レイヴノールと女性の親密そうな姿が思い浮かんできて、レイヴノールが女性の頭をぽんぽんする場面が思い出された。

ローブ姿の金髪で翠眼の男性が言っていた「二股」という言葉が脳裏をよぎる。

首を左右に振って否定するが、心の奥では、もしかしたらという思いが湧いてくる。


復讐の道具に使うためではないと言っていたけど、本心は違うかもしれない。

私が幼い頃に書いた手紙を使ってそれらしいことを言って、プロポーズしたのかもしれない。

私の気持ちを尊重するために契約離婚をしようと言ってきたのも、復讐の後は使い道がない私を手離したいのが理由かもしれない。


レイヴノールの言葉が全部嘘に聞こえてきて、疑心暗鬼に駆られ、ネガティブなことばかりが浮かんでくる。

ナディアの気持ちは重く沈み込み、明日の外出を断ろうかどうしようか思い悩みながら夜が更けていった。



新月の深い闇同様、シュペルツ侯爵家にも暗い雰囲気が漂っていた。

タリアの部屋の前で、青ざめた顔の使用人が2人、ドアに耳をつけて室内の音に聞き耳を立てている。


「お嬢様、おやめください!」


泣き叫ぶ使用人の声と、物が壁や床に叩きつけられて割れる音がドア越しに聞こえてきて、使用人たちは怯えた顔でドアから耳を離した。


「出てって!」


タリアの甲高い声が響く。ガチャガチャとドアノブが回り、髪と服が乱れ、顔や腕を赤く腫らしている使用人が急いで出てきた。


「もう、こんなところ無理よ!」


泣きながら廊下を走り去っていく。


「あ、ちょっと!」


「待って!」


使用人2人が声をかけて後を追いかけようと走り出そうとした時、背後からライラに声を掛けられた。


「騒々しいわよ~」


2人はビクッと肩を震わせ、横に並んでさっと頭を下げた。


「お、奥様!」


「申し訳ございません!」


「タリアがまた癇癪を起したようね~」


ライラは閉じた扇子を頬に当てて、困った顔でタリアの部屋のドアに目を向けた。


「左様でございます」


「私たち、このままでは働き続けられません」


ライラは同情するように眉を下げて、使用人たちの顎を扇子で持ち上げる。


「そうよね~。私も困ってるの~。けどね~」


途端にキッと目を吊り上げ、使用人たちの頬を扇子で叩いた。


「きゃっ!」


「痛いっ!」


使用人たちは頬を押さえて、怯えた目でライラを見上げた。


「誰かが犠牲になってくれないと困るじゃな~い。亡霊がいなくなったんだから、しょうがいないでしょ~」


ライラが使用人たちに顔を近づけ、ブラッドレッドの口紅で塗られた唇で囁く。


「簡単には逃がさないわよ~」


使用人たちはひいっと悲鳴を上げ、その場にへたりこんだ。


「邪魔だからお行きなさい」


扇子でしっ、しっと追い払う仕草をするライラに、使用人は一礼をして廊下の奥へ走って行った。


「ふう~。使用人の教育も大変ね~。娘もこんなことになるなんて~。侯爵夫人になれば好き勝手できると思ってたけど~、色々面倒ね~」


ライラはドアを見つめた後、呟いた。


「タリアのことはサーブル様に任せようかしら~」


踵を返して、侯爵の部屋へと向かって行った。



物が散乱し、食事が床に投げ出されている薄暗い室内で、自慢の金髪をぐしゃぐしゃに乱したタリアは、青白い顔で目を吊り上げ、ふーっ、ふーっと肩で息をしている。ベッドの枕を床に叩きつけ、爪が食い込むほど強く拳を握りしめる。


「よくも、この私をあんな目に! あんな幻影を見せて苦しませるなんて! ああ、まだあの熱さが、火傷の痛みが忘れられない!」」


体を震わせ、しゃがみこむ。


「あの時、ナディアって聞こえたわ。あの亡霊のせいよ! 許せない!」


涙で濡れた顔を上げて、窓の外を睨みつけた。



シュペルツ侯爵が室内でワイングラスを片手に窓の外を見ていると、ライラがドアをノックして入ってきた。


「サーブル様~、タリアにも困ったものですわ~」


「まだ引きこもっているのか」


「そうなんですの~。勝手にひとりで出かけて帰ってきてから~、ずっと閉じこもっていますでしょ~」


「医師にはみせたんだろう」


「すぐみせましたわ~。でも、どこも怪我をしていなかったそうですよ~。タリアが暴れて、何で痛がっているのかちゃんと診断できなくて~」


「それからは医師は来ていないのか」


「何回か来てもらいましたけど~、幻覚を見ているんじゃないかって言うので~、追い返しましたわ~」


シュペルツ侯爵はワインを一口飲み、冷たいブラウンの瞳をライラへ向けた。


「タリアは第二皇子に嫁がせる予定だ。今のままでは計画が狂う。子どもの教育は母親の仕事だろう」


「私にだけ責任があるのですか~? あの子はサーブル様の言うことの方が聞きますのよ~。今のようになってから顔をみせていませんでしょ~? サーブル様が一言出てこいと言えば出てきますよ~」


「ライラ」


低く響く声で名前を呼ばれ、背筋がぞくっとしたライラは背中をピンと伸ばした。


「お前が何とかするんだ。タリアが第二皇子に嫁げば、私もお前も皇家の親族になれるのだぞ。いずれ第二皇子が皇太子となるはずだ。そうしたらタリアは皇后だ。あの子にとっても幸せではないか」


「それは、そうですわね~。オホホホ~。私がなんとかしますわ~」


シュペルツ侯爵はライラの肩に手を置き、狡猾な笑みを浮かべる。


「それでこそ、母親だ」


ライラは引きつった笑みで一礼をして部屋を後にした。


「現金な女だ。ふっ、女はああでなくては」


ワインを口にして、口角を上げる。


「野望のためには女を上手く使わなくてはな。あの娘は使い道があった。追い出さず生かしていた甲斐があったというものだ」


ワイングラスに反射する自分の顔が揺らぎ、長い黒髪にローズピンクの瞳の女性が浮かび上がる。


「エヴリン。あの女め、能力で私を欺き、死んで力を失くすとは。今思い出しても腹が立つ!」


ワイングラスを床に叩きつけ、パリンと音を立てて割れる。真っ赤なワインが絨毯の上に血のように広がっていく。


「だが、過ぎ去ったこと。今、上手く使わないといけないのは皇后だ。いずれ帝国は我がシュペルツ家のものになる。フハハハハハ!」


シュペルツ侯爵の不敵な笑い声が室内に響き渡る。ワインがじわーっと絨毯に浸み込んでいき、赤黒い染みを作った。



徐々に闇が薄まり、空が赤黄色に染まり始めた頃、レイヴノールはシャノワールの扉を閉めてフードを被り直し、深く息を吐き出した。


「ふー」


「お疲れ。私も参加して良かったよ」


隣に立つアリスターがレイヴノールの肩をポンと叩いた。


「そうですか。こっちは殿下のせいで余計疲れましたよ。皆、緊張しちゃって夜警どころじゃなくなるし。早めに帰したら、その後から立て続けに、痴話げんかの仲裁に、酔っ払い同士の争いを止めたり、幻覚を見て混乱する薬物中毒者を神殿に引き渡したり、散々でしたよ」


「まあ、そう言うな。薬物中毒者から薬を手に入れられたんだから目的は達成できた」


「薬が手に入れば渡すって言ったのに、何で自ら来るんですか」


「薬物中毒者の様子も知りたかったし、直接触れて未来を見たかったからね。でも、今日の人は薬の中毒が抜けなくて近々死ぬ未来しか視えなかった」


「神殿は薬物中毒者を保護して治療を受けさせると言っているのですが、実際は何をしているのか分かりませんね」


レイヴノールは肩をすくめる。


「ふむ。やはり神殿に近づく方が近道か」


顎に手を添えて考え込むアリスターは朝焼けの空を見上げる。


「夜が明けるな。レイ、また近い内に。今度は夫人と一緒に会うことになりそうだ」


「何!?」


アリスターはフードを深く被り、扉の近くに繋いでいた馬に乗って走り去っていった。


「ナディアに全て明かさないといけないのか……?」


レイヴノールは額に拳を当て、俯く。馬がブルルルンと鼻を鳴らし、ローブを引っ張る。レイヴノールは馬の顔を撫でてから跨り、暗い表情で邸に戻って行った。










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